東京都中央区 築地本願寺
Tsukiji Honganji,Chuoku,Tokyo
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中央区築地三丁目15-1 築地本願寺本堂 重文 近代/宗教 昭和 昭和9(1934) 鉄筋コンクリート造一部鉄骨鉄筋コンクリート造、建築面積3,149.40㎡、二階建、一部地下一階、塔屋二所付 "正門一所 石造柱門、間口6.4m、左右脇門付北門一所 石造柱門、間口4.2m南門一所 石造柱門、間口4.2m、左右脇門附属石塀五基 石造、北門東方延長23.1m、北門西方延長69.6m、正門北方延長41.9m、正門南方延長71.9m、南面延長13.5m" 20141210
所在地 東京都中央区築地三丁目15-1
築地本願寺は,浄土真宗本願寺派の関東における拠点である。
現在の本堂は,関東大震災の後昭和9年に再建されたもので,設計は東京帝国大学名誉教授で建築史家の伊東忠太による。
鉄筋コンクリート造であるが,石造風の外観は,インドの古代仏教建築に学んだ細部や要素を巧みに組み合わせている。
中央部二階の大本堂は伝統的な真宗本堂の形式を踏襲し,両翼部や一階には議場や説教所,事務室や納骨堂などの諸室を配している。
築地本願寺本堂は,インドの古代仏教建築を主たる素材として外観を構成し,内部は日本の伝統的意匠要素を中心に濃密で均整のとれた意匠を達成している。
必要な諸機能をひとつにまとめ,最新式の設備を備えるなど近代の設計技術を集合しており,独自の建築様式を追求した伊東忠太による寺院建築の傑作として,価値が高い。
(国指定文化財等データベースより) 正門重要文化財本堂の附指定
北門重要文化財本堂の附指定
南門重要文化財本堂の附指定
大谷石塀重要文化財本堂の附指定正門南側
正門北側
北門西側
北門東側
本堂(重要文化財)昭和9(1934)年の建築
鉄筋コンクリート造一部鉄骨鉄筋コンクリート造、建築面積3,149.40㎡、二階建、一部地下一階、塔屋二所付
本尊:阿弥陀如来立像(聖徳太子の手彫りとされる)
国重要文化財:本堂 国登録文化財:三門門柱・石塀 1617(元和3)年の建立で、1657(明歴3)年まで浅草近くの横山町にあったが、明歴3年の通称・振袖火事により焼失。
佃島の門徒が中心となって、本堂再建のために海を埋め立てて土地を築き(この埋め立て工事が地名築地の由来)、1679(延鳳)年にこの地に再建した。
1923(大正12)年9月1日の関東大震災では地震による倒壊は免れたが、すぐ後に起こった火災により再び伽藍を焼失した。
現在の伽藍は、1934(昭和9)年竣工で、当時の宗教施設として珍しい鉄筋コンクリート造で設計は伊東忠太、古代インド様式である。
京都市の西本願寺の直轄寺院である。著名人の葬儀が多く執り行われる。
外塀(欄楯 らんじゅん)
国登録文化財
敷地面積約6000坪の塀は「欄楯」になっている。インド様式に建てられたのは建物だけでなく、敷地全体がインド様式である。
敷地の外周を巡るこの塀は、インドのサンチーやバーフルフートなどの仏塔の外柵に似せられる様式と同じである。
三門
国登録文化財
「山門」がなく、前庭を大きくとった開放的な設計である。門柱の上部のデザインは、インドの仏塔のてっぺんにある「傘蓋」を模したものか。
本堂
国重要文化財
正面
丸みを帯びた屋根にトゲのような塔、石の大きな階段、そして太い柱。築地で一際目立つ建築物である。
中央ドームのデザインは「菩提樹」の葉っぱの形である。そのまん中には仏教のシンボル「蓮の花」がデザインされている。これが正面の顔である。本堂廻り
塔屋
築地本願寺には中央のドームを中心に、左右に塔屋がある。塔屋の中は右側が「鼓楼」(昔太鼓があった。今は高架水槽)、左側は「鐘楼」(今も梵鐘がある)。屋根は複雑な装飾が施されている。インドの石窟寺院もそうだが、石で木造寺院の木組みを模したデザインがされている。
右側の事務所入り口アーチ
ここにも中央ドームと同様、菩提樹の葉っぱの形をした輪郭の中に蓮の花がデザインされている。
それを支える8角の柱は、装飾を含めて、インドの石窟寺院の柱のデザインと同じである。
■曲線の多用が伊東忠太らしいデザインとされる。細かな所にまでデザインされている。
正面石階段の側面・ほか
石段下の獅子
獣王ライオン(獅子)が宗教施設や墓の守護獣として入口や参道に配された歴史は古く、エジプトのスフィンクスまで遡ることが出来る。
築地本願寺の前足を立てた有翼の獅子の姿は、ギリシャ、メソポタミアのスフィンクスや中国の鎮墓獣に類似したものがある。
透かし窓
石段下ロビーの入口
細かな意匠。正面石階段下にロビーがある。落成当時は石階段下のトンネルが車寄せになっていて、エントランスホール、下足があった。
中央ドーム(横から)
かまぼこ型の円屋根その他(重複分も含む)
インド風の石造彫刻が随所にみられる。石の列柱の下部にもインド装飾がある。
意匠
建築家、伊東忠太氏は、築地本願寺にいろいろ楽しい意匠を残した。
半円の屋根の菩提樹の葉、中央のシンボルの花でもある「蓮の花」。
毎朝6時半に鐘が撞かれる鐘楼にもハート形の意匠がある。
厳密にはハートでは無く、「猪目型(いのめがた)」という伝統的なデザインラインの空白部分がハートに見える。
その他のハート型デザイン 「築地本願寺HPより引用」
蓮の花をあしらったステンドグラス
本堂は、外観はインド風であるが、内部は真宗寺院の造りになっている。 伊東忠太氏の意匠は他にも多くあるようだ。
元和三(1617)年、創建当時は浅草近くの横山町に第十二代宗主(門主)准如上人によって京都西本願寺の「別院」として建立され、「江戸浅草御坊」と呼ばれていました。
しかし、明暦三(1657)年、「振袖火事」と呼ばれる歴史的に有名な大火で坊舎を焼失してしまいました。
幕府の区画整理のため旧地への再建が許されず、その替え地として下付されたのが八丁堀の海上でした。
そこで佃島の門徒が中心になり、本堂再建のために海を埋め立てて土地を築き、延宝七(1679)年に再建され、「築地御坊」と呼ばれるようになりました。
このときの本堂の正面は西南(築地市場方向)に向いて建てられ、場外市場のあたりは寺内町でありました。
その後、大正十二(1923)年、関東大震災により坊舎を焼失し、東京(帝国)大学工学部教授・伊東忠太博士の設計により、昭和九(1934)年、現在の本堂が落成となりました。
この本堂の外観は「インド様式」の石造りとなっていますが、本堂内部のお荘厳は伝統的な真宗寺院の造りになっています。
平成二十三(2011)年、本堂および周囲の大谷石積塀が国の登録有形文化財に登録され、平成二十四年(2012)年、正式名称が「築地本願寺」と改められました。
( 築地本願寺ホームページより転載)
2階
本堂
動物彫像
1階
供養塔等
築地本願寺
正式名称:浄土真宗本願寺派本願寺築地別院
東京都中央区築地3-15-1
竣工:昭和9年(1934年)
設計:伊東忠太
施工:松井組
構造:鉄骨鉄筋コンクリート造2階建て、地下1階
築地本願寺は、京都市下京区にある浄土真宗本願寺派の本山である本願寺(通称:西本願寺、お西さん)の別院として、元和3年(1617年)に第十二代宗主・准如上人(じゅんにょしょうにん)によって建立されました。
当時は浅草の近くの横山町に在ったことから江戸浅草御坊と呼ばれ人々に親しまれていましたが、明暦3年(1657年)明暦の大火により本堂を焼失してしまいました。
しかし幕府による区画整理のために同じ場所への建て直しが叶わず、佃島の門徒が中心となり本堂再建のために海を埋め立てて土地を築き、延宝七年(1679年)にようやく再建されました。
この埋め立て工事が、現在の「築地」という地名の由来となったそうです。
その後、関東大震災により崩壊してしまいますが、帝国大学(現東京大学)工学部教授・伊東忠太博士の設計により昭和6年(1931年)に起工され、3年の工期を経て昭和9年(1934年)に落成し、今日も「築地本願寺さん」と親しまれています。
伊東忠太博士とは、法隆寺が日本最古の寺院建築であることを学問的に示し、日本建築史を創始した学者であり建築家です。正三位に叙され勲二等瑞宝章を授与された伊東忠太博士は、建築界で初めて文化勲章を受章した人でもあります。築地本願寺の外観は、古代インドの天竺様式の伽藍であり、その堂々としたファサードは斬新かつ荘厳です。
特にギリシアの神殿を思わせる柱と、外階段の手摺りの曲線の優雅さとその先に坐した獅子の彫刻は、異国の香り漂うものでした。
外観から本堂入口までに見られる装飾の緻密さがまた、じっと見入ってしまう魅力的な存在でした。
真宗寺院の紋章のついた巨大な扉に圧倒され、百合飾りの枠を持つ内部の扉ではステンドグラスに驚き、大理石をふんだんに使った入口のそこここに居る彫刻の動物たちには愛嬌さえ感じました。
本堂内は伝統的な真宗寺院の造りになっていますが、その天井の高さと内部の広さ、そして格天井を支える白く力強い梁と壁の上部に施された金色の彫刻は目がくらむような絢爛さでした。
ご本尊である阿弥陀如来像の前には、参拝者の為にお参りの手順が書かれていました。
また、本堂内には参拝者が正座をしなければいけない場所は無く、椅子が並べられ香が漂い、ゆっくりと内部を眺めていられます。そして本堂入り口を振り返って絶句してしまったのは、なんとそこにはパイプオルガンが設置されていました。
仏教音楽の普及を願い仏教伝道協会より寄進されたという2,000本の管を持つドイツ製のオルガンは、本堂の梁の形状を計算した、とても立派で美しいものでした。また、私にとっては階下の御不浄へ下りる階段室が、息をのむ様な実に素敵な空間でした。
重厚な手摺り子、石造りの階段、曲線を基調にした漆喰の仕上げなど、一橋大学のロマネスク建築「兼松講堂」を手掛けた伊東忠太博士の洋館建築を観られたような気持ちで、とても嬉しかったです。
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