東京都豊島区 旧宣教師館(旧マッケーレブ邸)
Kyu Senkyoshikan,Toshimaku,Tokyo
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Nov.12,2016 瀧山幸伸 source movie
所在地:豊島区雑司が谷1-25-5
東京都指定有形文化財(平成11年3月3日指定)
開館時間:9:00〜16:30
休館日:毎週月曜日、第3日曜日、国民の祝日の翌日、年末年始
入館料:無 料
交通:都営バス「雑司が谷霊園入口」下車・徒歩8分
都電荒川線「雑司が谷」下車・徒歩10分
有楽町線「東池袋」または「護国寺」下車・徒歩12分 ■建物の前の通りはレンガで舗装されて「旧宣教師館通り」と名付けられています。道路はきれいに舗装されすぎていて、ちょっと味気ない感じですが、入り口に見事な松を配した旧宣教師館は、白と緑のペンキで塗り分けられた外壁とガラス窓の多い開放的な洋館です。庭には花も多く、紫陽花の青、ブルーベリーのほのかな紅が緑と白の洋館に映えていました。
旧宣教師館の建設は明治40年。豊島区内に現存する最古の木造洋風建築です。アメリカの郊外型住宅で、細部はカーペンターゴシック様式。明治40年、アメリカ人宣教師のマッケーレブが自らの居宅として建設をしました。昭和16年(1941)に帰国するまでの34年間をこの家で生活。当時の新興住宅地における布教活動と幼児教育の拠点となりました。マッケーレブの帰国後、建物は売り払われました。戦後は長く音響機器メーカー・スタックスの事務所として使われていましたが、昭和57年(1982年)にマンション建設計画に伴い保存運動が起こり、豊島区が買い取って整備した後、平成元年(1989年)1月から一般公開されています。
※「宣教師J.M.マッケーレブ」
ジョン・ムーディー・マッケーレブは1861年、アメリカ・テネシー州に生まれる。南北戦争で父を失い、以後多くの苦労を重ねながら勉学に励み、敬虔なクリスチャンの青年になる。27歳の時、ケンタッキー州レキシントンにあるカレッジ・オブ・ザ・バイブルに入学し、ここで先輩の宣教師アズビルと出会い、彼の勧めによって日本伝道の道へ。1892年、新婚の妻デラと来日、築地・神田 ・小石川と伝道活動を展開。1907年雑司が谷に移り住み、以後この地を拠点に、太平洋戦争開戦直前まで、さまざまな困難に遭いながらも、ピューリタニズムに基づいた宣教活動を続ける。
※マントルピース1階居間の暖炉はアールヌーボー風のタイル、ケヤキ材の前飾。天井2階には格子に割竹を使用。上げ下げ窓にはシンプルな幾何学模様の装飾。ベイウィンドウ玄関わきの張り出し窓。1階は斜めに、2階は直角に変化をつけている。建物の意匠玄関ポーチの方杖(ほおづえ)など、カーペンターゴシック様式の特徴が随所にみられる。
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