鳥取県岩美町 山陰道
Sanindo,Iwami town,Tottori
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May 6, 2014 瀧山幸伸 source movie
横尾の棚田
雨滝から新井への道
山陰道 蒲生峠越
史跡
近世の山陰道は、京都から山陰地方へ通じる主要街道で、鳥取県側では但馬往来、但馬街道とも呼ばれた。鳥取藩の参勤交代道は志戸坂峠(八頭郡智頭町)を越えて姫路に出る智頭往来であったが、鳥取藩は山陰道を京都への重要な交通路として整備し、鳥取を起点に一里塚を築き、宿駅を置いた。享保11年(1726)の『因幡国大道筋里数』によれば、鳥取から蒲生峠までの里程は6里12町であった。山陰道は岩美町浦富で海沿いに進むルートと蒲生峠へ向かうルートに分岐するが、蒲生峠越が本道とされていた。天正8年(1580)の因幡攻めの際に羽柴秀吉が、慶応4年(1868)の明治維新の際には山陰道鎮撫使が、蒲生峠を越えて鳥取に向かったと伝えられている。
山陰道蒲生峠越は、岩美町塩谷で国道9号線から分かれて山道に入り、蒲生峠で県道千谷蕪島線に合流する。合流点付近には、明治25年(1892)9月に往来人の安全を祈願して建立された「延命地蔵大菩薩」の台座が残されている。この間の約2km程の峠道が明治時代中期までの街道である。このルートは、明治時代になっても一般国道に選定されて整備が進められ、人力車や荷馬車の往来で賑わった。明治25年に山陰道が現在の県道ルートに変更されると次第に寂れていったが、現在も地域住民の林業や生活用の道路として利用維持されているために、遺存状態は比較的良好である。
平成2年度に鳥取県教育委員会によって文化庁補助事業「歴史の道調査」が行われ、平成10から12年度にかけて岩美町教育委員会により「歴史の道整備事業」が実施された。蒲生峠越では、土砂崩壊箇所の修復、石畳の露出、雨水処理の側溝・排水溝設置、案内板・説明板・標識の設置、東屋・ベンチの設置等の整備が行われた。
山陰道蒲生峠越は、山陰地方と但馬、丹波、京都を結ぶ主要街道であった山陰道のうちで整備の完了した区間であり、境界の確定できた約2kmの古道と峠の守り仏の延命地蔵の敷地を史跡に指定し、保護を図ろうとするものである。
(文化財データベース)
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