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鳥取県倉吉市 倉吉市街

Kurayoshi downtown,Kurayoshi city,Tottori

 
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倉吉城跡(打吹公園)
Kurayoshi Castle(Utusbuki Park)


July 23, 2021 野崎順次  source movie

鳥取県倉吉市
西の街並み(打吹玉川の西)

前回(本年6月12日)は重伝建の打吹玉川地区を撮影した。今回はその西の街並みを巡った。興味深い登録有形文化財の建造物が結構多い。説明は文化遺産オンラインからの引用である。

今回のコース、小鴨川、余戸谷町の説明
    


① 国登文 旧倉吉町水源地ポンプ室 余戸谷町3078-1
昭和前/1932
鉄筋コンクリート造平屋建、スレート葺、建築面積77㎡
天神川の支流小鴨川に面する余戸谷町水源地内にある。切妻造,平入で,正面及び側面に櫛形欄間窓を左右対称に配し,腰を瘤出仕上の切石布積とする。正面中央のレリーフ付き三角ペディメント,平側のパラペットなど,小規模ながら洋風意匠を積極的に取り込む。
            


② 国登文 旧倉吉町水源地量水室 余戸谷町3111-2
昭和前/1932
鉄筋コンクリート造平屋建、建築面積5.0㎡
余戸谷町水源地から東方に100m程離れた住宅地に位置する倉吉市創設水道の施設で,配水池から市街地に送られる上水の計量に用いた。方形平面で,四周に廻した軒蛇腹・パラペット,正面入口上部の扁額・レリーフなどが,豊かな街路景観形成に寄与している。
      


鉢屋川沿いに歩くと小川氏庭園(国登録記念物)の塀がある。庭園は非公開である。
   


③ 国登文 小川酒造槽場 河原町1969
明治/1868-1911
蔵造2階建,瓦葺,建築面積77㎡
鉢屋川沿いに旧仕込蔵と連続して建つ。三重梁の和小屋には滑車が設けられている。かつては鉢屋川の水力を利用するための水車が設けられていたが,そのための水路,煉瓦積みの壁体が残る。水力利用の様子を今日に伝える建物である。

③ 国登文 小川酒造旧仕込蔵 河原町1969
大正/1912-1925
土蔵造2階建,瓦葺,建築面積237㎡
敷地背面の鉢屋川に面して建つ。現在は貯蔵庫となっており,鉢屋川側に出入口を設けている。キングポストトラスの洋小屋を持ち,長大な壁面と赤瓦が印象的な倉庫建築で,鉢屋川の水運連絡の様子を今日に伝える建物である。
                


鉢屋川は清浄な流れで、驚きやすい鯉がいる。
   


④ 国登文 旧小倉家住宅土蔵 河原町2884
大正/1916
土蔵造2階建、瓦葺、建築面積59㎡
主屋の背面に近接して建つ。土蔵造二階建、南北棟の切妻造で、北面西寄りに戸口を開く。外壁は漆喰塗で小路に面する西面は階境に庇を通す。内部は上下階とも板敷で、和小屋を組む。旧八橋往来と川が交差する角地にあって商家町の歴史的景観を形成している。
      


下の地蔵 安永二年(1773)
      


④ 国登文 旧小倉家住宅主屋 河原町2884
昭和前/1936
木造2階建、瓦葺、建築面積114㎡
市中心部西方の旧八橋往来沿いにある商家で、主屋は通りに北面して建つ。切妻造桟瓦葺の総二階建で、正面に下屋を付す。伝統形式を継承するが、たちの高いつくりで、正面二階の大きな掃出し窓、硝子窓桟の割付、手摺の意匠などに昭和前期の傾向が現れている。
     


細い路を進む。河原町から越中町に入る。
        


越中町自治公民館、明治以来、久米郡政所や小学校に使われたという。
   


⑤ 国登文 丸井家住宅主屋 越中町2148
大正/1916
木造2階建、瓦葺、建築面積93㎡南北に長い長方形敷地の西北隅に建つ。大正から昭和初期にかけて倉吉の茶道の中心をなした町家の一つ。切妻造二階建で、赤瓦を葺く。西側と東側で棟の位置を違えるが、平面は一体で右に土間を通し、一、二階共五室を配す。数奇屋風の繊細な意匠でまとめる住宅。

⑤ 国登文 丸井家住宅塀 越中町2148
大正/1916
木造、瓦葺、延長13m
敷地北面の主屋東方に延びる塀。主屋内庭を区切る塀を南方に延ばす。街路側は腰を焼杉竪板張、上部を赤色の真壁とし、主屋内庭部分には貫格子を入れた菱形窓をあけ、中央に潜戸を設ける。敷地側は灰褐色の土壁刷毛引仕上とする。特徴ある街路景観を作る塀。
    


西岩倉町、平入の家が続く。2階建ての妻壁だけが残る異様な風景に驚いた。
          


⑥ 国登文 山陰民具店舗兼主屋 西岩倉町2196
江戸/1751-1829/1868-1911改修
木造2階一部平屋建、瓦葺一部茅葺(鉄板仮葺)、建築面積119㎡
倉吉市街西部の西岩倉通の北側に位置する。間口5間、奥行6間半の平入町家である。表を瓦葺の2階建に改修しており、元の茅葺屋根を背面に残し、鉄板仮葺とする。内部は東半が幅の広い通り土間、西に1列3室の居室を配す。茅葺町家の歴史を伝える建物である。
                    


西倉町をさらに東へ、石造象像(せきぞうぞうぞう)のある寺(吉祥院)、山里酒店、ジェームス・ディーンのブロマイドなど。
       


極めて小規模なブックセンター
     


前回に訪問した倉吉淀屋から市役所通りに出て、まちづくりセンター前のそば屋にたどり着いた。
      


⑦ 手打ちそば処打吹庵、弁天(冷たい長芋かけ鴨そば)900円也、ただし、長芋品切れのため代わりになめこ
    


June 12, 2021 野崎順次 source movie

鳥取県倉吉市
打吹玉川地区
(Utsubuki-Tamagawa District, Kurayoshi City, Tottori Pref.)


倉吉市打吹玉川重要伝統的建造物保存地区

保存地区の町家は、主屋、土蔵、離れ、付属屋、裏門倉等の伝統的建造物で構成されている。その建物構造は、つし二階建もしくは二階建の主屋で、切妻造・平入を基本としており、建築年代は、江戸時代末期が数棟、明治時代中後期が約3割、大正期が約2割、昭和前期が約2割という構成になっている。保存地区中央を流れる玉川沿いには、白壁の土蔵群があり、この他にも近代の倉吉を象徴する建物である土蔵造・二階建の国登録有形文化財「倉吉大店会」もある。江戸時代から明治・大正時代にかけて商工業都市として栄えた倉吉の街並みの歴史的景観をよく伝えている。
(とっとり文化財ナビより)

パンフレットと現地説明板
              


観光案内所から本町通りへ、元帥酒造、くら用心
                        

まととや弓道体験場(洋館)と東仲町公民館、そして倉吉絣工場跡
            

県保文 桑田家住宅及び醤油醸造施設
明治9年創業の醤油醸造場で、元々の屋号は山白屋。明治40年、東宮(後の大正天皇)山陰道行啓の際、随行した東郷平八郎の寝所となりました。明治初期の主屋を残し、大正4年に敷地全体を改修。施主は「東桑田」二代目勝平。近代的な意匠をもつ大規模商家の店構えで、醸造施設は近代の醤油醸造施設の形態をよくとどめており貴重です。
(倉吉文化財散歩より)
      

打吹公園通りを横切って、弁天参道、倉吉果実酒醸造所など
                


県保文 高田酒造(高田家住宅及び醸造施設)江戸 - 明治
木綿商、檜皮屋の四代宗茂が文久元(1861)年から醤油醸造を営み、昭和30年頃まで商いました。明治8年から現在に至るまで酒造を営む老舗です。天保14(1843)年建築の主屋をはじめ、明治後半まで段階的に建てられた醸造施設があります。
主屋は木造つし二階建で、三列九間型。湾曲した腕木、トオリニワ境の虹梁状差鴨居、繊細な出格子や座敷の平書院など、倉吉の商家の典型例です。
(倉吉文化財散歩より)
     


さらに
           


国登文 豊田家住宅(久米郡倉吉驛)主屋 明治/1900
木造2階建、瓦葺、建築面積118㎡
東西に通る街路に北面して建つ。切妻造,桟瓦葺,平入,木造ge階建で,正面は出桁造とする。構造は真壁造,正面外壁は鼠漆喰塗とし,2階開口部に手摺を設ける。倉吉の伝統的な町家形式を保持しており,打吹玉川保存地区に連なる町並み景観を形成している。
(文化遺産オンラインより)
          


国登文 豊田家住宅(久米郡倉吉驛)離れ 昭和前/1930
木造2階建、瓦葺、建築面積51㎡、渡廊下付
南北に細長い敷地の南寄りにあり,前方の主屋と渡廊下で接続している。東西棟の切妻造,桟瓦葺,平入,2階建で,1階,2階とも床・棚を備えた6畳間とする。各所に上質の材を用い,床の間廻りは特に凝ったつくりで,昭和初期の熟達した和風の造形が窺われる。
(文化遺産オンラインより)
                        


本町通りを西へ、おもちゃのたいらで東に戻って北へ
      

県文 倉吉淀屋(旧牧田家住宅) 主屋、付属屋
「淀屋」を屋号とする牧田家は、江戸時代の倉吉を代表する商家の一つ。主屋は宝暦10年(1760)の建築。倉吉の商家建物の中で現存する最古の建物で、屋根を太い垂木で支える独特の構造です。付属屋は天保9年(1838)建築で、数寄屋風書院造。
(倉吉文化財散歩より)
                                


出雲大社倉吉分院
   


国登文 大社湯(第三鶴の湯)浴場及び主屋 明治/1868-1911/1912-1925増築・1926-1988改修
木造平屋一部2階建、瓦葺、建築面積137㎡
東西棟の木造2階建、建築面積137㎡、切妻造桟瓦葺である。1階西半部を浴場、東半部と2階を居住部分とし、浴場はさらに東西に二分して男湯と女湯とする。外観は住宅風で、周囲の景観と調和しており、明治後期における公衆浴場の形態をよく保持している。
(文化遺産オンラインより)
         


玉川沿いを東へ
       


両側が高田酒造、左側のアートハウス夢扉は旧醸造蔵一と二である。

国登文 旧高田酒造醸造蔵一 明治/1868-1911
土蔵造平屋建、瓦葺、建築面積110㎡
主屋などの建つ宅地の背後,玉川の北の敷地に建つ。現在所有者が異なるが近年まで高田酒造の醸造用の蔵であった。平屋,土蔵造,屋根は石州瓦葺,壁は中塗仕上げで,腰部は焼板張とする。玉川沿いの歴史的景観を形成する重要な建物である。
(文化遺産オンラインより)

国登文 旧高田酒造醸造蔵ニ 明治/1868-1911
土蔵造平屋建、瓦葺、建築面積57㎡
醸造蔵一の東に続き,玉川沿いの小道に面して建つ。梁間(2間半)は醸造蔵一と同一だが桁行は約半分(6間)で,両蔵の境は大きな開口部を設け,一連に使えるようになっている。外壁を真壁とし半間毎に柱を見せ,高窓を配し,変化に富んだ外観を造る。
(文化遺産オンラインより)
      


板張りの蔵が続く。なかなかの風情である。
       


右は桑田醤油の白壁土蔵で、ここからの玉川沿いが打吹玉川地区景観の核心部といえよう。
                                  


白壁土蔵群の北側の赤瓦一号館
大正時代に建てられた醤油の仕込み蔵を改装したもので、天井の梁と束柱を格子状に組み合わせた五重構造の小屋組も見ごたえがある。
                          


玉川沿いをさらに東へ、ここらは「男はつらいよ」第44作のロケ地とのこと。
                  


本町通りに戻る。途中の白壁土蔵は白壁倶楽部の付属だろう。
     


国登文 白壁倶楽部(旧第三銀行倉吉支店)明治/1908
土蔵造2階建、瓦葺、建築面積179㎡
倉吉の旧街道「倉吉往来」に面して建つ明治期の疑洋風建築の好例。当初第三銀行の支店として建造され,その後いくつかの金融機関を経て,現在は事務所として使用されている。旧往来に面した角地にあって,倉吉の中心街の明治期の様子を今に伝えている。
(文化遺産オンラインより)
        


少し東に町屋清水庵、そして本町通りを西へ
                 


イタリアンレストラン「ムリーノ・ビアンコ(Mulino Bianco)」でラザニアを食べた。650円也。ランチメニューをこの一品だけだが、「本場イタリアで腕を磨いたシェフが振舞うラザニアは絶品です」とのこと。家庭的な美味しさだった。
      


それから
    


琴櫻記念館
                                           


出発点に戻ってきた。元帥酒造で原酒辛口新米新酒「元帥」アルコール19%の300mlビンをあっという間に飲み干した。
             


Apr.4,2019 瀧山幸伸 source movie

倉吉城跡(打吹公園)

Kurayoshi castle

                                                                                            

20世紀梨の花

          


May 20,2017 瀧山幸伸

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小川酒造(主屋、ビン詰場、旧仕込蔵、ふな場、二階蔵、三階蔵、道具蔵)

登録文化財

      

小川氏庭園

登録記念物(名勝関係)

住宅の前庭・中庭と別区画の環翠園で構成されます。昭和5年頃、神戸の庭師巽武之助が手がけたといわれます。環翠園は池泉回遊式庭園で、園外の打吹山や水道山の十三重塔が眺望できます。茶亭「南山荘」には、菅楯彦が昭和20〜22年に疎開していました。個人の近代庭園の作例として山陰屈指のものです。(倉吉市)

             

 


Aug.31,2016 瀧山幸伸 source movie

古い街並と元帥酒造

Traditional townscape and Gensui sake bruwery

                     

     

二十世紀梨記念館

20th century pear museum

  


Nov.2011 川村由幸

訪問日:2011.10.15白壁土蔵のまち倉吉、ここは重要伝統的建造物群保存地区にも指定されています。

最近では韓流ドラマのロケなども行われているようです。

時間が止まったような街並みをゆっくりと散策する。気持ちが静かになってゆきます。

                                                                      


Oct.2008 撮影:高橋久美子

玉川沿い白壁土蔵群

              

本町通り

         


May. 2006 瀧山幸伸 source movie

古く万葉の時代、歌人でもある山上憶良が伯耆国守として倉吉郊外の伯耆国府に滞在した。

倉吉の町は城下町であり、南北朝時代、山名時国が足利尊氏の配下として伯耆守護を務め、交通の要所である当地に打吹城を築いたことに始まる。

応仁の乱では山名宗全が西国総大将として戦うが、その後山名氏は没落する。

尼子、毛利、吉川の支配を経て、近隣の羽衣石城で秀吉との和睦を経て江戸時代を迎える。

慶長19年(1614)安房館山城主、里見忠義が勢力争いに巻き込まれ倉吉に転封された。

忠義は入城することなく、翌年には一国一城制により廃城となり、その後は陣屋がおかれた。

元和8年(1622)、忠義は29歳で世を去る。

遺言により遺骨は殉死した8人の家臣とともに葬られ、彼らは「南総里見八犬伝」のモデルといわれることとなる。

山名の時代から、交通の便が良いことから市が立ち、城下は栄えていたが、江戸時代には商業都市として大いに発展した。

特に「淀屋清兵衛」の牧田淀屋は、倉吉の特産品、稲扱千刃を全国に普及させた。

倉吉絣も伝統工芸品として経済に貢献した。

倉吉独特の白壁と赤瓦の街並は、これらの商工業と酒造業者が築き上げたもので、町中の玉川を境に町人町と職人町が構成された。

赤瓦は山陰地方に一般的な石州瓦で、光沢のある明るい色調が美しいいらか並を構成する。

蔵の中は広く、観光物産の店舗として有効に利用されている。

水路は竹をあしらった和風の修景でみずみずしい。

水路沿いのパブリックアートも抽象的なモダンアートではなく、民話的で親しみやすく、街並に調和している。

映画「男はつらいよ」の舞台になった人情豊かな街である。

 

   

        

   

      

                      

  

  

          

    


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