鳥取県鳥取市 観音院
Kannon in,Tottori city,Tottori
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May 29, 2021 野崎順次 source movie
鳥取県鳥取市上町162
天台宗
補陀落山 慈眼寺 観音院
1630年代前半、僧宣伝により雲京山観音院の号で栗谷に開創、1639年(寛永16年)頃に現在地に移り現在の号に改めたとされる。
以降、旧鳥取藩主池田家の祈願所八ケ寺(1709年指定)の一つとして栄えた。
(ウィキペディア「観音院」より)
パンフレット、山門から書院へ
国名勝 観音院庭園 江戸時代初期 池泉観賞式
さて本庭は、本院書院の東庭となっていて、面積約四百坪の池泉観賞式の庭であり、池泉は約二百坪に近い、全体の半分という大池庭である。池中左手には蓬莱島としての亀島を設け、この亀島には左手に亀頭石を見せ、または中央部に中心石も用いてある。そして手前の方に向かって多くの石を組み、北西から夜泊石風な岩島五個が見られる。もとより、元禄末年の作庭と考えられるものだけに、鎌倉期や室町期までの夜泊石としての完全なものではない。
その亀島の東部山畔には滝の石組があり、滝が落ちている。この滝の石組中、水落石は完全に保存されているが、添石や景石が相当に荒廃していて惜しい。しかし池中には水分石も見られる。
本庭の東部は山畔を利用して、これを芝生地としつつ、大築山風に見せてある。全山を芝生とした山畔利用の築山は、この時代の典型的な様式であって、高野山の普門院庭園、京都の智積院庭園、静岡県の大福寺庭園等々の例が見られ、いずれも寛文頃から元禄にかけての庭園に多く見られる。
そしてまた、この築山には丸刈込、角刈込の類が多いが、もとよりこれらの刈込物は、後の時代になってだんだん多くなり、かつまた大きくなったものであり、これらの刈込物が一種の景物ではあっても、全庭の景観の上から効果的ではない。むしろ本庭は、山畔を利用しながらも、芝生の築山として生かしているところに特色があるのであって、その築山的景観を生かすことに、手入法も注意しなければならない。
本庭の南東部には出島が作られ、その付近に岩島もある。北部の滝の付近から、この出島の間には多くの護岸石組が見られるが、かなり荒廃しているので修理の必要がある。この出島は鶴島としてできたかと思われるが、今日ではそれらしい石組は見られない。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」より)
本堂から見る。
庭に降り築山に登って見る。
茶室とそこから見た庭、奥行きが深くなる。
県保護文化財 切支丹灯籠
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