鳥取県鳥取市 興禅寺
(Kozenji Temple,
Tottori City, Tottori Pref.)
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May 29, 2021 野崎順次 source
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鳥取県鳥取市栗谷町10
黄檗宗
龍峯山 興禅寺
龍峰山興禅寺は、鳥取藩池田家の菩提寺として高い寺格を持ち、陸奥伊達家の大年寺、長門毛利家の東光寺とともに黄檗三叢林と称された。興禅寺の伽藍は中国黄檗山に倣った壮大なものであったというが、享保5年(1720)以後三度の火災によって文書や寺宝は失われ、さらに明治維新後その伽藍の大部分を失い、現在残される江戸期の建造物は旧藩主御霊屋(位牌堂)を改造した本堂のみである。
庭園は庫裏の背後(北側)に位置し、庫裏(書院)から観賞する池庭である。主要庭園部の面積は約1,300㎡で、江戸時代初期頃、池田光政により菩提寺として建立された国清寺の庭園を継承するものと推定されている。
(とっとり文化財ナビより)
観音院から興禅寺まで城下町武家屋敷の風情の残る小路(放哉の小径)をたどる。
パンフレット、山門、尾崎放哉句碑、本堂(国登文)など。また、寺の周辺は「キマダラルリツバメチョウ生息地」として国の天然記念物に指定されている。
本寺と黄檗宗の説明展示
市名勝 興禅寺庭園 江戸時代初期 池泉観賞式
本庭を一覧すると、木庭は書院の裏庭、すなわち北庭であって、面積約二百六十坪ほどあるが、北部に築山を設け、その下部に東西にやや細長い他庭を設けてある。全休としてはやはり池泉観賞武の庭である。まず本庭の築山を一覧すると、中央部を富士形に高く盛り、芝生の築山として、多少のサツキの類の丸刈込はあるが、築山を特に意欲的に見せようとする作意が強く、これは江戸初期寛永から寛文前後までの特色である。後部の山林を背景として、築山に植栽しないのは、築山を特に引き立てるためである。築山に対して、このような意欲を見せるのは、その頃の特色である。
そしてこの築山の中央部に枯滝の石組がある。この枯滝の石組は、多少荒廃した点はあるが、鶴石組を兼用した手法を用いていて、これまた寛永期の特色である。
この枯滝に対して、北部中央に出島を設け、これに板状の石を高く立て、その左に亀頭石が見られるから、この出島を亀島として、枯滝の鶴と対照していることが解る。そしてずっと東部には土橋を架けて、上部の山畔に渡るようにしてある。その近くに織部型石燈籠の竿だけ保存され、桃山期の作品である。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」より)
県保護文化財 切支丹灯籠
新陰疋田流・刀槍二術の開祖・猪多伊折佐、荒木又右衛門と共に伊賀越えの仇討ちを行った渡辺数馬の墓所
その他
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