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鳥取県若桜町 市街

Downtown,Wakasa town,Tottori

 
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June 5, 2021 野崎順次 source movie

若桜町若桜重要伝統的建造物群保存地区

令和3年5月21日に開催された国の文化審議会で、若桜地区を国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)に選定するよう文部科学大臣に答申されました。今後は、秋頃までに官報で告示され、正式に重伝建地区に選定されます。
(若桜町ウェブサイトより)

若桜町は鳥取県南東部の八頭郡に属し、若桜町のほぼ全域が山岳地帯に属する。町域の
南東から北西に流れる八東川に沿って旧若桜街道と若桜鉄道が並走する。
当地は16世紀末から17世紀初頭にかけて若桜鬼ヶ城城下町が整えられたとされるが、若桜が鳥取藩領となると一国一城令により若桜鬼ヶ城は廃城となる。元禄14年(1701)に若桜町は若桜宿と改められ、近世を通じて城下町としての骨格を残しつつ若桜街道の宿駅として人々の往来が続いた。近代以降も鳥取と姫路とを結ぶ交通の要所にある商業地としての機能を保持する。明治18年、若桜の町は大火に見舞われ、市街地のほぼ全域が焼失するが、直後に若桜宿外七ヶ村連合会は防火対策を盛り込んだ復興計画を議決し、これにより本通り(旧若桜街道)を直線化し、屋根葺材を不燃化する等、若桜の町並が整えられた。
保存地区は、大火を契機として整備された本通り沿いの範囲で、本通りに面して大火直後から昭和30年頃までに建てられた伝統的な町家が建ち、敷地背面側には土蔵が建ち並ぶ。北側には寺院群が配される。本通り両側と背割線等に沿って八東川から取水した用水(カワ)が西流し、カワから分岐した水路(スイロ)を土間に通して敷地背面側のカワに排出するものや、正面に水汲み場(イトバ)や貯水槽(ホリ)を整備するものもある。主屋は二階建、切妻造平入の瓦葺又は鉄板葺、正面にカリヤと呼ばれる庇を付す。
若桜町若桜伝統的建造物群保存地区は、若桜鬼ヶ城の城下町を起源とし、旧若桜街道沿いの宿場としての機能を持ちつつ近郷の物資の集積地として栄えた商家町である。明治18年の大火後に建てられた切妻造平入の伝統的な町家や、敷地背面側の土蔵等、防火を考慮して形成された町並みが自然地形を生かした用水とともに良く残る。大火を経て復興した山陰地方山間部の商家町として歴史的な風致を良く伝える。
(鳥取県文化財課令和3年5月13日通達より)

パンフレット
        


若桜駅と駅前通り
      


蔵通り(寺通り)の標識に従って、左(南東)の小路を進む。
              


休憩交流処かりやの裏側
    


蓮教寺、正栄寺
         


県民の建物百選 蔵通り
明治18年若桜宿に大火が発生し、寺を火災から守るため蔵以外を建てることを禁止されたことで蔵がまとまって建てられています。また寺の本堂や庫裏も道路から16間離れたところに建てなければならないと決められたことで、蔵通りが形成されました。今現在20の蔵があり、商家の土蔵・白壁・赤瓦・板張りどれも妻側蔵通りに向けています。
(パンフレットより)

                      

西芳寺と西芳寺庭園
               


さらに進み、寿覚院から右(北東)に折れて、旧若桜街道に出る。
          


重伝建地区から外れて北西に進むと八東川である。
  

国登文 若桜橋 昭和前/1934
鉄筋コンクリート造3連アーチ橋、橋長83m、幅員6.2m、袖高欄付、1基
千代川水系八東川に架かる旧国道施設。橋長83m、幅員6.2m、支間長28m規模の鉄筋コンクリート造3連アーチ橋で、アーチは開腹式とし、橋の両端には袖高欄を付ける。時局匡救事業の一環として、約13,000人を動員して建設された近代橋梁。
(文化遺産オンライン)
         


旧若桜街道を北西に戻る。真直ぐな1本道である。
     


町文 伊勢道の道標 その他石造物
         


町役場の裏に回ると巨大な忠魂碑(高さ約7m、全重量約56トン)
      


重伝建地区に戻った。
             


県民の建物百選 仮屋(カリヤ)通り
明治18年若桜宿大火後、若桜宿会議で「家は道路端から1丈1尺控えて土台をつくること、その土台から4尺の仮屋(ひさし)を付け、2尺の川を付けること」などが決められました。現在は途切れ途切れになっていますが、当時は700mから800m連なっており、雨の日でも傘無しで通り抜けることができました。
(パンフレットより)
                                


若狭民工芸館
築約100年の古民家(旧中尾邸)を改修し、若桜町に縁のある方々の民工芸品を展示している施設で、平成27年8月にオープンしました。特に土鈴については、2,000点を展示しています。若桜の伝統的な町屋造りと庭園をご覧いただきながら、町内外の皆さんが憩える場所となっています。
(若狭観光ガイドサイトより)
                         


それから
  


国登文 木島家住宅主屋(交流休憩処かりや) 明治/1887頃/2012改修
木造2階建、鉄板葺、建築面積153㎡、1棟
若桜街道に西面して建つ木造二階建で、切妻造鉄板葺とする。正面の瓦葺の下屋は仮屋と称する通路で、南寄りに戸口を開く。内部は南が土間で、床上は二列六室とし、土間寄り中室は土間と一連の吹抜けとする。北西の座敷八畳は付書院を設けて丁寧な造作である。
(文化遺産オンラインより)
   


さらに
  


昭和おもちゃ館
あの日の記憶が鮮やかによみがえる昭和時代を彩ったおもちゃの数々が見学できます。売店では見かけることも少なくなった駄菓子やおもちゃを販売しており、タイムスリップした気分を味わってみてはいかがでしょう。
ただし、2回有料展示見学スペースは現在観覧できません。
(若狭観光ガイドサイトより)
           


旧街道をさらに進む。
       

駅前通りとの角に重厚な住宅がある。
       


さらに進むと、ところどころに仮屋(ひさし)を見ることができる。
              

太田酒造場、銘柄は「辨天娘」と「べんてんむすめ」、辛口でうまみもある。
      


街並みが平凡になってきた。
    


若桜迎賓館
築約80年(昭和9年築)の古民家を、格式高い伝統と趣、風情を残し和風造館として改修。
多種多様な交流施設として、平成28年11月19日にオープン。接遇(おもてなし)、交流(多種交流)、イベント、展示(生け花など)、研修に利用可。
(若狭観光ガイドサイトより)
     


帰途、太田酒造経由で駅に戻った。
        


Sep.22,2015 瀧山幸伸 source movie

                                                                                                                 


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