富山県富山市 常願寺川砂防施設
Joganji River Landslide Barriers,Toyama City,Toyama
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Oct.2021 / July 2022 酒井英樹
常願寺川砂防施設
撮影時期:令和4年(2022)7月:白岩堰堤、本宮堰堤
令和3年(2021)10月:泥谷堰堤
一級水系常願寺川水系は立山連峰の立山カルデラを水源として富山湾に注ぐ。水源からの標高差約3000mを河川流路延長56㎞で下る急流河川。明治時代、改修工事のために政府から派遣されたオランダ人の技師のヨハネス・デ・レーケが、余りにも急峻なため「これは川ではない。滝である」と言ったと伝えられている。
安政5年(1858)に発生した飛越地震で立山カルデラの鳶山(とんびやま)が大崩落を起こした。これに起因し、常願寺川に大土石流が発生し富山平野に甚大な被害を与えた。その後も膨大な不安定な土砂(現在2億㎥)がカルデラ内に残っているため、富山県にて明治39年(1906)常願寺川砂防事業が開始されたが、決壊が続いたため大正15年(1926)に国(内務省:現国土交通省)の直轄事業となり現在も事業は継続中である。
<白岩堰堤>
立山カルデラ内の土砂を安定させるため、一級水系常願寺川水系湯川のカルデラ出口部分に設けられた複合型砂防施設。完成後、幾度と増築を繰り返しているため現在では本堰堤と7基の副堰堤からなり、その落差は108mに及ぶ。
後に近代砂防の父と呼ばれる赤木正雄の計画ので柿徳市が設計し、昭和14年(1939)に完成した。本堰堤、副堰堤(現在の第一副堰堤)、床固(当初は副堰堤の床固であったが、現在は第二副堰堤)、方格枠などからなる上流部分が重要文化財に指定されている。
本堰堤は堤長76.0m、堤高20.0mの重力式コンクリート造堰堤。越流部と非越流部からなり経済性を考慮して越流部と非越流部が異なる断面形状を持つ。
副堰堤は富山県が建設し被災した湯川第一号堰堤[大正8年(1919)完成]の一部を修復して作られた。堤長31.5m、堤高10.0mの重力式コンクリート造堰堤。
床固は副堰堤の根固として築かれた。長さ37.0m、高さ33.0mのコンクリート造。
白岩堰堤(重要文化財指定部分平面図)
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【原図:文化庁文化財部資料より抜粋】
《本堰堤(越流部)》
《本堰堤(非越流部)》
《護岸》
《副堰堤、床固》
手前:副堰堤、奥:床固
床固
《導水堤》
完成後、砂防堰堤の能力を高めるため、補強工事として昭和28年(1953)に第三及び第五副堰堤、昭和35年(1960)に第四副堰堤、昭和53年(1978)に第六及び第七副堰堤が竣工して現在の形となった。
<泥谷堰堤>
渓流・山腹斜面の浸食や崩落を防止する目的で崩壊土砂上に築かれた階段式砂防施設。緩やかなカーブを描きながら標高差約120m、延長442mの急勾配斜面に19基の重力式コンクリート造堰堤と下流の3基の床固などからなる。
昭和5年(1930)に着工し、昭和7年(1932)に堰堤、昭和13年(1938)に床固が竣工。
最下流の第一号堰堤(下流から順次番号が振られている)が最大で堤長47.0m、堤高9.0mの規模を持つ。第二から上流は、第五堰堤まで堤長37.0~25.0m、第六より上流は堤長24.0mで統一され、一方堤高は一部を除き6.0mで統一されている。
<本宮堰堤>
常願寺川本川の扇頂部から上流9.3㎞の狭窄部に位置する。水源付近の砂防施設で抑えきれなかった土砂を富山平野の手前で捕捉し、下流の河床上昇を抑える目的で、昭和11年(1936)に竣工した。本堰堤と旧第一副堰堤からなる。
本堰堤は堤長107.4m、堤高22.0mでわが国最大級の貯砂容量を誇る重力式コンクリート造堰堤。
旧第一副堰堤は本堰堤の水叩直下流にあり、堤長96.2m、堤高6.0mの重力式コンクリート造堰堤。
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