トルコ共和国
Turkey
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Feb.2011 撮影/文:中山辰夫
人口:7290万人(2007年調査) 首都:アンカラ 面積:77.9万k㎡
アジアとヨ-ロッパにまたがる国である。
日本のおよそ2倍の国土を有し、その97%が黒海と地中海に突き出すアジア西端に巨大なアナトリア半島にある。
残り3%はヨ-ロッパ大陸のバルカン半島の東端トラキア地方にあって、ギリシャとブルガリアに接している。
首都はアンカラ(400万人)、トルコ第2の都市。最大の都市はイスタンブール(1300万人)で、3位はイズミール。
公用語はトルコ語、表記はアルファベットのローマ字を使用。日本語は通じない。
トルコの歴史(ガイドブックより)
アナトリアには紀元前6000年頃には人が住み始め、紀元前1800年頃には鉄の民族ヒッタイト人が最初の王国を建設以後、ペルシャ、ギリシャ、ローマ帝国、ビザンチン帝国、がこの地を支配する。
中央アジアの遊牧民で、西へ移動してきたトルコ民族が進出したのは11世紀。
コンヤに首都をおいて勢力を伸ばすがモンゴル軍に滅ぼされる。
1326年にはオスマン・トルコがアナトリアの支配者となる。1453年ビザンチン帝国が滅亡。
アジア・ヨローッパ・北アフリカの3大陸ニマタガルオスマン・トルコ帝国が誕生。
16世紀が最盛期で、19世紀には帝国が衰退、第一次世界大戦でドイツ側に参戦して敗退。
連合軍による国土分割の危機を救ったのがムスタファ・ケマル・パシャ(アタチュクル)で、救国戦争を指揮し、1923年トルコ共和国を樹立。彼によって現代トルコの基礎が築かれた。
トルコは、アタチュルクの近代化政策で政教分離され、宗教の自由が認められている。
国民の99%はイスラム教(スンニー派)で、モスクでは一日5回の祈りが捧げられ、豚を食べないなどの宗教上の規律が守られている。但し、他のイスラム教の国と異なり、飲酒する人は多い。
早分かり歴史年表(ガイドブックより)
トルコは世界で最も親日的な国の一つである。
トルコの近代化を成し遂げたアタチュルクが、日本の明治維新を研究して「日本に学べ」をスローガンにした。
1890年和歌山県沖で、岩礁に激突して沈没した「エルトゥール号沈没事件」が、トルコとの友好関係を示す例として上げられる。
生き残った乗組員たちは大島の村民たちに救助された。次々に漂着する負傷した外国人に、村民たちは悪戦苦闘しながらも献身的な介護を続け、結果69名のトルコ人の命を救われた。
さらに日本全国から義援金が寄せられ、トルコの遺族のもとへ送られた。
イラン・イラク戦争で、1985年イランに取り残された日本人約200人をトルコの航空機が救出するという事件があった。トルコでは百年前の「エルトゥール号沈没事件」が記憶に残されていた。
自給率100%を誇る農業が国の根幹に関わる重要産業で、主要作物は、小麦、米、綿、たばこ、ヘーゼルナッツなど。羊を中心とする牧畜業も盛んで、羊毛や羊皮革製品の世界的産地である。
家電や自動車など工業製品の生産も力を入れている。観光も主要産業の一つで、リゾート開発も進んでいる。
日本からイスタンブールまでの直行便で約13時間、乗り継ぎ便で約15時間の飛行である。
トルコの世界遺産
数は少ないが、多彩に溢れている。
国旗とその由来・・・トルコと三日月
トルコ国旗の由来は正確でない。
コンスタンチノーブルに入城したメフメット二世は、兵士たちの無残な姿を最初に目にした。
多くの兵士たちが血を流して死に絶えていた。その仲間の流した血溜まりの中に、細い三日月が映るのを見た。
彼はオスマン帝国のために流された血を永遠に忘れまいと決意し、この時、オスマンの旗を「赤地に三日月と星」に定めた。
三日月に関しては、別の言い伝えがある。
紀元前340年のこと、マケドニア王フィッリプ2世はビザンチンに夜間の奇襲攻撃をかけるべく軍を進めた。
然し、城壁の上にいた見張の兵隊たちが、三日月の薄明かりでマケドニアの進軍に気づき、直ちに味方の軍を集めた。
この迅速な対応でビザンチン軍は優位に立ち、マケドニア軍は諦めて後退していった。
この時以来、ビザンチンの市民は、勝利の三日月を市の紋章に決めた。
チューリップ
トルコはチューリップに代表される装飾用の鼻の原産地。チューリップの球根は1500年代にイスタンブールからオランダに持ち込まれ、英国やオランダで人気が高まった。1634年頃オランダでは「チューリップ狂」という言葉まで使われた。
このトルコの17世紀の優雅さと歓楽の時代を代表するのがチューリップの花であり、この時代を「チューリップ時代」と呼ばれる。
犠牲祭(クルバン・バイラム)
イスラム教徒の最大の年中行事。ラマザン(断食月)明けの祝祭。まさに日本の盆と正月が一緒に来た感じになる。
トルコはこの4日ほど休みになる。余裕のある家では、羊1頭を振舞ってまわりに提供すう。
人々は親戚や知人を訪ねて大移動を始める。犠牲祭りが近づくと羊が湧き出したようにあちこちに現れる。。
今回の旅行のルート一覧 全くのお任せ旅行、専用バス利用でした。
殆どが専用バスの移動である。
地域の詳細はわからないが窓からの眺めは多様に変化し、退屈しなかった。トルコを知るには時間が不足だった。
【お断り】
窓ガラスを介した撮影のため見苦しさがあること。説明と写真が一致しない所があること。説明上引用の写真を含めたことをお断り致します。
全体を通しての参考資料
《旅行社ガイドブック、イスタンプール・西北トルコ・イスタンプール歴史散歩、他》
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