和歌山県岩出市増田家住宅
Masudake,,Iwade city,Wakayama
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岩出市曽屋173 増田家住宅(和歌山県那賀郡岩出町) 主屋 重文 近世以前/民家 江戸中期 宝永3(1706) "居室部 桁行15.4m、梁間12.8m、入母屋造、南面玄関附属主屋座敷取合部 桁行4.0m、梁間6.1m、両下造、南面庇付座敷部 桁行10.2m、梁間6.1m、入母屋造、南北面及び西面庇付、風呂場及び便所附属総本瓦葺" 棟札2枚 19690312
岩出市曽屋173 増田家住宅(和歌山県那賀郡岩出町) 表門 重文 近世以前/民家 江戸中期 正徳2(1712) 長屋門、桁行21.6m、梁間4.0m、入母屋造、本瓦葺祈祷札2枚 19690312
July 2012 大野木康夫 source movie
2012.7.16撮影 所在地 和歌山県岩出市曽屋173 増田家はこの地方の大庄屋でこの住宅は宝永三年(一七〇六)に建立されたものである。
また長屋門は宝暦九年(一七五九)の建立になる。
屋敷も広く、大庄屋としての格式をうかがうことができる。
建立年代の明らかな大庄屋住宅として貴重であり、県下ではもっとも古い住宅である。
(国指定文化財等データベースより)増田家住宅は非公開です。
周辺の道路も狭く、駐車場もありません。
表門(重要文化財)正徳2(1712)年の建築
長屋門、桁行21.6m、梁間4.0m、入母屋造、本瓦葺
主屋(重要文化財)宝永3(1706)年の建築
居室部 桁行15.4m、梁間12.8m、入母屋造、南面玄関附属
主屋座敷取合部 桁行4.0m、梁間6.1m、両下造、南面庇付
座敷部 桁行10.2m、梁間6.1m、入母屋造、南北面及び西面庇付、風呂場及び便所附属
総本瓦葺
撮影:2007年9月
増田家はもと駿河今川家の家臣で、その滅亡後、根来寺を頼り、地侍となったという。家康の十男徳川頼信が紀伊国に入府してからは代々大庄屋を務めた家柄である。田園のなかに広い敷地を占め、敷地の南に長屋門形式の表門があり、中庭を隔てた奥に主屋を配する。
主屋は宝永3年(1706)、表門は宝暦9年(1759)の建築であることが棟札によって知られている。また主屋玄関は文化13年(1816)の上棟である。
主屋は南面する規模の大きな建物で、東(表門から向かって右側)を居室部、西(表門から向かって左側)を座敷部として別々の屋根をかけ、両者を取合部でつないでいる。居室部は当初東側に広い土間をとり、床上部は棟通りで表裏にわけて表に座敷(ヒロマ)、裏に居間2室(オイマ・ダイドコロ)を配したいわゆる前座敷三間取りの形式で、ダイドコロが土間に1間通り張り出し、又背後に小部屋2室(ダイドコロキタ)が附属する。歴代の藩主が休憩に用いたとされる座敷部は8畳2室(オク、オクノマ)からなり、回縁をもち、座敷飾がととのった書院造である。居室部との間は2間でここに8畳間があり、この背後に坪庭がある。取合部の前面に玄関が突出する形でついていた。
屋根は居室部が入母屋造、本瓦葺で、四周錣葺の下屋がめぐっている。座敷部も入母屋造、本瓦葺であり、取合部は両下造としている。
表門は間口12間、入母屋造、本瓦葺の長屋門で、両側が一部撤去されているが、建築年代の判明する古い長屋門として貴重である。
増田家の主屋は農家としてはごく早い時期に瓦葺とした例であり、外回りや建具に後世の改造が多いが構造体は当初部材がよく残しており、接客座敷がととのい、喰い違い三間取りの主屋平面や軸部など紀の川沿いの民家の特色を残し、構成屋敷構えも大庄屋の住宅として貴重である。
<主屋>
居室部:桁行15.4m、梁間12.8m、入母屋造、南面玄関附属
主屋座敷取合部:桁行4.0m、梁間6.1m、両下造、南面庇付
座敷部:桁行10.2m、梁間6.1m、入母屋造、南北面及び西面庇付、風呂場及び便所附属
総本瓦葺
江戸時代[宝永3年(1706)]
<表門>
長屋門、桁行21.6m、梁間4.0m、入母屋造、本瓦葺、腰なまこ壁
江戸時代[宝暦9年(1759)]
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