JAPAN GEOGRAPHIC

和歌山県かつらぎ町 笠田

(Kaseda, Katsuragi Town, Wakayama Pref.)


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May 3, 2024  野崎順次 source movie

笠田のまちはかつらぎ町の西部にあり、古くより紀ノ川の恵みを受けて発展してきました。平安時代には荘園がひらかれ、梓田荘(笠田の名の由来)は京都神護寺の寺領として栄えました。まち中には旧大和街道が通り、古い家並みに昔の面影が残っております。街道沿いにそびえる十五杜の楠は樹齢600年以上で近畿一番の大木です。西に行けば宝来山神社、万葉ゆかりの地、妹背山があり山頂よりみる笠田の里は絶景です。
(世界遺産の玄関口 笠田のまちパンフレット)

パンフレットと現地説明板

    

JR笠田駅付近

     

大和街道
紀北地方を流れる紀ノ川に沿って、東西に延びる大和街道。奈良時代、都が置かれていた大和から紀伊、淡路、四国を結ぶ官道として整備された南海道の一部にあたり、人びとの往来はもちろん、歴代天皇の行幸、紀州藩主の参勤交代などにも利用されてきました。
(わかやま歴史物語100ウェブサイト)

                               

牛つなぎ石
大和街道を往来する牛馬を休ませるためにこの石につないだところです。石うすをうまく利用しています。

       

さらに

          

県天然記念物 十五社の楠
笠田小学校となりの妙楽寺境内にそびえるクスは、「十五社(じごせ)の樟樹」と呼ばれ、町民に親しまれている。このクスは、平成12年の環境庁による巨樹・巨木調査によれば、幹周り13.4メートル、樹高20メートル、枝張り25メートルで、全国で43位、近畿地方では第1位である。昭和33年4月1日、県の天然記念物に指定された。樹齢は、樹木医の診断によると、600年を越えている。
(かつらぎ町観光協会ウェブサイト)

                        

妙楽寺

    

大和街道を東へ戻り、北へ、JR和歌山線の踏切を渡る。

          

小田井用水
橋本市から和歌山市に至る紀の川北岸の地域が、古くから干ばつに襲われやすかったことには理由があります。一帯は紀の川の流れが生み出した河岸段丘で、直接水を引くには土地の標高が高く、また溜め池だけでは水量が不足でした。 その問題を解決し、紀の川の豊かな流れを水源とする用水の開発が行われたのは元禄期です。
(中略)
藩命により、その開削に取り組んだのは、「治水の神様」と呼ばれる大畑才蔵(おおはたさいぞう)です。 続いて宝永4年(1707)には小田井用水の開削工事を開始しました。橋本市高野口町から紀の川市名手市場にかけての第一期工事を一年八ヶ月で完了させました。取水口は高野口町小田です。藤崎井よりもはるか上流にあり、より複雑な地形を通す難工事でした。
(水土里ネット小田井ウェブサイト)

           

国登文 小田井灌漑用水路小庭谷川渡井 明治/1909
煉瓦造単アーチ橋、橋長9.3m、幅員7.4m
紀ノ川に右岸から合流する堂田川に架かる水路橋。橋長9.3mの煉瓦造単アーチ橋で,石積の基部から煉瓦4枚厚のアーチを立ち上げ,スパンドレルはフランス積で築く。明治末期に着手された用水路改修工事の関連施設の中で,最初期に竣工した構造物。
(文化遺産オンラインウェブサイト)

       

このあたり、小田井用水はJR線路沿いに流れる。

      

その他

    

 

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