和歌山県かつらぎ町 丹生都比売神社
Niutsuhimejinja, Katsuragi town, Wakayama
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伊都郡かつらぎ町上天野230 丹生都比売神社本殿 重文 近世以前/神社 江戸中期 正徳5(1715) 一間社春日造、檜皮葺 宮殿4基 19650529
伊都郡かつらぎ町上天野230 丹生都比売神社本殿 重文 近世以前/神社 室町後期 文明(1469-1486)頃 一間社春日造、檜皮葺 19650529
伊都郡かつらぎ町上天野230 丹生都比売神社本殿 重文 近世以前/神社 明治 明治34(1901) 一間社春日造、檜皮葺 19650529
伊都郡かつらぎ町上天野230 丹生都比売神社本殿 重文 近世以前/神社 室町後期 文明元(1469) 一間社春日造、檜皮葺 19650529
伊都郡かつらぎ町上天野230 丹生都比売神社楼門 重文 近世以前/神社 室町後期 明応8(1499) 三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺 19080423
和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野230本尊:丹生都比売大神 高野御子大神 大食津比売大神 市杵島比売大神 丹生都比売神社は、和歌山県伊都郡かつらぎ町にある神社。
かつらぎ町
式内社(名神大社)、紀伊国一宮。旧社格は官幣大社
別称として「天野大社」「天野四所明神」とも。全国に約180社ある丹生都比売神を祀る神社の総本社である。また、日本三大厄神のうちの一つとされる。
高野山北西にある天野盆地に鎮座する。古くより高野山と深い関係にある神社である。当社背後の尾根上には高野山への表参道である高野山町石道(国の史跡、世界遺産)が通っており、当社は高野山への入り口にあたることから、高野山参拝前にはまず当社に参拝する習わしであったという
当社は国宝「銀銅蛭巻太刀拵」のほか、本殿および楼門などの重要文化財を現在に伝え、境内は国の史跡に指定されている。本殿、楼門および境内は、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されている。祭神の丹生都比売神については、『播磨国風土記』に、神功皇后の「新羅出兵」の際に丹生都比売神が託宣し、それにより呪術力のある赤土を得た皇后は勝利したとあり、この赤土とは硫化水銀のことで、神社はこの採掘や生産にかかわる丹生氏の氏神としての性格や水分(みくまり)の山神の性格を持つとされる。
(和歌山県の歴史散歩より)
全国にある「丹生」と名のつく土地・神社は、水銀の採掘に携わった氏族(丹生氏)と深い関係にあることが明らかとなっている。
これ丹生一族が水銀採掘で一大勢力を築いたが、その枯渇に際して天野や三谷で帰農、当社も水神信仰に変化したという考えもある。
(『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)境内は国史跡であり、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されている。
鏡池周辺
外鳥居〜輪橋〜禊橋周辺
楼門 国重要文化財 1499(明応8)年建立 三間一戸楼門 入母屋造 檜皮葺 拝殿を兼ねる
本殿 春日造 国重要文化財 幣殿を挟んだ石垣の上に4棟並んで鎮座している。向かって右が第一殿で第四殿まで並ぶ。
一殿は1715(正徳5)年、二殿・四殿は1469(文明元)年、三殿は1901(明治34)年に再建される。各社殿内には1306(嘉元)年作の厨子の宮殿が納められる。第一殿側面
そのた
楼門をはさんで神饌所(左)・拝殿(右)、佐波神社、など石造五輪卒塔婆群、多宝塔後、御影堂跡、など 和歌山県文化財
鎌倉時代末期から南北朝時代に山伏がこの地で修法して建てたもので神仏習合を示す。紀ノ川に面した嵯蛾浜に立ち、当初より同じ場所とされる。
銘文には、五輪卒塔婆の造立の趣旨は、曼荼羅の功徳を述べたもので、紀ノ川の南岸にある慈尊院から始まる町石道は、曼荼羅の諸尊を町石で表した立体の曼荼羅世界であると記されている。
A camera
B camera
町石道から紀ノ川を望む
神社付近の村
2012.7.16撮影
所在地 和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野230 丹生都比売神社はかつらぎ町天野に鎮座しています。
紀和を中心に広がる丹生都比売大神を祀る神社の総本社で、旧官幣大社、日前宮・国懸宮、伊太祁曽神社と並び、紀伊国一宮とされていました。
また、高野山とも関係が深く、金剛峯寺の山王院本殿の第一殿も丹生明社です。
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産に登録されており、交通が不便な山間部に鎮座しているにもかかわらず、多くの人が訪れています。
駐車場から見た太鼓橋
正面鳥居から太鼓橋を渡って楼門前に進みます。
楼門(重要文化財)明応8(1499)年の建築
三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺 本殿の正面に位置しており、拝殿を兼ねています。
御祈祷を受ける方のみ、門の下に入ることができます。
本殿(重要文化財)丹生明神、髙野明神、気比明神、厳島明神を一殿づゝにまつるので、四棟の本殿となつている。
四棟とも文明元年(一四六九)の建立になる。
なお殿内の宮殿は鎌倉時代の作で、優品である。
(国指定文化財等データベースより)楼門の奥、小さな幣殿を挟んだ石垣の上に4棟並んで鎮座しています。
いずれも鮮やかな色彩の建物です。
第一殿
正徳5(1715)年の建築
一間社春日造、檜皮葺
第二殿
文明年間(1469-1486)頃の建築
一間社春日造、檜皮葺
第三殿
明治34(1901)年の建築
一間社春日造、檜皮葺
第四殿
文明元(1469)年の建築
一間社春日造、檜皮葺
Oct.2006/Jun.2010 酒井英樹
≪楼門≫
平成18年(2006)撮影
平成22年(2010)撮影
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