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和歌山県紀の川市 旧名手本陣妹背家住宅

Kyu Natehonjin Imoseke,Kinokawa city,Wakayama

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紀の川市名手市場641 旧名手本陣妹背家住宅(和歌山県那賀郡那賀町) 主屋 重文 近世以前/民家 江戸中期 "享保3(1718)(居室部)延享3(1746)(座敷部)" "居室部 桁行16.3m、梁間12.1m、入母屋造、桟瓦葺、東西南北各面庇付、本瓦及び桟瓦葺、玄関附属座敷部 桁行13.9m、梁間7.0m、北端入母屋造、南端居室部に接続、桟瓦葺、東面及び北面土庇附属" 19690312

紀の川市名手市場641 旧名手本陣妹背家住宅(和歌山県那賀郡那賀町) 米蔵 重文 近世以前/民家 江戸中期 江戸中期 土蔵造、桁行9.7m、梁間5.0m、一部二階、切妻造、桟瓦葺、東面及び北面土庇付 19690312

紀の川市名手市場641 旧名手本陣妹背家住宅(和歌山県那賀郡那賀町) 南倉 重文 近世以前/民家 江戸中期 江戸中期 土蔵造、桁行6.6m、梁間4.1m、二階建、切妻造、本瓦葺、南面及び北面土庇付 19690312


July 6, 2024 野崎順次 source movie

和歌山県紀の川市名手市場
旧名手本陣役所


役所の主屋と離れ・蔵が復元され、現在は外構工事中であるが、快く見学させていただいた。

関連資料

        
主屋

                    

離れ・蔵


         

 


May 11, 2024  野崎順次 source movie

和歌山県紀の川市名手市場641
旧名手宿本陣
(Former Officially Appointed Inn at Nate Post Town, Kinokawa City, Wakayama Pref)

1630年(寛永7年)より名手の大庄屋を勤めた地士頭妹背家の邸宅。名手宿にあって大和街道に面していたため参勤交代時の本陣として定められ、名手本陣と称されていた。
現在の本陣は正徳の火災の後に、享保から宝暦年間にかけて再建されたものである。 主屋の西に2つある蔵は、寛永年間の棟札があることから、火災から焼け残った可能性も考えられている。

国指定史跡 旧名手宿本陣 - 1970年4月2日指定(指定基準:史6)、東西約40m、南北約80m

国指定重要文化財 旧名手本陣妹背家住宅 3棟(1969年3月12日指定)
主屋
居室部 - 享保3年(1718年)築、桁行16.3m、梁間12.1m、入母屋造、桟瓦葺、玄関附属
座敷部 - 延享3年(1746年)築、桁行13.9m、梁間7.0m、入母屋造、桟瓦葺、東面及び北面土庇附属

米蔵 - 江戸時代中期築、土蔵造、桁行9.7m、梁間5.0m、一部2階、切妻造、桟瓦葺、東面及び北面土庇
南倉 - 江戸時代中期築。土蔵造、桁行6.6m、梁間4.1m、2階建、切妻造、本瓦葺、南面及び北面土庇付
(ウィキペディア「旧名手宿本陣」)

パンフレットと現地説明板

    

旧大和街道から見る。白い築地塀と通用門と御成門。

   

主屋外部を左回りに見て行く。

                                        

主屋のドマに入る。居室部を見る。

                           

南倉

    

米蔵

   

庭園跡

       

旧大和街道を西へ歩く。

            

帰途

            


February,2023 大野木康夫 source movie

駐車場から入口へ
  


主屋(重要文化財)
                                         


米蔵(重要文化財)
        

南倉(重要文化財)
                 


July 2012 瀧山幸伸 source movie

   

宿場の街並

   

                                                


July 2012 大野木康夫 source movie

 

2012.7.16撮影 

 

所在地 和歌山県紀の川市名手市場641

 

妹背家はもともとこの地方の土豪で江戸時代には大庄屋であった。

この住宅は大和街道に面していたので本陣として用いられた。

現在の住宅は享保三年(一七一八)に建立されたものである。

敷地内に倉も二棟殘り、旧本陣としての規模を伝えている。

この住宅は建立年代が明らかで本陣遺構としても価値が高い。

(国指定文化財等データベースより) 旧名手本陣妹背家住宅は紀の川市の名手地区にあります。

現在は紀の川市教育委員会が管理し、無料公開されています。

      

外構

    

主屋(重要文化財)居室部は享保3(1718)年、座敷部は延享3(1746)年の建築

居室部 桁行16.3m、梁間12.1m、入母屋造、桟瓦葺、東西南北各面庇付、本瓦及び桟瓦葺、玄関附属

座敷部 桁行13.9m、梁間7.0m、北端入母屋造、南端居室部に接続、桟瓦葺、東面及び北面土庇附属

                       

主屋内部

                         

米蔵(重要文化財)江戸時代中期の建築

土蔵造、桁行9.7m、梁間5.0m、一部二階、切妻造、桟瓦葺、東面及び北面土庇付

      

南倉(重要文化財)江戸時代中期の建築

土蔵造、桁行6.6m、梁間4.1m、二階建、切妻造、本瓦葺、南面及び北面土庇付

      


Mar.2011 酒井英樹

撮影:2009年3月

妹背家は中世以降紀伊八庄司の一つにあげられた名家であって、名手庄および丹生谷を領した土豪であった、近世徳川氏の入部後も地士頭の扱いをうけ、寛永7年からは名手組の大庄屋となり、その後、代々庄屋を世襲した。

妹背家のある名手市場は大和街道の宿駅で、屋敷地をこの街道に面してとる。

そのため参勤交代や鷹狩りの際には、藩主が当家に宿泊するようになり、以後本陣の名で知られるようになった。

現在の住宅は正面南に門を構え、主屋は居室部と座敷部からなり、土間西には二棟の土蔵が並ぶ。背面にはかつて藩役所も付設されていた。

名手市場は正徳4年(1714)に大火があって妹背家も類焼したが、享保3年(1718)に藩主を迎えるために新築されている。

現存する主屋はこの時のものであるが、その後、宝暦初年には屋根の茅やこけら葺を現在のように瓦葺に改められた。

主屋は桁行8間、梁間6間で正面と背面は屋根の流れをを一段下げて庇とする。

入側の柱は1間ごとに立ち古めかしい。

主屋から角屋風に突出する座敷部へは正面式台を入って畳敷の入側を回って至る。

座敷部の東面と北面には土庇がつき、床・棚のつく奥の主室には鞘の間を回し拡張を高めている。

妹背家住宅は建築年代が明らかで、また主屋と座敷部の構成も本陣としての特徴をよく示しており重要な遺構である。

附属する土蔵のうち北倉は米蔵、南倉は道具蔵として用いられたもので、ともに寛永年間に建てられている。この住宅は地士階級の屋敷構えをよく伝えて重要である。

主屋

居室部:桁行16.3m、梁間12.0m、入母屋造、桟瓦葺、庇本瓦葺、玄関附属

座敷部:桁行14.1m、梁間7.0m、北端入母屋造、南端居室部に接続、桟瓦葺、東面及び北面土庇付

江戸時代[享保3年(1718)]

       

主屋内部

  

米倉

土蔵造、桁行9.7m、梁間5.0m、一部二階、切妻造、本瓦葺、東面及び北面土庇付

江戸時代[寛永11年(1634)]

   

 

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