和歌山県紀の川市 鞆渕八幡神社
Tomobuchihachimanjinja, Kinokawa city, Wakayama
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紀の川市粉河町中鞆渕58 鞆淵八幡神社大日堂 重文 近世以前/寺院 室町前期 室町前期 桁行五間、梁間五間、一重、寄棟造、本瓦葺 厨子1基 19310119
紀の川市粉河町中鞆渕58 鞆淵八幡神社本殿 重文 近世以前/神社 室町中期 寛正3(1462) 三間社流造、向拝一間、檜皮葺 棟札8枚 19360420
September 8,2024 大野木康夫
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【わかやまの文化財から引用】
紀の川の支流真国川に沿った北側の台地に位置する。祭神は仲哀天皇、応神天皇、姫大神とする。神社の創建は明らかでないが、寛弘5年(1008年)の官寺牒国衙状によれば、当時既に八幡神社領として夫役、租税の免除地であったと記されている。『紀伊続風土記』によれば、帝の詔勅により安貞2年(1228年)に石清水八幡宮を遷座したことが記され、社蔵の神輿(国宝)は同年、石清水八幡宮から送られたものという。建武年間(1334年~1338年)には後醍醐天皇によって、当荘園が高野山に寄進されたことにより、次第にその支配下に組み込まれていった。
神輿庫
大日堂(重要文化財)
【わかやまの文化財から引用】
八幡神社の神宮寺の本堂で、大御堂とも呼ばれた。境内の右寄りの本殿より一段低いところに建つ。神宮寺当時の名残を思わせる堂々とした建物で、桁行五間、梁間五間、一重、寄棟造、本瓦葺である。建立年代は構造手法から見て室町時代前期と考えられる。内陣の須弥壇上に厨子を置いている。この厨子は屋根が作られていない三間厨子で、様式から大日堂と同じ頃に作られたものと考えられる。
本殿(重要文化財)
【わかやまの文化財から引用】
本殿は、棟札によると寛正3年(1462年)に再建されたもので、構造手法も室町時代中期の建築の特徴をよく表している。三間社流造、檜皮葺の社殿で、正面に一間の向拝を付ける。この本殿は県内には類例のないいわゆる「前室付き」の三間社流造で、蟇股や手挟み等の彫刻は京都系の細部意匠を持っており、石清水八幡宮の別宮として創建された当社の京都との関係が窺える。屋根は現在檜皮葺であるが、先年の調査により元は厚板葺であったことが判明した。
摂社若宮社(紀の川市指定文化財)
18世紀前半の建築
三間社流造、檜皮葺
摂社高良社(紀の川市指定文化財)
18世紀前半の建築
三間社流造、檜皮葺
参道
大日堂
本殿へ
本殿
本殿細部
駐車場からの眺め
A camera
B camera
付近の民家
2012.7.16撮影
所在地 和歌山県紀の川市中鞆渕58
鞆渕八幡神社は、紀の川市の旧粉河町南部、中鞆渕に鎮座しています。
鞆渕地区は貴志川上流の真国川が流れており、旧桃山町から高野山方面に向かう県道が通じています。
唯一の公共交通機関である紀の川市のコミュニティバスが1日3〜4往復なので、自動車で訪問する方がよいと思います。神社には参拝者用の駐車場もあります。
山腹にある駐車場から参道に向かいます。
付近には大きな杉の木が林立しています。
鞆渕八幡神社といえば国宝指定の沃懸地螺鈿金銅装神輿(平安時代)です。
境内の収蔵庫に納められています。
大日堂(重要文化財)室町前期の建築
桁行五間、梁間五間、一重、寄棟造、本瓦葺鳥居から本殿に向かって左手が収蔵庫、右手が大日堂です。
かつては神宮寺のものであったと思われます。
本殿に向かう石段の近くに建っているので、屋根の細部を間近で撮影することができました。
本殿(重要文化財)寛正3(1462)年の建築
三間社流造、向拝一間、檜皮葺石段の上、拝殿からまた登ったところの瑞垣の中に建っています。
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