和歌山県高野町 高野山大門
Koyasan Daimon,Koya town,Wakayama
Category
|
Rating
|
Comment
|
General
|
|
|
Nature
|
|
|
Water |
|
|
Flower |
|
|
Culture |
|
|
Facility | ||
Food |
September 8,2024 大野木康夫
source movie
早朝6時の撮影
【わかやまの文化財から引用】
大門は高野山の西端に位置し、山内の正門である。最初は鳥居形式で、現在地より数百メートル下方にあったと伝えられる。3、4度の焼失を経て宝永2年(1705年)に再建されたのが現在の建物である。五間三戸、二階二重門、瓦棒銅板葺で、高野山の正門にふさわしい大規模な門である。
高野山 大門
高野山内への西の入り口には、丹(に)塗りの大きな門が建っており、大門と呼んでいます。現在のような門となる以前は、数百メートル下方の旧道、「九折谷」という場所に鳥居があって、これが門になる前身だといわれています。現在の位置に移された時期は、永治元年(1141)ともいわれ、その際、鳥居から門の形式に変更されました。さらに寛喜2年(1230)には五間二階の楼門に改められたと記録されています。その後、天正5年(1577)に焼失しましたが、慶長9年(1640)、木食応其上人(もくじきおうごしょうにん)によって再建されました。
現在の大門は、元禄元年(1688)に焼失したことにより、同13年(1700)5月造営の釿始を行ない、同14年7月大門中柱を建て始め、同16年9月上棟、宝永2年(1705)8月に至って落慶供養が行われました。その後、文政元年(1818)に屋根、箱棟の修理が行われ、近年においては明治28年(1895)に屋根の部分修理および二階の縁廻り、一階側柱の根継が行われており、昭和61年(1986)には、全面解体修理が施されました。この時、白木の状態であった表面を丹塗りとし、昔の状態に戻されました。
大門の中央二本の正面柱には、「日々影向文」(にちにちようごうぶん)の後二句が柱聯(ちゅうれん)として掲げられています。
(高野山霊宝館ウェブサイトより)
パンフレット、現地説明板など
国重文 金剛峯寺大門 江戸中期 宝永二年(1705)
五間三戸二階二重門、入母屋造、瓦棒銅板葺
大門
高さ25.1m、一山の総門である。現在のものは1705(宝永2)年に再建された。両脇に金剛力士像を配置する
金剛峯寺大門
Kongobuji Daimon
高野山はもう何回目かわからないくらい訪れていますが、有田川から北上して大門前に行くルートは初めてです。大門(重要文化財)
宝永2(1705)年の建築
五間三戸二階二重門、入母屋造、瓦棒銅板葺髙野山の総門であって、今の建物は宝永2年(1705)の作。
巨大な五間三戸二階二重門であって、江戸中期の代表的建築である。
(国指定文化財等データベースより)
大門
大門
大門(重要文化財)
宝永2(1705)年の建築
五間三戸二階二重門、入母屋造、瓦棒銅板葺
大門
Daimon
A camera
B camera
All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中