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和歌山県高野町 高野山大門

Koyasan Daimon,Koya town,Wakayama

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伊都郡高野町高野山132 金剛峯寺大門 重文 近世以前/寺院 江戸中期 宝永2(1705) 五間三戸二階二重門、入母屋造、瓦棒銅板葺 棟札1枚 19650529


September 8,2024 大野木康夫 source movie

早朝6時の撮影
【わかやまの文化財から引用】
大門は高野山の西端に位置し、山内の正門である。最初は鳥居形式で、現在地より数百メートル下方にあったと伝えられる。3、4度の焼失を経て宝永2年(1705年)に再建されたのが現在の建物である。五間三戸、二階二重門、瓦棒銅板葺で、高野山の正門にふさわしい大規模な門である。

                              

 


September 3, 2017 野崎順次 source movie

高野山 大門

高野山内への西の入り口には、丹(に)塗りの大きな門が建っており、大門と呼んでいます。現在のような門となる以前は、数百メートル下方の旧道、「九折谷」という場所に鳥居があって、これが門になる前身だといわれています。現在の位置に移された時期は、永治元年(1141)ともいわれ、その際、鳥居から門の形式に変更されました。さらに寛喜2年(1230)には五間二階の楼門に改められたと記録されています。その後、天正5年(1577)に焼失しましたが、慶長9年(1640)、木食応其上人(もくじきおうごしょうにん)によって再建されました。

現在の大門は、元禄元年(1688)に焼失したことにより、同13年(1700)5月造営の釿始を行ない、同14年7月大門中柱を建て始め、同16年9月上棟、宝永2年(1705)8月に至って落慶供養が行われました。その後、文政元年(1818)に屋根、箱棟の修理が行われ、近年においては明治28年(1895)に屋根の部分修理および二階の縁廻り、一階側柱の根継が行われており、昭和61年(1986)には、全面解体修理が施されました。この時、白木の状態であった表面を丹塗りとし、昔の状態に戻されました。

大門の中央二本の正面柱には、「日々影向文」(にちにちようごうぶん)の後二句が柱聯(ちゅうれん)として掲げられています。

(高野山霊宝館ウェブサイトより)

パンフレット、現地説明板など

       

国重文 金剛峯寺大門 江戸中期 宝永二年(1705)

五間三戸二階二重門、入母屋造、瓦棒銅板葺

                                       


May 2,2017 中山辰夫

大門

                

高さ25.1m、一山の総門である。現在のものは1705(宝永2)年に再建された。両脇に金剛力士像を配置する


Aug.26,2016 瀧山幸伸

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金剛峯寺大門

Kongobuji Daimon

     


June 9,2013 大野木康夫 source movie

高野山はもう何回目かわからないくらい訪れていますが、有田川から北上して大門前に行くルートは初めてです。大門(重要文化財)

宝永2(1705)年の建築

五間三戸二階二重門、入母屋造、瓦棒銅板葺髙野山の総門であって、今の建物は宝永2年(1705)の作。

巨大な五間三戸二階二重門であって、江戸中期の代表的建築である。

(国指定文化財等データベースより)

                   


July 2012 瀧山幸伸 source movie

大門

        

       


July 16 2012 大野木康夫 source movie

大門

     


Nov.2010 大野木康夫

 

大門(重要文化財)

宝永2(1705)年の建築

五間三戸二階二重門、入母屋造、瓦棒銅板葺

                 


July 2010 瀧山幸伸 source movie

大門

Daimon

A camera

                  

B camera

                                           


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