和歌山県高野町 高野山金剛峯寺
Kongobuji,Koya town,Wakayama
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September 8,2024 大野木康夫
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金剛峯寺本坊
令和6年1月19日付けで和歌山県指定文化財であった金剛峯寺本坊の諸堂12棟が重要文化財に指定されたので撮影に行きました。
【わかやまの文化財から引用】
現在、高野山真言宗の総本山金剛峯寺として寺域を区切り、大主殿(だいしゅでん)や宗務所などのある一角は、明治以前には青厳寺(せいがんじ)と称し、高野山全山を統率する寺院があった。青厳寺は天正20年(1592年)に豊臣秀吉が創建し、後に3度も焼失し、文久2年(1862年)に再建されたものがほぼ現在の建物である。
巨大な大主殿、奥書院を中心に鐘楼、経蔵、護摩堂、真然堂が建ち並び、正面に四脚門(しきゃくもん)形式の山門、東に長屋門(ながやもん)形式の会下門を開き、南面から西面にかけ長大なかご塀及び築地塀(ついじべい)を建て廻す。
入口
山門(重要文化財)
延宝8(1680)年の建築
一間四脚門、切妻造、檜皮葺
かご塀(山門西方)(重要文化財)
慶応元(1865)年頃の建築
木造、折曲り延長四九・八メートル、一重、切妻造、檜皮葺、戸口一箇所付
かご塀は見た目は築地塀ですが、内部に空間があり、倉庫として使用されています。山門東方の格子窓がある部分はかつては番所として使用されていました。
かご塀(山門東方)(重要文化財)
慶応元(1865)年頃の建築
木造、折曲り延長六二・五メートル、一重、切妻造、檜皮葺、戸口三箇所付
大主殿及び奥書院(大主殿)
文久2(1862)年の建築
東西五三・八メートル、南北二八・〇メートル、一部二階建、入母屋造及び切妻造、南面及び西面軒唐破風付、檜皮葺、南面大玄関及び小玄関附属
西側の客殿と東側の庫裏を接続した建造物で、南側に大玄関が張り出しており、複雑な屋根の形状が特徴的です。内部拝観は8時30分からです。
大主殿及び奥書院(奥書院)(重要文化財)
文久2(1862)年の建築
座敷棟及び居室棟よりなる
座敷棟 桁行一五・八メートル、梁間九・九メートル、入母屋造、檜皮葺
居室棟 桁行一二・〇メートル、梁間五・九メートル、両下造、檜皮葺、東面廊下附属
大主殿西の回廊から撮影しました。
大主殿西側庭園
築地塀(北方)(重要文化財)
文禄2(1593)年頃の建築
折曲り延長五〇・二メートル、切妻造、檜皮葺
築地塀(南方)(重要文化財)
文禄2(1593)年頃の建築
折曲り延長四〇・一メートル、切妻造、檜皮葺
蟠龍庭
真然堂(重要文化財)
寛永17(1640)年の建築
桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、向拝一間、檜皮葺
大主殿北側から延びる廊下(指定外)の突き当りから見えますが、唐門の陰になっています。
護摩堂(重要文化財)
文久3(1862)年の建築
桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、向拝一間、檜皮葺
木の陰で屋根の一部が覗いているだけです。
経蔵(重要文化財)
延宝7(1679)年の建築
土蔵造、桁行五・九メートル、梁間四・〇メートル、二階建、覆屋附属、桁行六・五メートル、梁間四・七メートル、入母屋造、東面前室付、唐破風造、檜皮葺
境内西側に建っています。
鐘楼(重要文化財)
元治元(1864)年の建築
桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、檜皮葺
山門の東側に建っています。
会下門(重要文化財)
慶応元(1865)年頃の建築
長屋門、桁行一九・二メートル、梁間五・一メートル、入母屋造、檜皮葺
境内の東の入口になっています。
会下門から見た境内
六時鐘楼(附指定)
慶応元(1865)年の建築
桁行三間、梁間三間、入母屋造、檜皮葺
境内の南側の石垣の上に建っています。駐車場からもよく見えます。
December 24, 2022 野崎順次 source
movie
パンフレット
県文 正門(表門) 江戸末期 文久二年 (1862)
県文 経蔵 江戸前期 延宝七年(1679)
県文 鐘楼 江戸末期 元治元年(1864)
県文 主殿 江戸末期 文久二年(1862)
大玄関
鐘楼、正門、主殿
主殿内部から渡り廊下
四季の中庭
別殿
蟠龍庭(ばんりゅうてい)
主殿に戻り、
県文 真然廟 江戸前期 寛永十七年(1640)
千住博画伯と奉納襖絵「断崖図」「瀧図」
土室
台所
県文 下門 江戸末期
近くの道路
参考資料
金剛峯寺公式ウェブサイト
高野山真言宗
金剛峯寺
弘法大師空海は816(弘仁7)年に高野山に真言密教の道場を開き、そこを『金剛峯楼閣瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくゆがゆぎきょう)』というお経からとって「金剛峯寺」と名付けました。
その後、1593(文禄2)年に豊臣秀吉の亡母の菩提を弔うために建立された青巌寺(せいがんじ)が、1869(明治2)年に興山寺(こうさんじ)と合併し、「金剛峯寺」と改称されました。
「総本山金剛峯寺」と言うと高野山全体を指し、「金剛峯寺」と言うと寺院を指す場合があります。ちょっとややこしいですが理由を知ると奥が深いですね。
高野山真言宗の総本山で、全国三千六百ヶ寺・信徒1千万の宗務を司っています。
※高野山真言宗…高野山奥之院・弘法大師御廟を信仰の源泉とし、壇上伽藍を修学の場所として真言密教の教えと伝統を伝えている。
(retrip ウェブサイトより)
金剛峯寺の建物九棟は一括で和歌山県指定文化財。
パンフレットなど
県文 山門 江戸末期 文久二年 (1862)
県文 かご塀 江戸末期
それから
県文 経蔵 江戸前期 延宝七年(1679)
境内
県文 鐘楼 江戸末期 元治元年(1864)
県文 会下門 江戸末期
県文 大主殿 江戸末期 文久二年(1862)
大玄関
大主殿内部から渡り廊下
別殿、新別殿
蟠龍庭(ばんりゅうてい)
大主殿に戻る。
県文 真然廟 江戸前期 寛永十七年(1640)
大主殿 台所と土室
参考資料
金剛峯寺公式ウェブサイト
金剛峯寺
Kongobuji
金剛峯寺
蛇腹道の紅葉を見ながら金剛峯寺大主殿に向かいました。
文久2(1862)年の建築
大主殿(和歌山県指定文化財)
文久2(1862)年の建築
屋根の天水桶と梯子が特徴的です。
蟠龍庭
大主殿の西側、奥殿(非公開)の南に広がっています。
日本最大の石庭(2,340㎡)だそうです。
再び大主殿に戻りました。
真然堂(和歌山県指定文化財)
寛永17(1640)年の建築
大主殿の北側にあります。
会下門(和歌山県指定文化財)
江戸時代末期の建築
大主殿の東側です。ここから徳川家霊台に向かいます。
金剛峯寺
Kongobuji
A camera
B camera
金剛峯寺
Kongoubuji
May 2004 瀧山幸伸 source movie
金剛峯寺
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