和歌山県高野町 高野山 徳川家霊台
(Mausolea of the Tokugawa,Koya Town, Wakayama Pref.)
Category
|
Rating
|
Comment
|
General
|
|
|
Nature
|
|
|
Water |
|
|
Flower |
|
|
Culture |
|
|
Facility | ||
Food |
伊都郡高野町高野山132 金剛峯寺徳川家霊台 家康霊屋 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永18(1641) 桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、向拝一間、軒唐破風付、銅瓦葺厨子1基 19260419
伊都郡高野町高野山132 金剛峯寺徳川家霊台 秀忠霊屋 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永10(1633) 桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、向拝一間、軒唐破風付、銅瓦葺厨子1基 19260419
September 8,2024 大野木康夫
source movie
【わかやまの文化財から引用】
元は山内の一寺院であった大徳院(明治期に他の寺院と合併して廃寺)の建物で、寛永18年(1641年)の建立。桁行三間、梁間三間、一重宝形造、向拝一間、軒唐破風付き、瓦棒銅板葺で、家康霊屋と秀忠霊屋が並んで建つ。外部は素木だが、飾り金具を重ね張りにし、彫刻をふんだんにはめ込み、極めて装飾華美である。内部は全面を漆、彩色、障壁画で飾り立て、須弥壇と厨子は蒔絵のあらゆる手法を駆使し、七宝をはめ込んだ金具を入れ、その空間は当時の装飾技法の粋が凝縮した見事なものである。
秀忠霊屋(重要文化財)
家康霊屋(重要文化財)
和歌山県高野町高野山 徳川家霊台
(Mausolea of the Tokugawa, Koya Town, Wakayama Pref.)
徳川家霊台とは、徳川家康と秀忠をまつる東照宮をいいます。この場所は本来、聖派(ひじりは)の代表寺院である大徳院の境内だったのですが、大徳院自体は明治になって他の寺院と合併して現存しませんので、霊台だけが残りました。大徳院は、代々徳川家との関係が深い寺院で、後に家康によって、それまで蓮華院と呼んでいたのを、「大徳院」と改められたともいわれています。
大徳院に東照宮を勧請(かんじょう)することを、早い時期から幕府に参画していた天海僧正に願い出ていたらしく、造営に着工したのは寛永10年(1633)頃で、同16年には、正式に将軍家光より認可され、同20年に竣工し、4月17日には落慶法要が行われました。
建物は桁行(けたゆき)三間、梁間(はりま)三間、一重宝形造、一間の向拝を有しています。屋根は瓦棒銅板葺と呼ばれるものです。内部は絢爛豪華(けんらんごうか)な須弥壇(しゅみだん)と厨子(づし)を設け、蒔絵などが施されています。
(高野山霊宝館ウェブサイトより)
パンフレット、現地説明板
国重文 家康霊屋 一棟(附 厨子 一基)
透塀越し、左回り
国重文 秀忠霊屋 一棟(附 厨子各 一基)
透塀越し、左回り
徳川家霊台
これまでは透塀越しに撮影していましたが、中門が開いており、瑞垣内に設けられた木柵のところまで入ることができました。秀忠霊屋(重要文化財)
寛永10(1633)年の建築
桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、向拝一間、軒唐破風付、銅瓦葺
家康霊屋(重要文化財)
寛永18(1641)年の建築
桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、向拝一間、軒唐破風付、銅瓦葺家康霊屋は右手の扉が半開きになっていて、学生さんらしき団体が内部に入っておられました。
厨子や障壁画があるはずですが、ストロボ撮影をされていたのは文化財保護上少し困ったものです。
徳川家霊台
June 2011 酒井英樹
金剛峯寺 徳川家霊台
和歌山県高野町
撮影時期:2011年6月
<家康霊屋>
正面3間、側面3間、一重、組物禅宗樣三手先詰物、二軒繁垂木、宝形造、向拝1間、軒唐破風付、銅板葺
江戸時代[寛永18年(1641)]
<秀忠霊屋>
正面3間、側面3間、一重、組物禅宗樣三手先詰物、二軒繁垂木、宝形造、向拝1間、軒唐破風付、銅板葺
江戸時代[寛永10年(1633)]
徳川家霊台(重要文化財)
家康と秀忠の霊屋が2棟並んでいます。
東側(向かって右側)が家康霊屋、西側が秀忠霊屋です。
家康霊屋
寛永18(1641)年の建築
桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、向拝一間、軒唐破風付、銅瓦葺
秀忠霊屋
寛永10(1633)年の建築
桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、向拝一間、軒唐破風付、銅瓦葺
金輪塔
天保5(1834)年の再建
徳川家霊台のすぐ西南にあります。
徳川霊台付近
Tokugawa reidai
All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中