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和歌山県九度山町 善名称院(真田庵)

Zenmyoshoin(Sanadaan), Kudoyama town, Wakayama

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May 2.2017 中山辰夫

5月4日〜5日に行われる「真田祭り」を数日後に控え、町中にはその準備の様子が随所に見られた。

駐車場から九度山駅に向かって歩く 

丹生川には鯉のぼり

真田ミュージアムが平成28年3月ニオープンした

        

真田庵(善名称院)—奈良県指定史跡 ぼたんが全開でした

          

真田古墳と対面石

        

南海高野線九度山駅−標高94m

      


May.2,2015 中山辰夫

真田庵

和歌山県伊都郡九度山町九度山1413真田庵が所在する九度山町。

   九度山町の概説

紀の川の南岸にあり、そこに流れ込む不動谷川の川筋に沿ってできた谷間と、さらにそこへ東から流れ込む丹生川による谷間からなる。高野山への通り道である。

元来、この地方は空海の高野山開創に依って栄えてきた。域内には弘法大師空海の母が暮らしていたという慈尊院があり、空海は月に9度母に会いに来ていたことから九度山の地名が付いたと伝わる。鎌倉期になって高野参詣は非常に盛んとなり、その参詣道は九度山町の東部を縦貫する町石道であった。

町石道には慈尊院から高野山の奥之院までの約24kmの間に216基の町石(1町は約109m)が建てられている。

町石とともに36町(約4km)毎に里石(りいし)が建っており、これがメートル法の前に使われていた36町を1里とする里制の起こりといわれる。

  

戦国の動乱期には、関ヶ原の戦いで敗れた真田昌幸、幸村父子が高野へ配流され、九度山に閑居し、後に昌幸は同所で没し、幸村は大坂冬の陣、夏の陣で活躍後、戦死した。

明治に入ると高野寺領も明治4年の廃藩置県で和歌山県下となった。また、交通機関の整備で、物資の集散地及び宿場町として栄えてきた九度山町の姿は柿、みかんなどの果樹栽培を中心とした地域に変貌した。最寄駅の南海電車九度山駅周辺

                 

街なかは高野山1200年祭や5月3〜5日に行われる「真田まつり」の案内で賑わう。

真田庵

和歌山県指定文化財 九度山駅西約600mの所にある。

正式には善名称院(ぜんみょうしょういん 宗派:高野山真言宗 本尊:地蔵菩薩)という尼寺である。

当地出身の僧大安が江戸時代中期に、真田昌幸の墓所に一堂を建立したのがはじまりで、1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いで敗れた真田昌幸・幸村が配流された屋敷跡が、この真田庵と伝承される。(和歌山県の歴史散歩より引用)

境内

            

六文銭が刻まれた正門より入る。境内には本堂、開山堂、地主大権現、土砂堂、雷封じの井が並ぶ。他に真田宝物資料館がある。城郭風の本堂は八棟造で有名である。

       

八棟造り(やつむねづくり)は、日本の建築様式の1つである。複雑な形状に配置された棟を多数配置し、それぞれの棟に破風を備えた豪奢な屋根を重ねて配置する建築様式を指した総称で、「八棟」の「八」は「多数」の意味であって棟の数が必ず八棟と決まっている訳ではない

宇佐八幡宮大社・北野天満宮・日吉大社本殿、などに見られる。真田昌幸・一族の墓

   真田の抜け穴(眞田古墳)と見かけた民家

真田庵の北門を出て少し行くと、民家の下にある。真田の抜け穴と俗称されている古墳時代後期の横穴式石室をも古墳である。

       

参考資料≪パンフレット、和歌山県の歴史散歩、他≫

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