和歌山県和歌山市 和歌山城
Wakayama castle,Wakayama city,wakayama
Category
|
Rating
|
Comment
|
![]() |
![]() |
|
![]() |
![]() |
|
![]() |
![]() |
|
![]() |
![]() |
|
![]() |
![]() |
|
![]() |
||
![]() |
和歌山市一番丁3-2 和歌山城岡口門 重文 近世以前/城郭 江戸前期 元和7(1621) 櫓門、切妻造、本瓦葺 土塀1棟 19570618
October 2, 2022 野崎順次 source movie
和歌山県和歌山市一番丁
和歌山城 西之丸庭園
北から見る。御橋廊下の後ろに天守閣
西の丸跡、御橋廊下
国名勝 和歌山城 西之丸庭園(紅葉渓庭園) 桃山時代/江戸初期 池泉回遊式
今本庭を一覧すると、本庭の面積は約二千坪ほどあって、東部山畔を利用して、上部から枯滝石組を設け、豪快な石組がよく保存されている。
下部池泉には、南西部から水を引き、渓流として流し、池泉の近くに土橋を架け、この土橋から上部山畔の枯滝方面へ登ることができる。本庭は名古屋城旧二之丸庭園の構成と酷似したものがあり、上部に石橋を架けた玉澗流の庭で同じ上田宗箇の作庭であろうことが考えられるし、さらに石組の豪快であることと、その手法に共通したもののあることによって、大体に上田宗箇の作庭と考えられる。
幸いに西之丸庭園は、荒廃しながらも山畔の石組をよく保存していることや、さらにまた池畔東部の山畔下の護岸石組もよく保存されていて、桃山期の豪快なものが鑑賞できることは何よりである。ただ最近に至って本庭の修理が行われたが、この修理は全く改悪に近く、せっかくの桃山期の庭園が、大半その価値を損じたことは何より惜しいことである。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」より)
茶室「紅松庵」松下幸之助寄附
Apr.3,2020 瀧山幸伸
A camera
B camera
February 2, 2019 野崎順次 source movie
和歌山城 西之丸庭園
(Nishinomaru Garden of Wakayama Castle, Wakayama City, Wakayama Pref.)
和歌山城内にある風雅な庭園。天守閣から北側にある裏坂を下り、両手に白い土塀と青石の石垣が迫る小道をサクサクと歩いていくとひなびた茅門が見えてきます。ここをくぐると、静まり返った空間が開け、都会にいるのを忘れてしまいそうになります。
紅葉渓庭園(西の丸庭園)は、徳川頼宣が西の丸御殿に築いたもの。浅野公時代に築かれた内堀の一部と、虎伏山の起伏をたくみに利用した、 どこか大らかな感じのする庭園です。
堀の中に浮かぶ「鳶魚閣(えんぎょかく)」は、雨の日に出かけるとまた格別で、けむるような水面に釣殿がほのかに浮かび上がった時、こころが震えます。
池は山すそから湧き出る泉を利用して作られ、池の中央には舟の形をした「御舟石」があります。
鯉がのどかに泳いでいて、目を楽しませてくれます。
紅葉渓橋をはじめ、土橋、石橋と風情のある橋がたくさんかかっていて、滝の音が何とも心地よい気分。
日頃の疲れが洗い清められるようです。
紅葉の眺めはもちろんのこと、四季折々に趣のある風景を鑑賞できる雅趣豊かな庭園といえます。
(和歌山市観光協会ウェブサイトより)
アプローチ、県庁前バス停から追廻門で城内へ、鶴の渓を経て
国名勝 西之丸庭
今本庭を一覧すると、本庭の面積は約二千坪ほどあって、東部山畔を利用して、上部から枯滝石組を設け、豪快な石組がよく保存されている。
下部池泉には、南西部から水を引き、渓流として流し、池泉の近くに土橋を架け、この土橋から上部山畔の枯滝方面へ登ることができる。本庭は名古屋城旧二之丸庭園の構成と酷似したものがあり、上部に石橋を架けた玉澗流の庭で同じ上田宗箇の作庭であろうことが考えられるし、さらに石組の豪快であることと、その手法に共通したもののあることによって、大体に上田宗箇の作庭と考えられる。
幸いに西之丸庭園は、荒廃しながらも山畔の石組をよく保存していることや、さらにまた池畔東部の山畔下の護岸石組もよく保存されていて、桃山期の豪快なものが鑑賞できることは何よりである。ただ最近に至って本庭の修理が行われたが、この修理は全く改悪に近く、せっかくの桃山期の庭園が、大半その価値を損じたことは何より惜しいことである。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」和歌山城旧西之丸庭園より)
パンフレット、現地説明板、門
護岸石組と御舟石
鳶魚閣から西の山畔に登る。斜面の刈込、南西の滝石組
北西の滝石組
茶室 紅松庵、松下幸之助の寄付
山畔を西から南に巡る。
最初に見た護岸石組の上部
所在地 和歌山県和歌山市一番丁3-2
城内
岡口門(重要文化財)
元和7(1621)年の建築
櫓門、切妻造、本瓦葺
和歌山城は元和五年德川頼宣が入国して、大いにその規模を整え、名城と呼ばれていた。
天守の他多くの重要文化財建造物を今次戦災で焼失したが、この岡口門はわずかに難をまぬがれて残存した。
この位置は旧大手にあたり、門は元和年間の建立と思われる。
櫓門の形式でこの構造手法にも特徴があり、和歌山城の貴重な遺構である。
(国指定文化財等データベースより)
岡口門は天守台の東南に位置し、東面して建っている。
浅野期には大手門であったが、元和(げんな)7年(1621)に大手を一の橋に移した際に改修されたもののようで、徳川期になって搦手門(からめてもん)となった。
現在の建物は元和再興の時の建立と思われる。
櫓門(やぐらもん)の形式になり、正面三間で片潜(かたくぐり)付、二階は一室としている。
土塀は門の右側に続き、延長40メートルあり、12箇所の銃眼を設けている。
(わかやま文化財ガイドHPより)
復興天守遠望
時鐘堂へ
時鐘堂付近から
色づく木々
A camera
B camera
西の丸庭園
岡口門
All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中