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和歌山県和歌山市 伊太祁曽神社

(Itakisojinja Shrine, Wakayama City, Wakayama Pref.)

 
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 Flower
 
 Culture
 
式内社、岩橋型横穴式石室
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January 12, 2025 野崎順次  source movie

和歌山県和歌山市伊太祈曽558


パンフレットと現地説明板

     

一の鳥居と参道沿いの櫛磐間戸神社など

           

二の鳥居と太鼓橋

                

新旧の御神木

      

割拝殿

       

本殿と境内社

                    

割拝殿に戻って、木の俣くぐり、チェンソーカービングの十二支

              

祇園神社

    

磐(いわくら)

      

それから

   

社務所で古墳石室のカギを借りて、二の鳥居の向かいのときわ山に上がる。

     

伊太祁曽神社古墳
墳丘を見てから石室内に入る。見事な岩橋型横穴式石室で、緑泥片岩の割石を積み上げ、棺台、石棚、石梁が完存している。

                           

最後に、切り通しを抜けると、「いのちの水」の湧く御井社がある。

          

 


May 18, 2014 野崎順次 source movie

和歌山県和歌山市 伊太祈曽

参道を登ったところに伊太祁曽神社古墳があり、よく整った岩橋型横穴式石室が開口しているというので、訪ねてみた。古墳には木戸がついていて、カギは神社が管理されている。先ずは神社にお参りした。以下は、玄松子ウェブサイトに引用された「式内社調査報告」より。神社の北を熊野古道が通り、氏子區域内に平緒王子社、奈久智王子社の跡あり、これを結ぶ道路上に伊太祁曾神社の石燈籠があつた。神社の所在地は常盤山と言ふ丘の上で、神社の北に接して和田川が流れる。また参道の一の鳥居より南行一〇〇メートルにて西折して、東面する社殿に至る特徴を持つ。

御鎮座の由來は、日本書紀神代巻上に「時素戔嗚尊子號五十猛命。妹大屋津姫命。次?津姫命。凡此三神、亦能分布木種。即渡奉紀伊國。」とある。續日本紀に「文武天皇大寶二年己未。是日分遷伊太祁曾、大屋都比賣、都麻津比賣三神社。」とあり、寛永記に「伊太祁曾明神ハ和銅十六年十月初亥日當所ニ遷リ給フ。」とあり、永享文書に、「日前國懸影向ノ刻、彼ノ千町ヲ兩宮ニ進ジ去リ、山東ニ遷リ給フ。」とある。これらに依り、垂仁天皇十六年までは現在の日前國懸兩神宮の社地に、和銅六年までは奮社地である「亥の森」に、それ以降は現在地に鎮座せられたと考へられる。 御事蹟に就ては、日本書紀神代巻上に「素戔嗚尊其ノ子五十猛神ヲ帥イテ新羅ニ降到リマシテ曾尸茂梨(ソシモリ)ノ處ニ居マ ス。……初メ五十猛命天降リマス時ニ多ニ樹種ヲ將チテ下リキ。然レドモ韓地ニ植エスシテ盡ク持歸リテ遂ニ筑紫ヨリ始メテ、凡テ大八州國ノ内ニ播殖シテ青山ニ成サズト言フコトナシ。コノ故ニ五十猛神ヲ稱ヘテ有功(イサオ)之神トナス。即チ紀伊國ニマシマス大神是ナリ。」とある。これによつて古來、樹の神、植林の神として林業、木材業の関係者より尊崇が篤いのである。 また、古事記神代巻上の大國主神が八十神から迫害を受けられ給うた條に、「汝ココニアラバ遂ニ八十神ニ滅サエ ムト告リ給ヒテ、乃チ木ノ國ノ大屋毘古神ノ御所ニ速ガシ遣リ給ヒキ。爾れ八十神覓ギ追ヒ臻リテ、矢刺ス時ニ木ノ 俣ヨリ漏キ逃レテ去リ給ヒキ。」とある。これによつて古 來一般に「いのち神」として大難、大病を克服し給ふ御神徳にすがる慣はしが續いてゐる。

パンフレット

     

一の鳥居と櫛磐間戸神社など

        

二の鳥居と太鼓橋、ご神木

          

割拝殿から本殿

            

蛭子神社とお猿石、チェンソーカービングの龍

      

気生神社

   

割拝殿の陳列、木の俣くぐり、チェンソーカービングの十二支

              

神木 梛の木

    

その他境内

         

伊太祁曽神社古墳外部、時計回りに見ていく。

        

見事な岩橋型横穴式石室、大きな石棚があり、石棺をおいたらしい。

                      

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