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和歌山県和歌山市 郭家住宅

Kakukejutaku,Wakayama City, Wakayama Pref. 

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November 10, 2024 野崎順次 source movie

和歌山県和歌山市
郭家住宅

紀州藩の御典医であった郭家が、和歌山城下に建てた自宅兼民間医院。敷地には、薬局と待合室を兼ねた洋館をはじめ、診察棟、座敷、離れ、土蔵などが残る。明治10年築の洋館は、大工が洋風建築の意匠や技法をとりいれて建設した擬洋風建築で、現存する擬洋風の住宅として最古級。2階建寄棟造の洋館は正面1、2階のベランダに円柱を立て、アーチとその上部に小壁のスパンドレルを飾る擬洋風の典型的な意匠。座敷は多種多様な材料を用い、濃密な意匠を施した数寄屋風座敷で、床廻りや天井、建具などに、江戸後期以降、全国的な流行をみせた煎茶趣味の地方への伝播がよくうかがえる。
(文化遺産オンライン)

国重要文化財に指定されているのは、洋館、診療棟、座敷、離れ、米蔵、東土蔵、南土蔵、風呂、外便所、表門及び石塀の10棟である。

現地説明板など

     

表門及び石塀

         

洋館

                            

洋館2階下見板張り

        

診療棟

      

座敷

                

離れ


   



  

外便所

      

東土蔵

      

北側の空き地から見ると、左から、東土蔵、風呂、離れ、主屋棟(座敷)と並ぶ。

    

最寄りのバス停小松原五丁目のそばに「陸奥宗光伯生誕地」の石碑と説明板がある。郭家の主屋棟(座敷)は、明治の元勲陸奥宗光の生家である伊達家の屋敷を移築したと伝わる。

 

 


September 8,2024 大野木康夫 source movie

所在地 和歌山県和歌山市今福一丁目6-6

平成9(1997)年9月3日に登録有形文化財に登録されていましたが、令和6年8月15日付で10棟が重要文化財に指定されました。

【わかやまの文化財から引用】
郭家は中国から帰化し、代々紀州藩の藩医を務めた家柄である。明治10年(1877年)に完成したと伝わる洋館を建築したのは7代目の郭百甫で、明治初期の和歌山で医学校や付属病院の開設に大きな役割を果たした。この洋館は内外を洋風の造りにした2階建ての建物で、患者の待合室、薬局、応接などに用いられた。当時、洋館の建設が盛んであった神戸の大工によって建築されたと伝えられ、このような大工が見よう見まねで建築した洋風建築を「擬洋風建築」と呼ぶ。
建築の形式は広いベランダを持つコロニアルスタイルである。診察は洋館の裏に続く和室で座って行われた。洋館・診察室の他に座敷、離れ、土蔵などがあり、これらは江戸時代末期の建築といわれ、特に座敷は、紀州藩士であった伊達家(陸奥宗光の生家)から移築したと伝えられており、茶室を含む数寄屋建築である。道路沿いの塀と門柱は大正14年(1925年)頃に造られた。
洋館を持つ明治初期の医院として、また幕末の武家住宅として、非常に貴重な建造物であるとともに、和歌山に残る最も古い洋館として知られている。

周辺の人孔鉄蓋

 

北から見た全景

 

表門及び石塀(重要文化財)
大正14(1925)年の建築
表門 石造、両脇潜門付
石塀 石造、延長一六・一メートル、桟瓦葺
表門南側の石塀が崩壊しています。

       

洋館(重要文化財)
明治10(1877)年の建築
木造、建築面積五〇・六四平方メートル、二階建、桟瓦葺
郭家住宅を代表する建築物です。この日は第二日曜日で公開日でしたが、二階は公開されていませんでした。

                      

診察棟(重要文化財)
明治10(1877)年の建築
木造、建築面積五二・一三平方メートル、桟瓦葺
保存会の方のご厚意で外観の撮影ができました。

     

座敷(重要文化財)
江戸末期の建築
木造、建築面積六九・一〇平方メートル、桟瓦葺
和歌山藩士伊達家(陸奥宗光の縁戚か)の屋敷から移築されたということです。

          

離れ(重要文化財)
明治24(1891)年の建築
木造、建築面積二一・八四平方メートル、二階建、桟瓦葺
非公開ですが、座敷や診察棟の掃き出し窓から撮影しました。
東側の通りからも見えています。

      

東土蔵(重要文化財)
明治24(1891)の建築
土蔵造、建築面積一八・一七平方メートル、二階建、本瓦葺
表門から入って右側の土蔵です。

         

南土蔵(重要文化財)
明治40(1907)の建築
土蔵造、建築面積ニ六・三五平方メートル、二階建、桟瓦葺
敷地の南側の奥に建っています。南土蔵、米蔵、風呂の3棟は保存会の方のご厚意で外観のみ撮影させていただきました。

    

米蔵(重要文化財)
江戸末期の建築
土蔵造、建築面積ニ八・一七平方メートル、本瓦葺
座敷の西側に接続しています。屋根が崩壊しており、早期に公的な援助により修理する必要があります。

  

風呂(重要文化財)
明治40(1907)の建築
木造、建築面積九・九一平方メートル、金属板葺

   

南側から見た主要建築物。手前の2棟は戦後の増築で指定外。

 

外便所(重要文化財)
大正14(1925)の建築
木造、建築面積一・七七平方メートル、桟瓦葺
周囲の石塀(重要文化財)が崩壊しています。

      

重要文化財に指定されましたが、石塀と米蔵が壊れている状態で、個人所有であるため公的な援助のもと早急に修理する必要があります。離れと外便所についても、できれば復原修理が望まれます。

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