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和歌山県和歌山市 養翠園

Yosuien,Wakayama city,Wakayama 

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Feb.22,2021 瀧山幸伸 source movie

                                                                                                                                                                                                                  

 

                        


January 25, 2020 野崎順次 source movie

 

歌山県和歌山市西浜1164
元紀州徳川家庭園 養翠園


養翠園庭園は紀州徳川家第十代藩主徳川治寶により造営された松を主体とした約33,000㎡におよぶ大名庭園です。池は海水を取り入れた汐入りの池で全国的に珍しく、四季折々の花木が訪れる人々に季節を感じさせます。
庭園内には御茶屋 養翠亭が有り、茶室 実際庵(二畳台目)や左斜め登り御廊下など貴重な遺構が保存されております。養翠亭は平成3年より同6年にかけての文化庁所管の全面解体修理により往時の姿を留めております。
明治維新前までは五十五万五千石の大藩として、また、御三家の一と誇った旧藩主の遺跡として、旧地に旧状のままよく保存された庭園と建物で、文化財として国指定名勝の指定を受けています。
(養翠園公式ウェブサイトより)

この治宝が文政七年六月六日に十一代斉順に家督を譲って閑居するに当たり、この地西浜に広大な御殿を作り、建築とともに多くの庭園も完成したのであったが、本園はその西浜御殿南部にあたり、西浜御殿の一部に過ぎない。しかもその養翠園が、五千九百坪もある広大なものだけに、西浜御殿全体はその数倍もあった由である。
したがって本園の築造は、治宝が寛政元年(1789)藩主となり、文政七年職を辞する三十六年間の時代に当たり、本庭が江戸末期初頭の作であることが解る。
本園は右に述べたように、治宝時代の作庭であり、五千九百坪という大池庭であったことと、なにぶん時代が江戸末期であったから、全園の地割はやや東西に細長く、中央部やや出島となり、出島の先端に中島一島を作り、ここから北部に向かって中国式の文人趣味による長橋を架け、全庭に多数の老松を配した池庭であるが、どことなく女性的で軽快であることは、やはりこの時代の好みである。
そして本園には海水を取り入れてあるから、池水は海水であり、海魚の類が棲息している。そして本園には、西南部と西北部に一部の護岸石組を見せるのみで、他には護岸石組も見られない。この西部南北の護岸石組は、この地方産出の青石が用いられていて、やや豪華に組まれている。
さらに本園には、北西部が入口となり、そこに書院と茶亭養翠亭二畳台目の席があり、茶亭の前には一部に露地もあり、茶亭と共に興味ある構成となっている。是非一覧願いたい。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」養翠園庭園より

パンフレットと現地説明板
        


敷地の北西に北向きの正門がある。右手に事務所を見て南に進む。
         


御茶屋「養翠亭」 江戸後期 文政4年(1821年)
藩主の別荘建築、建坪94坪、部屋数19室
東から見る。右から御次座敷、左斜め登り御廊下、御座の間である。
          


池に面した御座の間
    

二畳台目茶室「実際庵」(表千家の茶室)と露地
         


養翠亭の遠景、南西から池越しに見る、その後、西から見る。
        


養翠亭の小池から汐入の大池
      


庭池の北西部の夜泊石、船着場、護岸石組
           


広大な庭である。北岸を東へ進む。
                      

中国的文人趣味の三ツ橋を渡る。
         


中島にはお宮さんがある。弁財天らしい。パンフレットには守護神とある。
  


太鼓橋から出島付近の眺望。
                   


刈込み松(金柑畑跡)
    


南西から庭園を見る。
         


御馬場
  


御船蔵
     


市文 湊御殿 江戸後期 天保五年(1834)
木造 桟瓦葺 平屋建 梁間10.86m 桁行18.1m 
建築面積 228.96㎡

湊御殿は、紀州藩二代藩主徳川光貞(みつさだ・1626年~1705年)の隠居所として元禄11年(1698)に造営されました。隠居した藩主が生活するために、湊御殿の敷地内にはたくさんの建物が建てられ、その中の一つに平成18年(2006)に移築された湊御殿(奥御殿)がありました。湊御殿があった場所は、和歌山城より南西方向、現在の和歌山市湊御殿1丁目から3丁目にあたります。「湊御殿」という地名は、この建物があったことに由来しています。
湊御殿は何度か火事になり多くの建物が焼失し、その都度再建されました。移築された湊御殿(奥御殿)の建築年代については、移築工事中に小屋束(こやづか)から「天保四年四月十三日 改」と墨書された部材が発見されたことから、十一代藩主徳川斉順(なりゆき・1801年~1846年)が、焼失した湊御殿の再建を天保3年(1832)に命じ、同5年(1834)に完成させたものと考えられています。
(和歌山市の文化財ウェブサイト)
            


Feb.21, 2016 瀧山幸伸 

Edited Movie Download (YouTube)

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湊御殿

Minato goten

                                                    


Dec.2006 瀧山幸伸  source movie

   

  

  

                 

             

     

                       

湊御殿

    

              

     

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