JAPAN GEOGRAPHIC

山形県金山町 

Kaneyama,Yamagata

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 General
 
日本の原風景
 Nature
 
周囲の森林
 Water
 
町を流れる水路
 Flower
 
街路の花修景
 Culture
 
伝統的街並の保存復元を目標とする長期的計画
 Facility
 

無料施設とホスピタリティ
 Food
 
地産池消の清浄なフード


Apr.14/24 2021 瀧山幸伸 source movie

田屋の一本桜

いずれの日も開花前

Apr.14

     

Apr.24

  

田屋



Oct.17,2018 瀧山幸伸

金山三峰

   


Aug.22,2015 瀧山幸伸

             


Aug.7,2014 瀧山幸伸 source movie

A camera

                                                                            

B camera

 

谷口銀山跡

            

                                                                                                                


Oct.2010 瀧山幸伸 

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source movie

解説 

イザベラ・バードが愛したまち 山形県金山町

杉と水路と花

 山形県の最上地方、秋田県境に位置する金山は独特の風土を持った町である。町名の由来となった谷口銀山は新庄藩支配下の寛永年間には坑道六十六、小屋三千軒、遊女宿七十余軒があったとされるが、水抜きが困難となり弘化二年に廃坑となっている。この街の気風が荒くれた鉱山町かというとそうではない。街割は天正九年最上義光による金山城築城の際に整備されたが、最上騒動のため江戸時代初期に廃城となっているから城下町とも言えない。その後は奥州街道の宿場町として賑わったが宿場町の特色でもない。では何か。森林が町域の四分の三を占め金山杉で有名な林業の町であった。庄内最上地方では杉の生育に適した大量の降水があり天然記念物級の杉の巨木を育んできた。隣の鮭川村のトトロの杉はトトロそっくりの姿がご愛敬だし戸沢村の幻想の森では樹齢千年の杉が古老のように話しかける。幻想の森は秋田県にかほ市の「あがりこ」と同じく擬人化した樹木群の筆頭である。金山には擬人化した杉は無いが郊外の大美輪では山林所有者が樹齢三百年近い巨大杉の森を開放している。周囲を山に囲まれた非日常空間は五感全てで自然の神秘を感じるには最も適した場所である。上空からの航空機騒音も団体客の騒音も無い静寂な世界だ。この森を体験すれば金山の風土は林業が育んだものだと実感できる。今日では林業が主要産業ではないが外材輸入解禁以前の林業は収益性の良い産業であった。愛知県豊田市の足助も中馬街道の宿場町と材木の集積地として大いに繁栄し、金山に近い趣を感じる。

 数百年単位で木と付き合う林業の世界観なのか、森林と水がもたらす潤い故なのか、金山の人々には精神的な余裕と暖かさが感じられる。神室(かむろ)山を頂点とする森林が街の周囲を覆い、そこから流れ出る水路が街中各所に走り、清冽な水音のシャワーが心地良く、車の騒音も掻き消してくれるのだ。そのような音が通奏音となり、見知らぬ訪問者に人々が投げかける暖かい言葉の数々がこの街の主旋律を奏で、鳥のさえずりがそれを伴奏する。

 街中を流れる大堰は天正年間に造られた農業用水であり金山を代表する街並景観である。眼には水路が描く曲線が優美で美しく、苔むした置き石屋根にも音符の風情が感じられる。耳には堰を流れ落ちる水がベース楽器の音景観となる。錦鯉が放流され、堰の音とあいまってこの上なく心地良い。数少ない訪問者がのんびりとベンチに座って時間を過ごしている。ここでは誰でも哲学者になれる。「自分の大切なものってなんだろう」と行く末を探る人もいれば、「好きだったあの人は今頃どうしているんだろう」と愛の哲学を追及する人それぞれだ。幼稚園児が散歩で立ち寄る憩いの場でもある。岸辺に座る園児たちが大はしゃぎ。その姿が水面にとろけて錦鯉へと変身する。いや錦鯉が園児に変身して水の中に誘っているのだろうか。錦鯉が魚眼で見る地上の世界はどんなだろうか、水中で聞いている音はどんなどろうかと夢とうつつが錯綜する。

 このような光景と音は町のいたる所で体感できる。めがね堰は軽快な水音を醸す小水路で、周囲には丹精込めて育てられた草花が風にそよぎ、水の流れの五線譜に錦鯉が踊り音符を奏でる。個人宅では庭園開放が行われており、瀟洒な庭園に引き込んだ水路の水音を楽しむこともできる。

桃源郷のピラミッド

 外国人の日本見聞録はルイス・フロイスはじめ数多いが、明治から昭和にかけて独自の視点で記録を残した外国人として、紀行家イザベラ・バード、写真家ポンティング、建築家ブルーノ・タウトの三人を挙げたい。バードと金山との関わりを振り返ろう。

 イザベラ・バードは英国の牧師の娘として生まれたが、父の教育と新規探索傾向の性格から、米国、日本、朝鮮、中国、モロッコ、南太平洋、インド、中近東にまで彼女一人で少数の雇い人とともに旅行した稀有な人物である。旅行先での詳細な記録は本国で出版され売り切れになるほどの人気を得た。英国地理学会は特別会員の彼女なしでは会合が成り立たなくなるほどであったという。彼女の生涯についてはチェックランドの『イザベラ・バード旅と生涯』が詳しい。

 彼女は明治十一年、まだ近代国家としての骨格が完成していない日本を訪れ、東北と北海道を旅行し『日本奥地紀行』を著した。彼女の視点は現地で生活する人々と同じ目線であり、今でも新鮮である。比較文化的にも興味深く、宮本常一が『日本奥地紀行を読む』でバードの見た当時の日本を民俗学の立場で解説している。旅の出発前には東京で英国公使パークスをはじめヘボン、アーネスト・サトウなど日本通の助言を得た。サトウが編集した『明治日本旅行案内』は西洋人の視点による当時の記録だが地理的には興味深い。

 彼女の旅は、悪路、洪水、ノミ、悪臭、騒音、物見高い群衆など多くの悩みに遭遇したが、結果的には大成功大満足であった。妹には彼女の本音をこう告白している。

 「江戸を発つときに計画した以上のことができ、あらゆる障害を克服した勝利感を味わっています。・・・二か月もアジアの人の中で過ごすと、英国人社会がとても煩わしく、、、」

 東京を発ち関東平野を旅行した数日間は劣悪な環境と人々の低俗な振る舞いに辟易した彼女だが、日光に入り東照宮の楽職金谷さんの家に逗留すると日本独特の環境と人々のもてなしの素晴らしさを味わうことになる。さらに北へ進み山形県へ入ると東洋のアルカディアと呼んだ置賜地方や金山をことのほか気に入った。彼女が言うアルカディアはプラトンの描く理想国家のようにシステムとして完全な「ユートピア」の代名詞であり客観的な世界観である。東洋の「桃源郷」は司馬遷『史記』の伯夷叔斉や陶淵明の『帰去来の辞』など道教の隠遁思想が根源の内向きで空想的な世界観であるから大きく異なるのではあるが。

 金山について彼女はこう記述している。地理学的視点で訳してみた。「今朝新庄を出発し、険しい尾根を越えると、背後に複数のピラミッド形の半円丘を控えたとても美しい盆地に入った。その丘は、山頂までとげとげしいピラミッド形の杉の木で覆われ、ここから北へ行ってはならぬというような威圧的な印象を与えた。この丘の麓のロマンチックな地勢に金山の町がある。私は早くも昼には到着したのだが、一日か二日ここに滞在しようと思う。駅にある私の部屋は小奇麗で快適だし、駅員はとても礼儀正しく親切で、それにこの先には険しい土地が待っていそうだから、、、」金山三峰と杉の林が織りなす幾何学模様の特異な景観に彼女は魅せられたのだろう。確かに宝円寺から見るピラミッド形の薬師山と美しい杉林は街のランドマークとなっており、彼女が滞在した当時とほぼ同じ景観を保っている。

百年後の文化財を創る 「街並みづくり百年運動」と「金山型住宅」

 現在残る歴史的建造物、万宝院の長屋門は金山城の大手門と伝えられ、金山小学校の校庭の端にぽつんと佇む「歴史の門」は金山城の裏門と伝えられているが、城の遺構とこれら建造物については四百年以上前のものであるのに確たる検証と整備がなされていない。

 一方、今後の百年千年後に文化財となりそうな建造物はたくさんある。それらの素材とモチーフは全て金山杉である。街中の民家や土蔵は金山に特徴的な「金山型」の建築手法と意匠を採用しており、これらが現在の金山の街並景観の原型となっている。街並を構成する建築は古きも新しきも金山型のトーンとマナーを踏襲する。土蔵は街並のアクセントであり、よく手入れされている。蔵史館(くらしかん)は蔵造りの展示イベントスペースとして活用されている。ゴミ集積所までもが屋根付きのミニ木造建築で美しい。きごころ橋は、平成十六年、金山杉を利用した木造屋根付きのシンボル橋として新設された。街路景観の美化はこの街の住民のコンセンサスであり味わい深い。

 旧金山郵便局は「交流サロンぽすと」という観光客向け休憩所として解放されている。裏庭の交流広場には水路が流れ、清流にそよぐ水藻に癒される。清流にそよぐ水藻の美しさといえば筆頭は滋賀県米原市の醒ヶ井宿だが、残念なことにすぐ上を走る名神高速の騒音が風情を台無しにしている。

 「街並みづくり百年運動」は、バードが讃えたこの町を大切にし百年をかけて風土と調和した美しい街並を作ろうというもので、林業など地場産業の振興や人と自然の共生を図る目的で制定された。自治体の長期計画といえばせいぜい五年か十年程度のものであり、金山のように百年の理念のもと具体的なアクションプログラムを組み込んでいる自治体を知らない。百年単位の具体的計画を作成することを義務化すれば国や自治体の視座も論点も広がろうが、現状では短視眼的な資源配分論議に終始しているのは残念だ。幕藩体制の時代のほうが長期的な地域戦略が明瞭だった。今後百年の視野でみると、石油と同様に資源に限りのある外材輸入はますます厳しくなるだろうし価格も高騰するだろう。百年もたたずして金山の木材が見直されるのではなかろうか。

 全国各地の古く美しい街並が近代建築に蹂躙されているが金山は逆だ。今でこそ国の文化財レベルのものは存在しないが百年後千年後にはこの街並が文化財になるだろうと確信している。ほとんどの建物は百年以内に建て替えが発生するから、百年あれば街並は理想形に変えられるのだ。建て替える時、どのようなマスタープランのもとにどのような建築を奨励するのかが最も重要であるという認識のもと、昭和六十一年「金山町街並み景観条例」が制定され、金山型住宅の基準とそれを建てた場合の助成制度が定められた。白壁で梁あらわし、切り妻屋根の、この地方に伝統的な在来工法で建てられる奨励住宅は、金山産の木材や伝統的な材料を使うことによって気候風土に合い美しく古びた建物になる。金山型住宅の建築コンクールは昭和五十三年から開催されており三百件以上の助成実績があるそうだ。

 金山杉の精を宿す住宅に暮らすから人々の心は豊かなのだろう。笑顔のご婦人が通りかかり、いきなり「お茶飲みにおいで」と声をかける。小学校向かいの金山型住宅「一福や」のおかあさんだ。「一福や」の売りは神山商店の「いがら餅」。「いンがらもづ」と発音する。数が少なく防腐剤が入っていないのでこの地でしか食べられない。名物にうまいものあり、他言は無用。

 郊外の「遊学の森木もれび館」の道路脇には訪問者を癒す木工のオブジェが並び、山奥の中田集落では民家で木工体験ができる。車いすに座りのんびりと日暮れ前のゆるい時間を過ごすお爺さんが「かぼちゃ持って帰れ」と声をかける。この町の人はどこまでお人よしなのだろう。

 旧谷口分校は「がっこそば処」という体験型施設として活用されている。到着したのは夕暮れ時であったが、向かいの森に小さな鳥居と神社がたたずむ。右の松林越しに真っ赤な夕日が沈み、やがて左の峰が満月を吐き出す。震えるほど素晴らしい情景だ。連歌師宗長が静岡の吐月峰で眺めたという月よりも美しいと思う。

 秋に行われる産業祭りは必見だ。 金山の人々は見知らぬ訪問者に優しく、さあ飲め、やれ食べろと嬉しい。つきたての餅、地物のはちみつ、地酒、七輪で焼く森のきのこ、金山牛のバーベキュー全ておいしい。三味線自慢民謡自慢が集い老若男女美味と唄に酔いしれ至福の一日を過ごす。

 昨今流行の観光路線とは違い観光客誘致のための積極的な宣伝や装飾を行うことなく、住民にも訪問者にも快適な街づくりを行い口づてでじっくりと金山ファンを増やす戦略に徹している。具体的には町にあふれていた派手な広告看板などを撤去してもらっているとのことだ。そう言われれば街並を乱す看板や幟は少ない。家族で金山型住宅に体験滞在するプログラムもある。

 経済的には決して豊かとは言えなくても自然と人情はとびきり豊かな土地であるからか、徐々にではあるが都会からの訪問者の増加につながってきつつあるそうだ。話を伺った森林組合の職員の方はこの町に魅せられ東京から移住してきたとのことである。この町で育つ子どもたちは幸せだ。

 芭蕉は新庄から酒田に向けて最上川沿いに下ったが、もし彼が一歩足を伸ばして金山に立ち寄っていたらどのような創作をしただろうか。凡人の私は

「かむろなる月にやすらう鯉の家」

と詠んだ。鯉の一家が水中から見上げる月は美しいに違いない。直近の訪問は旧暦九月の十五夜の日であった。

金山三峰(wikipedia)

 

  

金山小学校のイザベラバード記念碑付近

  

大堰

                                            

個人宅の庭園開放

  

万宝院の長屋門

  

めがね堰

          

きごころ橋

  

金山の街並

     

交流サロンぽすと (旧金山郵便局)

    

   

                  

金山型住宅の 一福や

              

金山形住宅モデルハウス

                                                     

蒲沢

   

有屋

     

竜馬山

    

大美輪の杉

                                         

神室ダム付近

    

シェーネスハイム金山、グリーンバレー金山スキー場

           

遊学の森「木もれび館」

      

中田

             

谷口の旧分校付近 がっこそば処

                  


Aug.. 2007 瀧山幸伸  source movie FAQ

Oct. .2004 瀧山幸伸  HD(1280x720)

イザベラ・バードが愛したまち

 

地図:国土地理院

 

金山小学校に設置されたバードの碑と、そこから見るピラミッド形の薬師山。

  

小学校の隣、宝円寺から見る薬師山。

   

大堰と遊歩道付近

大堰は町の中心部を流れる農業用水であり、春から秋にかけて錦鯉が放流され、堰の音とあいまって心地よい。苔むした置き石屋根にも風情が感じられる。

        

めがね堰

こちらは軽快な水音を醸す小水路。地元の「めがね堰を愛する会」が中心となって錦鯉を放流し、景観づくりに取り組んでいる。

    

長屋門

金山城の大手門と伝えられている。

  

歴史の門

小学校に保存されている。金山城の裏門と伝えられている。

  

金山の街並景観 「街並み(景観)づくり100年運動」と「金山型住宅」

表通りの商家 古きも新しきも金山型住宅のトーンとマナーを踏襲する。

    

新築住宅もこのように味わい深い

   

街路景観の美化はこの街の住民のコンセンサス。

       

土蔵は街並のアクセントであり、よく手入れされている。

    

ゴミ集積所もこのようにデザインされると美しい。

 

交流サロン 「ぽすと」

かつての郵便局舎を利用した無料の休憩所。交流広場には水路が流れ、水藻に癒される。

     

商工会と蔵史館(くらしかん)

蔵造りの展示イベントスペース。

  

きごころ橋

平成16年、金山杉を利用し、木造屋根付きの橋を新設した。

  

庭園開放 

Japanese garden

Oct. 2004  HD(1280x720)

旧家の庭園を開放して茶会と古木を利用した野草展示が行われていた。

                                             

産業祭り

October fest

Oct.2004  HD(1280x720)

訪問日は産業まつりの日。金山の人々は見知らぬ訪問者に優しい。豊かな風土が豊かな心を醸すのか、さあ飲め、やれ食べろとのホスピタリティがうれしい。

 

金山牛

  

つきたての餅

  

養蜂家のはちみつ

     

子供たちに人気のマス釣り

 

キノコ

  

三味線自慢歌自慢が集い、美味と唄には日本酒がよく合う。

  

 

[参考文献]

「日本奥地紀行」 イザベラ・バード 高梨健吉訳 平凡社、2000

「イザベラ・バード 旅の生涯」 O・チェックランド 川勝貴美訳 日本経済評論社、 1995

「日本奥地紀行を読む」 宮本常一,平凡社、2002

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