山形県鶴岡市 致道博物館
Chidou museum,Tsuruoka city,Yamagata
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鶴岡の文化財を保存した施設 |
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鶴岡市家中新町10-18 旧渋谷家住宅(山形県東田川郡朝日村) 重文 近世以前/民家 江戸後期 文政5(1822) 桁行15.4m、梁間10.9m、一重三階、寄棟造、茅葺 19691218
鶴岡市家中新町10-18 旧西田川郡役所 重文 近代/官公庁舎 明治 明治14(1881) 木造、建築面積264.4㎡、二階建、両翼一階建、玄関突出、桟瓦葺、中央部塔屋付 19691218
鶴岡市家中新町10-18 旧鶴岡警察署庁舎 重文 近代/官公庁舎 明治 明治17(1884) 木造、建築面積237.60㎡、二階建、宝形造、桟瓦葺棟札1枚 20091208
Nov.2012 松田浩志
旧鶴岡警察署庁舎(県指定有形文化財)
「旧西田川郡役所と同じく、高橋兼吉の設計によるものです。
明治17年(1884年)に建てられたもので、外部窓廻りなどにルネッサンス様式を模していますが、屋根の大棟、破風妻飾りなど在来様式を巧みに取り入れ、明治初期の擬洋風建築として独特の形態をもっています。
初代県令・三島通庸が明治新政府の偉容を表すべく建築したといわれ、木造入母屋造りの堂々たる外観を呈しています。鶴岡警察署移転に伴い昭和32年(1957年)に馬場町(現在の「物産大店でがんす」前)から致道博物館へ移築されました。」
御隠殿
「元和8年(1622年)の酒井氏入国当時から藩の御用屋敷だった土地で、慶安年間(1648〜1651年)には、3代酒井忠勝の次男忠俊の住居がありました。現存する建物は、文久3年(1863年)に11代藩主酒井忠発(さかい・ただあき)が隠居所として建てられたもので、玄関と奥の座敷が残っています。」
田麦俣の多層民家(国指定重要文化財)
湯殿山の麓、庄内と山形地方を結ぶ六十里越街道沿いに集落をなす田麦俣は、11月に降った雪が翌年の5月まで消えないという全国でも有数の豪雪地帯。
江戸時代には、出羽三山参詣のための道者宿をしたり、強力や馬子をつとめて生活していましたが、明治維新後、三山参りの減少など街道集落的な性格が薄れ、田畑を耕し炭焼きなどの山仕事をする傍ら、養蚕を生業とするようになりました。
この地方の代表的な当建物は、そのため創建当初の寄棟造りの破風窓のある妻の部分を切り取り、養蚕場として十分な採光通風の窓(高ハッポウ)としたので、現在のような美しい輪郭と反りをもった「かぶと造り」という独特な外観の民家が出来上がりました。
この民家は、部屋の天井を高くし、高窓を設けるなど雪国らしい手法がみられ、構造は上屋柱と下屋柱からなり、小屋はさす組、軒はせがい造りとなっています。
移築工事中にみつかった文献から、文政5年(1822年)に建てられたものであることがわかっており、内部も昔の暮らしぶりそのままに保存されており、年輩の来館者からは、なつかしいとの声があがることもしばしばだとか。
生活様式の変化により無くなりつつある山村文化を残そうと、昭和40年(1965年)に致道博物館へ移築されました。昭和44年には国の重要文化財に指定されています。映画「蝉しぐれ」のロケも行われました。」
冬の風物詩 「多層民家のいぶり出し」
「パチッパチパチッ。薄暗い部屋の中に、くべられた薪の燃える音が静かに響き、時の流れが止まる…。 多層民家では、毎年1月10日から囲炉裏(いろり)に火を入れて「いぶり出し作業」が行われます。これは、冬期間に屋根の茅などにひそむ虫を駆除するため行われているもので、詳しい日時等はお問合せください(問合せ先:0235-22-1199)」
酒井氏庭園(国指定名勝)
「致道博物館の敷地一帯は、酒井氏入国前の最上家時代から高級武士の屋敷がありました。旧藩主御隠殿北面にあるこの庭園は、築山林泉庭園で、池の対岸築山の正面中腹に石を立てて庭景とし、左手には枯滝を組み、その一帯に峡谷の風景を作り出しています。右手の出島には、亀頭型の名石(珪化木)を立てて景を引きしめ、その奥は深い入江を作ってしずかな趣をみせています。また、本来はやや右手の築山のうしろに遠く鳥海山を借景として取り入れられていました。正確な作庭年代、作者などは不明ですが、すぐれた古庭園の少ない東北地方では稀に見る典型的な書院庭園として貴重なものとなっています。昭和46年に大修理を行い旧態に復しました。昭和51年に国の名勝に指定されています。」
旧西田川郡役所(国指定重要文化財)
「廃藩置県後、置賜・鶴岡・山形の3つの県が1つになって現在の山形県が誕生しました。明治11年(1878年)に郡制度が施行され、鶴岡は西田川郡となりました。それにともない郡役所として明治14年(1881年)に建てられたもので、明治天皇が東北御巡幸の折りには御宿舎となった由緒ある建物です。
設計・施工は当市の大工棟梁 高橋兼吉と石井竹次郎があたりました。バルコニー、時計塔がついた木造2階両翼1階建てで高さ20メートル、ルネッサンス様式をとりいれた擬洋風建築です。昭和44年に国の重要文化財に指定されましたが、現地(現在の消防署)で永く保存するには難しいことから、昭和47年(1972年)に致道博物館へ移築されました。
内部は、郡役所当時 事務室として使われていた1階の大広間が考古学資料の展示室。庄内地方で発掘された化石・石器・土器などが展示されています。市南部の岡山遺跡で掘り出された竪穴住居跡のジオラマや、飛島洞窟から発見された人骨は訪れる子供たちに人気の展示資料。このほか郡長室や応接室には、戊辰戦争や西郷隆盛と庄内の資料などを展示しています。
2階は明治文化資料室として、ガス塔や人力車など文明開化に関する資料が展示されています。建物の造りとして目をひくのが塔屋へ登る階段で、よく見ると下からの支えがありません。つり階段とよばれるもので17世紀の初期ルネッサンス時代に流行した様式をとりいれた鹿鳴館時代を偲ぶことができる興味深いものとなっています。」
旧西田川郡役所の塔時計
「明治13年、当時国内最高の時計技術者といわれた金田市兵衛とその弟子である木部正直(鶴岡出身)が共同で製作したもので、国内最古の塔時計といわれています。しかし日本海からの強い風が吹く当地では、そのたびに振り子が止まるために取り外され、市内の常念寺というお寺に移されました。市指定有形文化財に指定されています。大時計は今も4日に1度ネジが巻かれ時を刻みつづけています。」
山形県鶴岡市観光連盟ホームページより転載
旧西田川郡役所 (国重文)
御隠殿
旧渋谷家(国重文)
鶴岡城跡
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