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山形県鶴岡市 風間家 (丙申堂、釈迦堂)

Kazamake(Heishindo/Shakado),Tsuruoka city,Yamagata

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鶴岡市馬場町1-15 旧風間家住宅 主屋 重文 近代/住居 明治 明治29(1896) 木造、建築面積659.94㎡、一部二階、石置杉皮葺及び桟瓦葺 20001204

鶴岡市馬場町1-15 旧風間家住宅 小座敷 重文 近代/住居 明治 明治30(1897)頃 木造、建築面積56.11㎡、銅板葺及び鉄板葺 20001204

鶴岡市馬場町1-15 旧風間家住宅 前蔵 重文 近代/住居 明治 明治29(1896)頃 土蔵造、建築面積99.37㎡、二階建、切妻造、桟瓦葺、北面庇附属 20001204

鶴岡市馬場町1-15 旧風間家住宅 中蔵・奥蔵 重文 近代/住居 明治 明治29(1896)頃 土蔵造、建築面積152.37㎡、二階建、切妻造、桟瓦葺、サヤ及び西面庇附属 20001204

鶴岡市馬場町1-15 旧風間家住宅 風呂場・便所 重文 近代/住居 明治 明治29(1896)頃 木造、建築面積61.29㎡、渡廊下付、桟瓦葺及び鉄板葺 20001204


Apr.24,2017 瀧山幸伸

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風間家は,鶴岡城下五日町にあり,幕末には鶴岡一の豪商となった庄内藩の御用商人である。明治期には,庄内地方では酒田の本間家に次ぐ大地主に成長した。

 現存する屋敷は,風間家七代目幸右衛門が建築したものである。南面する主屋を中心に,北東に小座敷が接続し,南側の道路に面して表門と前蔵が,また西側には中蔵・奥蔵がある。風呂場・便所は,主屋と中蔵・奥蔵との間にあり,渡廊下で結ばれている。

 建築年代は主屋及び中蔵・奥蔵が明治29年,前蔵及び風呂場・便所は明治29年頃,小座敷は明治30年頃の増築である。

 旧風間家住宅は,庄内地方の経済界で重要な役割を果たした事業家の邸宅で,特に規模が大きく,各部の意匠もすぐれた明治期の庄内地方を代表する近代和風建築である。主屋は広大な板の間の架構,石置杉皮葺の屋根など,随所に特徴を持っている。土蔵など,同時期に建てられた良質の付属建物が残ることも重要である。

(文化財データベース)

旧風間家住宅(丙申堂)

Heishindo

                                                                                                                                                                                                             

風間家旧別邸無量光苑(釈迦堂)

登録文化財

来賓の接待などに用いられた別邸で,重要文化財旧風間家住宅の近くにある。平面は座敷2室と前室からなり,西面に玄関,東面と北面に広縁と土庇を設け,入母屋造の屋根を架ける。良材を用いた数寄屋風建築で,小規模だが質の高いつくりである。

(文化財データベース)

釈迦堂

Shakado

                                                                


October 13, 2013 野崎順次 source movie

釈迦堂・丙申堂 パンフレット      泉町6-20

国登録有形文化財 風間家旧別邸 無量光苑釈迦堂 明治43年(1910)

鶴岡一の豪商、風間家の別邸で、数寄屋風建築。来賓の接待や関係者の集会場として使用された。様々な花木に囲まれた広さ約2700平方メートルの庭園は、桜、萩、紅葉など四季の風情を楽しめる。特に白ツツジの咲き揃う5月中旬が最も華やかで美しい。建物内部と御石仏釈迦像                   建物外部と庭園                馬場町1-17

国指定重要文化財 旧風間家住宅 丙申堂 明治29年

風間家の七代当主、幸右衛門が丙申の年に建てたので、それにちなみ丙申堂と名付けられた。行進住居と営業拠点として建てた。薬医門、約33トンもの石が置かれた石置屋根、主屋の広大な板の間と大黒柱、4つの蔵や座敷など、豪商の大邸宅を今に伝える。建物外部               建物内部と庭園                      二階に上がり、石置屋根と庭を眺める。               聖徳太子光寿無量堂            参考資料

釈迦堂・丙申堂パンフレット

山形県庄内地域観光情報データベース


Nov.2012 松田浩志

旧風間家住宅「丙申堂」(国指定重要文化財)

「明治29年(1896年)に、風間家7代当主 幸右衛門が、住まいと営業の拠点(店舗)として建てられたもので、広大な板の間や蔵など商家の特徴をよく残しています。この年の干支が丙申の年であったことにちなみ「丙申堂」(へいしんどう)と名づけられました。

主屋を中心に、南側は道路に面し、薬医門と前蔵、西側に中蔵と奥蔵、北側に内蔵(金庫蔵)があり、座敷や茶の間など部屋数19室、計180畳の和室、広大な板の間、大黒柱が当時のままに残っています。この建物は、明治27年の酒田地震を教訓にして建てたと伝えられ、広い板の間にかかる梁をトラス(三角形)状にするなど工夫のあとがみられます。

平成8年12月に主屋、同11年6月に表門(薬医門)・各蔵・板塀などが国指定登録有形文化財の指定を受けました。また、同12年12月に主屋・各蔵・便所・浴室が国指定重要文化財となりました。」

                        

風間家旧別邸「無量光苑釈迦堂」(国登録有形文化財)

『丙申堂より約50m北側に位置する無量光苑釈迦堂は、良質の杉材を使った数寄屋風建築で、明治43年(1910)、丙申堂の別邸として建てられた建物。主に来客の接待などに使われていた豪商のもてなしの館です。

構造や意匠に優れ、別邸建築を考える上で貴重な資料であるとして、2002年2月、国の登録有形文化財に指定されました。風間家は代々、浄土真宗への信仰が厚く、創建時から「無量光」の額がかけてあったことから、八代目当主・幸右衛門が建物と庭園を合わせて「無量光苑」と命名。さらに、現当主が、床の間に御石仏釈迦像(大正12年、東京帝国大学印度哲学科・常盤大定師より寄贈)を安置して「無量光苑 釈迦堂」と命名しました。』

山形県鶴岡市観光連盟ホームページより転載

         


Aug.2005 瀧山幸伸 

その1 Aug.2005 source movie

その2 Aug.2005 source movie

その3 Aug.2005  source movie

映画 蝉時雨の舞台

                                    

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