山形県山形市 山寺(立石寺)
Yamadera (Risshakuji),Yamagata city,Yamagata
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山形市大字山寺4456-1 立石寺中堂 重文 近世以前/寺院 室町中期 室町中期 桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、銅板葺 棟札2枚 19080423
山形市大字山寺4456-1 立石寺三重小塔 重文 近世以前/寺院 室町後期 永正16(1519) 一間三重塔婆、こけら葺 19520719
Nov.1,2021 瀧山幸伸
中堂
奥の院へ
三重小塔
境内遠望
movie preview (YouTube)
中堂
奥ノ院へ
山形県山形市山寺
山寺の1,015段の石段を登ってきました。一段一段登ることで人の煩悩を祓う石段との事。
860年の創建、根本中堂が国の重要文化財に指定されています。
それにも増して、煩悩を祓いながら石段を登った山頂からの景色が圧巻です。
奇岩の中の堂宇 —立 石 寺 石に込めた民の祈り
山寺信仰と石の文化 —立石寺 JR仙山線山寺駅に降り立ったとき、深遠な樹木に包まれた標高四00メートルの宝珠山(ほうじゅざん)の全貌を見ることができ、その山腹にある奇岩群の中に堂宇・伽藍を連ねた立石寺が威容を見せている。
立石寺は貞観二年(八六0年)、円仁(慈覚大師)の開山。東北天台宗の中心をなす名刹であり、山全体が国の名勝・史跡に指定されている。また、松尾芭蕉が「閑(しずか)さや岩にしみ入る蝉の声」と詠んだ寺としてもあまりに有名。そそり立つような石段を登ると、不滅の法燈で知られる根本中堂(国重文)から山門を経て奥の院までは一0一五段の石段が続く。山門を潜ると太い杉木立の間から巨岩が顔を覗かせ、その岩間を這うように道がジグザグに屈曲しながら続く。道の両端には、後生車(ごしょうぐるま)や石に刻んだ観音岩塔婆などが所狭しと並び、それぞれに民の祈りがこもっているようだ。
昔から使われてきた修行僧の石段らしく、その勾配も厳しい。道すがらの古木に導かれるように登ると、弥陀洞(みだほら)・仁王門が現れ、巨大な岩壁も顔をだす。
強い日差しの中をさらに進むと石段も終り、修行の岩場が奇怪な姿で立ち塞がる奥の院が姿をみせる。
堂宇は焼失・再建を繰返したが、全山に漂う幽邃の気配は変わらない。山全体の自然とマッチングした石のつくりが、訪れる人たちに霊場の厳しさを伝える。この境内の石段、石畳、石垣はすべて凝灰岩で、山寺石と称される切石。岩肌はどれも白っぽく、凹凸があってザラザラした特有の表情をしている。地元の山には数ケ所の
石切り場があったようだ。
この凝灰岩は水蝕・風蝕・温度変化で風化に弱く、雲形侵食と呼ばれる窪みや横穴が随所に出来ていた。それ故か、ここの石のつくりは一枚岩岩であるように、石同士が隙間なく並べてある。
切石の寸法は場所ごとで異なる。大き目の切石を現場で手直ししながら嵌め込んだじで、当然、石工の技術も加わったと思う。隣の天童市は中世の頃から凝灰岩の板碑・
鳥居・石仏等の石造文化が栄え、多くの遺物が残る。山寺の切石には、それ自体、霊力があると思われ使われてきたようだ。その天童の技術は石畳の道づくりにも役立ったこ
とだろう。
山寺信仰と石の文化は切り葉なせない関係にある。
山を下りて、垂直にそそり立つ絶壁にへばり付く堂塔群を改めて見やると、どのようにして建てられたのかと不思議でならない。
度々の戦火に遭いながらも復興され、千年もの長い期間耐えたのは、信仰の尊厳さによるとしか言いようがない。ここ石道は、いかなる日の朝も、支障ないよう手入れされ訪れる人を待っている。今後とも連綿と受け継がれていくことだろう。
Aug.2005 source movie
金堂から奥の院
Kondo to Okunoin
芭蕉句碑
Basho kuhi
根本中堂(重文)
Konponchudo
奥の院へ
To Okunoin
仁王門
Nioumon
奥の院付近
Okunoin
三重小塔(重文)
Sanjushoto
開山堂付近
Kaizando
戦後3回目の獅子舞奉納
Shishimai
Aug.2005 source movie
根本中堂(重文)、近隣の獅子舞、念仏夜行
Konponchudo,Shishimai,Nenbutsuyagyo
Aug.2005 source movie
根本中堂(重文)
Konponchudo
近隣の獅子舞
Shishimai
念仏夜行
Nenbutsuyagyo
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