山口県萩市 大照院
Daishoin,Hagi City,Yamaguchi
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萩市大字椿4132 大照院 庫裏 重文 近世以前/寺院 江戸中期 寛延3(1750)頃 桁行18.1m、梁間18.0m、一重、切妻造、妻入、南面・西面下屋付、東面庇・南面渡廊下及び便所・北面庇・西面便所各附属、本瓦及び桟瓦葺、東面突出部 桁行4.0m、梁間4.0m、入母屋造、桟瓦葺 20020523
萩市大字椿4132 大照院 書院 重文 近世以前/寺院 江戸中期 寛延3(1750)頃 桁行21.9m、梁間22.7m、一重、丁字形東面入母屋造、西面寄棟造、北面切妻造、西面北端便所附属、南面東端廊下附属、桟瓦葺 20020523
萩市大字椿4132 大照院 鐘楼門 重文 近世以前/寺院 江戸中期 寛延3(1750) 三間一戸二階二重門、入母屋造、桟瓦葺 20020523
萩市大字椿4132 大照院 経蔵 重文 近世以前/寺院 江戸後期 宝暦5(1755) 土蔵造、正面6.2m、側面6.2m、一重、宝形蔵、向拝一間、桟瓦葺、八角輪蔵付、北面及び西面張出し附属 20020523
May 28,2021 瀧山幸伸
鐘楼門
庫裏
本堂
経蔵
庭園
コウホネが風情を醸していた
書院
萩藩主毛利家 大照院墓所(史跡)
大照院
霊椿山大照院は、臨済宗南禅寺派の寺院で、荒廃していたものを、2代藩主綱広が亡父の初代藩主秀就の菩提所とするために、承応3年(1654)から明暦2年(1656)にかけて再建しました。
当寺は延享4年(1747)の火災で焼失しましたが、6代藩主宗広によって寛延3年(1750)に再建されました。本堂、庫裏(くり)、書院、鐘楼門、経蔵は国指定重要文化財に指定されています。また寺宝類も多く、国指定重要文化財「木造赤童子立像」をはじめ、県指定文化財「木造釈迦如来坐像」「木造義翁和尚倚像」など、貴重な文化財があります。
(「ぶらり萩あるき」より抜粋)
毛利家廟所
隣接する萩藩主毛利家墓所は、秀就以下2代から12代までの偶数代の藩主と夫人及び一族、秀就に殉死した7藩士の墓石があり、墓前には藩士が寄進した石灯籠が600数基あります(国指定史跡)。
(「ぶらり萩あるき」より抜粋)
奇数代の墓石のある東光寺よりも偶数代の墓石のある大照院のほうが規模が小さく、初代秀就大照公の墓所地域は立ち入り禁止となっている。
A camera
鐘楼門
本堂
経蔵
毛利家墓所
庭園、書院
庫裏
B camera
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