山口県美祢市 長登銅山跡
Naganobori douzan ato,Mine city,Yamaguchi
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May 22 2016 瀧山幸伸 source movie
長登銅山跡は、山口県のほぼ中央、国定公園秋吉台の東南麓に位置する。この地には,東西1.6km、南北2kmの範囲内に奈良時代から昭和期にかけての多数の銅、コバルト、孔雀石、鉄鉱石等の採鉱跡や精錬所跡が知られているが、大切谷と呼ばれる小谷とその周囲の斜面地には古代の銅の採鉱跡・精錬所遺跡などが所在するとともに、大量の精錬滓(からみ)が堆積している。 長登には、「奈良の大仏に銅を献上したので、奈良登と呼ばれていたのものが、訛 て長登になった」という地名伝説があったが、昭和47年、町史編纂のための調査で、奈良時代後半の土器とからみが採集されたことを契機に、美東町教育委員会によ 調査が開始された。平成10年度までに、多次にわたる分布調査、発掘調査が行なわれ、遺跡の範囲や内容が確認されることとなった。さらに、昭和63年には,奈良 東大寺出土の大仏建立時の青銅塊の理化学分析が行なわれ、長登銅山産銅であることが判明した。 銅山跡の中心的位置にある大切精錬遺跡は、大切谷内の小丘陵を檀状に整地し、そ こに、水を利用した選鉱作業場や一辺3mの方形区画の中心に炉を設置した精錬作業 場、大溝、暗渠排水溝、柵などを設けたもので、銅のほか、鉛などの生産・管理等にあたったものと推定される。出土遺物も豊富で、土器類のほか、要石、石槌、銅からみ、炉壁片、羽口、坩堝、銅・鉛の小片、銅鉱石等の精錬関係遺物や、800点余りの木簡、多量の木製品、自然遺物なども出土している。出土遺物の分析から、遺跡は主に8世紀初頭から11世紀にかけてのもので、時代が下るにつれて谷の上手に移動していることが判明した。また、木簡は、銅インゴットや炭に関するものや、塩や米の運搬や支給に関連するものなど、多岐の内容にわたっており、律令国家による長登銅山の運営・管理、古代の銅生産技術、各地との関係などを示している。さらに、大切谷の奥に所在する榧ヶ葉山(標高341m)の山頂から南斜面にかけては、30ヶ所以上の銅の採掘坑口跡が確認されている。これらの採掘坑は、鉱脈を追って掘り進まれ、蟻の巣状になっており、複数の坑口とつながっている。坑内では、奈良時代前半の須恵器が原位置で発見され、採掘活動がそれまで遡ることが判明した。このほか、大切谷とその周辺地には、平安中期の山神精錬遺跡、江戸期に全国に名を馳せた顔料、瀧ノ下緑青の原料である孔雀石の採鉱跡、大正8年廃業の花の山精錬所跡などが存在する。以上のように、長登銅山跡は、日本最古の銅山跡であり、古代の鉱山、銅の採掘・ 生産技術、律令国家による銅山経営の実態を具体的に示すとともに、奈良東大寺の大仏建立など、国家的な事業に密接に関連した遺跡である。また、鉱業を中心に展開してきたこの地域の古代から近代にかけての変遷をよく示している。よって史跡に指定し、保護を図ろうとするものである。(文化庁)
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