山口県山口市 山水園
(Sansuien Gardens, Yamaguchi City, Yamaguchi Pref.)
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May 21, 2022 野崎順次 source movie
山口市緑町4番60号
名勝 山水園
国登録記念物 山水園庭園 大正 / 昭和以降
山口市中央部の湯田温泉に位置しており,元々大正期に個人の別荘として造営が開始されたが,完成前に売却され,最終的に昭和11年(1936)に中野仁義(なかのひとよし)の所有するところとなった。中野は温泉旅館「山水園」を創業し,昭和25年(1950)に茶室棟,宴会場棟等の建物を増築した。庭園もその頃ほぼ現在の形に整えられた。
標高約120mの障子岳の南麓に広がる庭園は,敷地の東半分を占める池庭(いけにわ),西南隅に位置する枯山水,茶室周りの茶庭(露地)の3つの部分から成る。主屋建物群の東に位置する池庭は回遊式で,園池の周囲から山裾の小高い部分へと園路が延びる。古写真等の資料から,池庭の主要な部分は造営時に造られたことがわかる。宴会場棟の前に造られた枯山水は一面に敷き詰められた白砂に小ぶりの景石を配置し,昭和25年(1950)の茶室棟の建築と同時期に造られた茶庭とともに,京都の庭師後藤重栄(ごとうじゅうえい)によるものである。近代の山口県における造園文化の発展に寄与した意義深い事例である。
(文化遺産オンラインより)
今回は庭園中心の訪問であるが、その背後に見える本館は登録有形文化財に指定されている。また、以下の説明はすべて本園公式ウェブサイトよりの引用である。
三種の庭園
山水園には、日本庭園の三つの様式「池泉庭園」、「露地」、そして「枯山水」があります。池泉庭園と堀は大正中期に作られたもので、露地と枯山水は、昭和20年代後半に作庭されました。この三つの庭園は、「連続していながらそれぞれが独立している」として、専門家より高い評価を頂いております。マツやヒヨクヒバ等の樹木、クチナシやツツジ等の低木、ヤブコウジやヤブラン等の地被植物など豊富な植栽が四季折々の景色を作り出しています。
山水園入口にある茅葺きの門は、奈良・慈光院・茨木門の写しで、二階は茶室になっています。これも笛吹嘉一郎の設計施工です。
池泉庭園
山を借景として、中心に池を置き、自然の土地の起伏を生かして池の周りに回遊路が造られている回遊式庭園です。5つの入江と1つの島を持つ池は水に接する部分が長く、美しい表情を作り出しています。二つの滝から二本の温泉水の川が池に流れ込んでおり、温泉水のせいで池の鯉は冬眠することなく、一年中元気に泳ぎ、訪れる人々を楽しませています。
池のほぼ中央に架かる石橋は特徴的で、庭園のアクセントになっています。北側の入江には自然石と石橋を、南側の入江には飛び石を配して対岸に渡れるように造られています。
庭園の北側(池の上部)には「臨水」の名でお食事處として使われている離れ、臨水亭があります。池の南側には、数寄屋師・笛吹嘉一郎(うすいかいちろう)の設計・施工になる萬壽亭(まんじゅてい)があります。これは、京都桂離宮の四つ腰掛(卍亭)の写しです。
四つの茶室と水屋からなる茶室棟は笛吹嘉一郎設計施工。特に山月亭は表千家の代表茶室「残月亭」の写しです。
露地
露地は、外待合、砂雪隠、内待合、中門、梅軒門、つきあげ門、井戸、さらに枯れ流れまで備えた本格的な茶庭となっております。枯れ流れには沢飛石、流れ蹲(つくばい)、そして石橋が設けられています。
昭和20年代後半、笛吹嘉一郎が連れて来た、京都の庭師・後藤重栄の作庭で、庭石等の石材、垣のクロモジ、一部の樹木等は京都より運び込まれたものです。
枯山水
枯山水は、露地に続いて、後藤重栄により作られました。
数個の石と松等の植込みのある島と白砂から成る部分は、地面よりも低く造られているのが特徴的です。三方から小路をたどればそこへ下りてゆくことができ、それぞれ違った角度からの庭の表情が楽しめます。
敷地の南側(枯山水の角)に、茅葺きのいばらき門が設えられており、その二階洞雲は二畳中板の茶室となっています。この門は、大和郡山にある慈光院の茨木門の写しで、笛吹嘉一郎の設計・施工です。
いばらき門からほどなく堀に架かる石橋(大正時代のもの)を渡り小路を辿ると露地に参ります。
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