山口県山口市 山口大神宮
Yamaguchi daijingu,Yamaguchi city,Yamaguchi
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June 26,2016 蒲池眞佐子
山口大神宮
西のお伊勢さまと呼ばれる山口大神宮は永正17年(1520年)に大内義興が伊勢神宮の御分霊を勧請してできた。
遠くて伊勢まで行くことができない人がお参りする神社として栄える。
永正17年、両宮御鎮座の後、天文9年(21年目)に造替されたが、それ以後は、戦乱など時代の世相を反映して、必ずしも21年毎の式年遷宮は行われず、延期したり、規模を簡単にするというようなこともあった。
近年では、明治12年、35年に式年遷宮が行われたが、太平洋戦争が起こり、昭和35年に造替、平成12年(2000年)に式年遷宮を行った。
明治になるまでは伊勢皇太神宮から直接御分霊をうけて太神宮社が創建されたのは日本の中では山口大神宮だけであった。
石鳥居から参道
寛文3年(1663年)に長州藩主毛利綱広が寄進したもので山口県下でも古い石鳥居
日参一万日成就の碑
伊勢信仰が盛んとなった江戸時代、講をつくり日参するようになった。一万日に達すると碑を建てた
木彫神馬
文政3年(1820年)寄進 工匠安永貞右衛門作
鷲岩
江戸時代祇園社は大神宮境内にあり、その神事の鷲舞が終わると岩の上に鷲の頭や羽を置くことになっていた
神楽殿
神楽殿から内宮外宮へ
外宮
隣の空スペースは敷年遷宮の土地
内宮
籾置岩
稲籾麦の種子をこの上に置き、虫よけ豊作を祈った
外宮から山を登って清子大明神 小太郎大明神 國龍大明神へ
外宮の反対側に鴻ノ峯登山道という道しるべを行くと、大きな岩と祠がある。
その奥に進むと狭い石の階段が続く、どんどん登っていくとだんだん階段状の岩も壊れかかっている。その山中にあるのが傾いた鳥居と2つのお社である
多賀神社
近江の多賀大社の御分室を勧請した古社。国生みの神であることから、延寿、安産の神として古くより
親しまれ、縁結び、学情成就、病気平癒など広く信仰をうけている。
高嶺稲荷神社
農産物の守護を始め、商売繁盛、三難消除(病・火・盗)、芸能、家社業開運の神として信仰されている。
石敢當
山口大神宮小郡遥拝所 本殿 中門 神門
元治元年(1864年)小郡町民が浄財を出し合って建立した。このころ、藩庁は外国軍艦や幕府軍との戦いに備えて城を萩から山口へ移した。山口の守衛のため、小郡柳井田「中領八幡宮」前に関門と砲台を設置し、山口小郡間の自由な往来を禁止した。
そのため、九州、四国から来ていた多くのお伊勢さま「山口大神宮」参拝客は参拝ができなくなり、みかねた小郡村民が遥拝所をこの地に設けた。
小郡遥拝所は外宮で、同時に防府の台道の山に内宮が建立されたが、今は残っていない。(由緒書きより)
春には近くに山口市指定天然記念物に指定されている八重咲きの小郡桜が咲く「其中庵」がある
栄山神社
明治維新前後の戦役に殉じた烈士を、山口市小郡町中山手に祀ったことに始まる。
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