山梨県甲州市 恵林寺
Erinji temple, Koshu city,Yamanashi
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武田信玄ゆかりの寺 |
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信玄もち |
甲州市塩山小屋敷2280 恵林寺四脚門 重文 近世以前/寺院 桃山 慶長11(1606) 四脚門、切妻造、檜皮葺 19070828
October 23, 2021 野崎順次 source movie
山梨県甲州市塩山小屋敷2280
臨済宗 妙心寺派
乾徳山 恵林寺
(Erinji Temple, Koshu City,
Yamanashi Pref.)
元徳2年(1330)に、甲斐牧ノ庄(かいまきのしょう)の地頭職(じとうしょく:領主)をつとめていた二階堂出羽守貞藤(にかいどうでわのかみさだふじ:道号は道蘊
どううん)が、夢窓国師を招き、自邸を禅院とし創建しました。
武田信玄の尊敬を受けた美濃の快川(かいせん)和尚の入山で寺勢を高め、永禄7年(1564)には、信玄自ら寺領を寄進し当山を菩提寺と定めました。
天正4年(1576)4月、遺言通り三年間の秘喪の後、武田勝頼は快川国師の導師のもと、父信玄の盛大な葬儀を厳修しました。
しかし天正10年(1582)3月、勝頼は時運を味方につけることができず天目山下に自刃、甲斐武田氏は滅亡しました。同4月3日、恵林寺は織田信長の焼き討ちにあい、快川国師は「安禅必ずしも山水を須(もち)いず、心頭滅却すれば火も自(おのずか)ら涼し」と言葉を残し、百人以上ともいわれる僧侶等とともに火に包まれました。
同6月3日、「本能寺の変」によって信長が斃れて後、徳川家康の手により復興され、また徳川五代将軍綱吉の時代に甲斐国主となった柳沢美濃守吉保の庇護で寺運は発展、柳沢吉保嫡男の吉里の代に柳沢家は奈良大和郡山に転封となるも、吉保夫妻は恵林寺を菩提寺として霊廟をもうけました。
庭園は鎌倉時代、夢窓国師の作庭で、国の史跡・名勝に指定されており、甲府八景「恵林晩鐘」に詠まれています。
(本寺公式ウェブサイトより)
パンフレットとアプローチ(塩山駅からバスで)
恵林寺黒門から参道を進む。
国重文 四脚門(通称・赤門)再建 桃山時代 慶長11年(1606)
四脚門、切妻造、檜皮葺
参道の両側に池
県文 三門
一間一戸、楼門形式
「心頭滅却すれば火も自(ひおのずから)涼し」というフレーズは、現代でもなお生きている。この由来は実のところ、多く命と引き換えにして、この「三門」の場所から有名になった。武田家が滅亡しても恭順しなかった恵林寺は、織田勢によって火攻めにあった。この「三門」の場所に立て籠もった快川国師は、今際の際に冒頭の一句を大喝一声して多くの僧侶たちの動揺を鎮めて、端座しつつ皆で運命に身をゆだねたといわれている。
(本寺公式ウェブサイトより)
三重塔あたり
市文 開山堂
鐘楼
玄関、庫裡、書院
本堂
本堂前の石庭
武田信玄と柳沢吉保夫妻の墓(共に撮影禁止)へ、うぐいす廊下、信玄公墓所の巨大な杉、新拝観路「瞑歩禅」など
国史跡名勝 恵林寺庭園 池泉回遊式 鎌倉時代末期
国師は庭園が大変好きではあったが、自ら作庭されたということについては種々問題がある。むしろ国師は建築に重点をおかれていて、本寺の円通閣や、永保寺の観音殿、西芳寺の瑠璃殿その他の例がある。
そこでむしろこの慧林寺(原文ママ)の庭園も、国師入寺前に、二階堂道葱が作庭していたのではないかと考えられる点がある。実は本庭が禅院式の庭園ではなく、一種の武家好みの池庭であることや、まだ回遊式の古式が判然としていることなどから、夢窓国師の好みとはかなり異なっていることからも一考される。
本庭は面積が六百四十六坪もある、やや広い池庭であり、池中には亀島一島のみが荒廃した形で保存されているが、もとは何島かあったことであろう。
上部山畔には、須弥山式の石組があり、北岸の中央には滝が落とされているが、その石組には鎌倉期の手法が見られる。しかし下部の滝壷あたりは後の時代の改造である。
そして本庭の向かって左方部対岸には岩磐を利用した石組があり、この付近の石組には、亀頭石風な石組があって、これは名古屋城ニノ丸庭園に見られるものと類似していて、天正災火の後に改造されたものかもしれない。それにしても石組はいずれも豪健で傑出している。
本庭では、さらに東部山畔付近が、後の改造ながら、多くの護岸その他の石組があって、なかなか美しい。この部分は桃山期の手法が窺えるから、後の改造ながらなかなか美しい。ことに今の書院が、後庭との間に接近しているから、今の書院が出張ったことが考えられる。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」より)
西側手前
西側山畔から護岸石組
東側山畔
本堂と書院の間
書院の八衛門座敷
境内の店で食べた山菜そば
恵林寺四脚門
臨済宗妙心寺派の寺で、元徳二年(1330)二階堂貞藤が夢窓国師を招いて開創。名高い禅僧が次々に入山し、甲斐に文化の向上をもたらした。桃山期の四脚門は重要文化財。
三門
武田信玄の菩提寺であったが、天正十年(1582)武田氏滅亡の折、織田信長に焼かれ全てが灰に。そのとき、炎上する三門楼上で快川国師は有名な「安禅不必須山水、滅却心頭火自(あんぜんかならずしもさんすいをもちいずしんとうめっきゃくすればひもおのずからすずし)」のを唱え、寺と運命を共にした。
恵林寺庭園
美しい庭園は、池泉回遊式庭園といわれる様式。京都の天竜寺、西芳寺(苔寺)と並ぶ夢窓国師の代表作で、国の名勝となっている。
ホームページより転載。
四脚門
参道
三門
良く鳴る(鳴く)うぐいす廊下
恵林寺庭園
A camera
B camera
甲州市塩山小屋敷
武田信玄の菩提寺。桜の頃は参堂から見る四脚門が特に美しい。
庭園は、京都の天竜寺、西芳寺(苔寺)と並ぶ夢窓国師の代表作で、国の名勝に指定されている。
名勝庭園の孤高のしだれ桜を重文の本堂から眺めれば水音と庭園の美しさに癒される。
鳥の声、水の音は当然ながら、鴬張りの廊下が奏でる音もリズミカルで楽しい。
四脚門は国の重要文化財。 慶長11年(1606)築。
柳沢吉保の墓など見所も多い。
庫裏脇の草餅は美味。
団体観光客が多いので早朝に訪問したい。
近隣の神社
四脚門
庫裏
庫裏から庭園へ
四脚門
草もち
本堂裏
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