山梨県富士吉田市 北口本宮富士浅間神社
Kitaguchi Hongu Fuji Sengen jinja,Fujiyoshida city,yamanashi
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富士吉田市上吉田5558 北口本宮富士浅間神社西宮本殿 重文 近世以前/神社 桃山 文禄3(1594) 一間社流造、檜皮葺 19530331
富士吉田市上吉田5558 北口本宮富士浅間神社東宮本殿 重文 近世以前/神社 室町後期 永禄4(1561) 一間社流造、檜皮葺 棟札1枚 19070828
富士吉田市上吉田5558 北口本宮富士浅間神社本殿 重文 近世以前/神社 江戸前期 元和元(1615) 一間社入母屋造、向拝唐破風造、檜皮葺棟札1枚 19530331
富士吉田市上吉田5558 北口本宮富士浅間神社 拝殿及び幣殿 重文 近世以前/神社 江戸前期 元和元(1615) "拝殿 桁行七間、梁間三間、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝一間、唐破風造、瓦棒銅板葺 幣殿 桁行四間、梁間一間、前面拝殿に接続、切妻造、瓦棒銅板葺" "燈籠1基 基台及び竿部 石造 中台部、火袋部及び笠部 木造、桁行一間、梁間一間、入母屋造、銅板葺" 20171128
富士吉田市上吉田5558 北口本宮富士浅間神社 惠比壽社及び透塀 重文 近世以前/神社 江戸前期 元和元(1615) "惠比壽社 桁行二間、梁間一間、向唐破風造、瓦棒銅板葺 透塀2棟 惠比壽社東方 折曲り延長九間、両下造、瓦棒銅板葺、霧除付
惠比壽社西方 折曲り延長九間、両下造、瓦棒銅板葺、霧除付" 20171128
富士吉田市上吉田5558 北口本宮富士浅間神社 神楽殿 重文 近世以前/神社 江戸中期 元文元(1737) 桁行一間、梁間一間、入母屋造、瓦棒銅板葺 20171128
富士吉田市上吉田5558 北口本宮富士浅間神社 手水舎 重文 近世以前/神社 江戸中期 延享2(1745) 桁行一間、梁間一間、入母屋造、銅板葺棟札1枚:延享二年一二月 20171128
富士吉田市上吉田5558 北口本宮富士浅間神社 随神門 重文 近世以前/神社 江戸中期 元文元(1736) 三間一戸八脚門、切妻造、瓦棒銅板葺棟札1枚:元文元年八月 20171128
富士吉田市上吉田5558 北口本宮富士浅間神社 福地八幡社 重文 近世以前/神社 江戸中期 貞享元(1684) 一間社流造、銅板葺 棟札2枚:貞享元年八月、元文五年三月 20171128
富士吉田市上吉田5558 北口本宮富士浅間神社 諏訪神社拝殿 重文 近世以前/神社 江戸中期 元文元(1736)頃 桁行正面三間、背面五間、梁間四間、入母屋造、鉄板葺 20171128
富士吉田市上吉田5558 北口本宮富士浅間神社 社務所 重文 近世以前/神社 江戸中期 寛保元(1741) 桁行15.3m、梁間11.3m、一部二階建、切妻造、正面式台付属、唐破風造、背面張出附属、鉄板葺棟札1枚:寛保元年八月 20171128
吉田の火祭
重要無形民俗文化財
吉田の火祭は、山梨県富士吉田市上吉田にある北口本宮冨士浅間神社とその摂社である諏訪神社の祭りで、 富士信仰の隆盛とともに伝承されてきた火祭りである。7月1日の富士山のお山開きに対するお山仕舞いの祭りであり、8月26日夜には、市中に立てられた数多くの大きな松明が燃やされることから、吉田の火祭の名で知られている。
富士吉田市は、山梨県の東南部、富士山の北麓に位置する。火祭りが伝承される上吉田は、富士山に登拝する人たちに宿坊を提供し、信仰の仲立ちをした御師たちが集住することによって形成された町である。富士山を遙拝できる、金鳥居のある表通りを中心に南北に細長い町並がみられ、浅間神社の門前から北に向けて、下宿、中宿、上宿、中曽根の4つの町内に分かれている。
浅間神社は、上吉田の南に広がる諏訪森と呼ばれる境内に富士山を背にして鎮座し、諏訪神社は、その摂社として境内に祀られている。文化11(1814)年に編纂された『甲斐国志』には、「諏方明神上吉田村 本村ノ土神ナリ・・・例祭ハ七月廿二日 神輿ハ冨士山ノ御影・・・其ノ夜此屋皆篝松ヲ焼ク」とあるように、火祭りは上吉田村の産土神であった諏訪神社の例祭であったが、富士信仰が盛んになるにつれて、浅間神社の社域が拡大して諏訪神社を取り込み、浅間神社が氏神、諏訪神社はその境内社となり、現在は両社の祭りとして伝承されている。
祭日は、旧暦7月21日、22日であったが、大正3年以降、現行の新暦の期日で行っている。
祭りの準備や運営は、祭典世話人と呼ばれる14名の氏子を中心に行われる。世話人になれるのは、42歳の厄年前の既婚の男性に限られており、上宿から4名、中宿から4名、下宿と中曽根から3名ずつ選ぶことが原則となっている。世話人は、祭りの1か月前から精進潔斎の生活に入り、一切の不浄を避け、祭りの2日間は、必ず火打石で切り火をしてから家を出る。また、前年の世話人は、旧世話や後役などと呼ばれ、当年の世話人の指導や補佐役をつとめる。祭りの準備は、8月に入ると本格的に動き出し、祭り全体の協議や松明作りがはじまる。
火祭りに用いられる松明は、ユイタイマツ(結松明)とイゲタタイマツ(井桁松明)の2種類がある。ユイタイマツは、高さが3㍍強、下部の直径が約1㍍の円筒形の松明で、中宿に設けられた御旅所(上吉田コミュニティセンター)と表通りに立てられる。ユイタイマツは、火祭りまでに市内の松山地区の職人を中心に製作され、ヒノキの丸太を芯とし、薪と呼ばれるアカマツ材を差し重ねていき、周囲を経木と呼ばれる檜の皮で囲み、荒縄で巻いて結い上げられる。松明の上部には、点火材として、ヤニ木と呼ばれる、樹脂を多く含んだアカマツの根材が使用される。イゲタタイマツは、宿坊や各家が門前で燃やす松明のことで、祭りの当日に、アカマツの薪を井桁状に約1.5㍍ほど積み上げて作られる。松明の材料となるアカマツの調達に際しても不浄は忌避され、不幸のあった山林所有者の山からは切り出さないなど、慎重に材料選びが行われる。
初日の26日は、夕方より、赤富士を象ったオヤマサン(御山さん)、あるいはミカゲ(御影)と呼ばれる、重量約1㌧の巨大な富士山型の神輿と諏訪神社の神輿が神社を出発し、氏子域を渡御する。そして、2つの神輿が中宿の御旅所に納まると、御旅所前に立つ2本のユイタイマツに点火され、それを合図に表通りに立ち並ぶ松明に次々と火が入れられる。松明は、御師や富士講によって奉納されてきたが、現在は地域の企業や商店が主な奉納者であり、例年80本以上が奉納されている。
一方、表通りの御師の宿坊や沿道の家々では、門前の路上に積み上げたイゲタタイマツに火を点ける。夜の訪れとともに、上宿から中曽根までの表通りには帯状の火の海があらわれ、氏子や観衆たちは、火の粉をあびながら松明の下を通り抜ける。こうして松明が赤々と燃えてくると、それに呼応して、富士山の五合目から八合目にある山小屋でも火が焚かれる。登山道に沿って列状に並ぶ火は、山麓からも眺めることができ、山と町とが一体となっての火祭りとなる。
また、吉田の火祭は、富士山を信仰し、組織的に参詣する富士講の人たちが参加する祭りでもある。宿坊の入り口などでは、東京や千葉、埼玉などから訪れた富士講の人々が行衣に身を固め、それぞれに先達を中心に燃えさかる松明の前で、お伝えと呼ばれる教典を読み上げるなどの講の行事を行う。
翌日の27日は、午後、御旅所から2つの神輿が出て氏子域を巡行し、夜に神社へ還御する。神社の境内では、神輿が高天原と呼ばれる祭場を回るが、このときにススキを持った参詣者たちが神輿の後ろについて一緒に回る。とくに市内外の女性たちが安産や子育てを祈願して大勢参加する。
上吉田では、火祭りの際には清浄であることが強く求められる。とくに死の穢れを忌む慣習が強くみられる。前年の祭りから一年の間に不幸のあった家はアラブク(新服)と呼ばれ、その家の者は、「火祭りから逃げる」といって、火や神輿を見ることを避けねばならない。祭りの期間中は、クイコミといって家の戸を閉めて謹慎して過ごしたり、「テマ(手間)に出る」といって町外の親戚の家に逃れたりすることが行われてきており、穢れに対する禁忌が厳格に守られながら火祭りが伝承されている。
我が国の山岳信仰を代表する富士信仰を背景に伝承されてきた祭りであり、数多くの大きな松明を勇壮に燃やす大規模な火祭りとして全国的にも注目される事例である。富士信仰に因む火祭りは、山梨県甲州市下岩崎にある浅間神社の火祭や県東部の郡内地方における火焚き行事をはじめ、関東地方に伝承がみられるが、吉田の火祭からの伝播やその影響を受けている事例が多く、同種の火祭りの典型例と考えられる。
また、上吉田の氏子だけでなく、関東地方を中心に活動する富士講の人たちも参加する祭りであり、富士山に対する信仰の広がりを知るうえで貴重であるとともに、火に関する禁忌が厳格に守られているなど、我が国の山岳信仰や火に関する祭りを理解するうえで重要である。(※解説は指定当時のものをもとにしています)
(文化財データベース)
15:00 本殿祭
参道
本殿
諏訪神社
16:00 奉遷
16:20 諏訪神社祭
16:45 発輿祭
17:00 神輿出発
17:15 神輿渡御
御旅所(上吉田コミュニティセンター)
18:30 神輿到着、御旅所着輿祭、太々神楽
18:40 大松明点火
撮影 Mar 23,2013 所在地 山梨県富士吉田市上吉田5558 参道 随神門 境内 本殿(重要文化財)元和元(1615)年の建築
一間社入母屋造、向拝唐破風造、檜皮葺極彩色の社殿です。
覆い屋の中にあります。 東宮本殿(重要文化財)永禄4(1561)年の建築
一間社流造、檜皮葺 西宮本殿(重要文化財)文禄3(1594)年の建築
一間社流造、檜皮葺
山梨県富士吉田市上吉田諏訪内 Sept.17,2012 撮影重要文化財(本殿、西宮本殿、東宮本殿)
現存建物建造年 本殿:1615年(元和元年) 西宮本殿:1594年(文禄3年) 東宮本殿:1561年(永禄4年)本殿は比較的大きな社殿で元和元年の再建になり漆塗に彫刻、鍍金々具を用いた豪華富麗な意匠は近幾地方に観る桃山時代建築に比し損色がない。 西宮本殿は本殿の向って右に在り、文禄三年の造立という。よく古材を保存しており、殊に正面扉下の彫刻及び蟇股など立派である。(国指定文化財等データベース説明文)。浅間神社の起源は垂仁天皇の代とされており延暦7年(788年)に現在の地に社殿が建てられとされる。
その後武田信玄により東宮本殿が建造され、西宮本殿は浅野左衛門佐、本殿は鳥居土佐守によって建立されている。
祭神は木花開耶姫命であるが、信玄による建造の前は諏訪神社のみが鎮座していたとの説もある。
神社の裏手に富士山登山口(吉田口)がある。参道、随神門,神楽殿
太郎杉
拝殿 その奥に本殿
西宮本殿
随神門と石灯籠
神楽殿
手水舎
拝殿、本殿ほか
末社
西宮
東宮
神輿社
神楽 その1
Nov. 2005 source movie
神楽 その2
Nov. 2005 source movie
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