山梨県甲州市 大善寺
Daizenji,Koshu city,Yamanashi
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甲州市勝沼町3559 大善寺本堂 国宝 近世以前/寺院 鎌倉後期 弘安9(1286) 桁行五間、梁間五間、一重、寄棟造、檜皮葺 厨子1基 19070828 19550622
November 27, 2021 野崎順次
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山梨県甲州市勝沼町勝沼3559
真言宗智山派
柏尾山 大善寺
大善寺の創建は養老2年(718)、奈良時代の名僧として知られた行基菩薩がこの地で厳しい修行を重ねたところ霊夢で葡萄を持った薬師如来が現れました。行基は霊地と悟り、現れた薬師如来像の姿を自ら刻み込むと御堂を設けて本尊として開いたと伝えられています(この地に葡萄の栽培を伝えたのが行基菩薩とも云われています。
(中略)
甲斐領主武田家からも庇護され、天文9年(1540)に本堂が暴風雨で倒壊すると、武田信玄が天文19年(1550)に修築、天正10年(1582)の織田信長の甲斐侵攻に際し、武田勝頼(躑躅ヶ崎館・新府城の城主)が戦勝祈願を行っています。
勝頼は天目山で再起を図ろうとしましたが家臣の離散が相次ぎ、最終的に岩殿城主小山田信茂の裏切りにより自決に追い込まれます。その時、大善寺に居た勝頼の叔母理慶尼は一連の出来事をまとめており武田滅亡記(理慶尼記)として大善寺の寺宝となっています。江戸時代に入ると3代将軍徳川家光が寺領32石6斗の朱印状を発布し歴代将軍も追認しています。
(www.yamareki.comより)
幕末の戊辰戦争では、慶応4年(1868年)3月6日、大善寺の付近で板垣退助率いる迅衝隊が、近藤勇の率いる甲陽鎮撫隊と戦い勝利を収めた(甲州勝沼の戦い)
(ウィキペディア「大善寺(甲州市)」より)
パンフレットと現地説明板
アプローチ、JR甲府から勝沼ぶどう郷駅まで
まず、受付のある庫裏の奥、書院に行く。その北側が庭園である。
県文 大善寺庭園 江戸初期 池泉鑑賞式
今本庭を一覧すると、本庭は本寺東西の両書院の北庭となり、面積は二百二十坪となって、池泉は十七坪となっている。北部山畔を利用し、その下部に東西にやや長い池泉をうがち、北部中央が大きく出島となり、向かって左方部山畔上部から滝を落してあって、背後の築山も芝生により円形のもので、その点は三光寺庭園ともよく似ている。それのみでな、池庭には亀島一島を大きく設けてあって、この亀島一島を大きく作ることは天和貞享期まで降る訳であるが、ただ本庭の場合には、その石組がかなり豪快であって、滝の石組がかなり荒廃しながらも巨石の立石を用い、あるいは下部池中に五尺高の岩島を用いるなど、傑出した石組があり、または築山向かって右方下部に三尊石組もあってなかなか豪華な石組を見せている。
そこでこのような石組を一覧すると、本庭は、多くの研究者達も寛永末年から、承応末年
(1640-1654)と見る向きも多いが、池庭の地り方や、亀島一島の配置や、石組手法の上からして、実は天和貞享(1681-1687)位まで下げて考えた方がよいと著者は考えている。それにしても本庭は山梨県下における名園として傑出しているので一覧願いたい。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」より)
中庭と山門近くの意味ありげな岩
県文 山門 江戸後期
三間一戸楼門、入母屋造、銅版葺。棟札により寛政10年(1798)に土屋但馬守英直(茨城県、土浦城主)により再建されたもので、大工は旧大和村の諏訪神社、三島神社の本殿を手掛けた土橋文蔵茂祇である。上下層とも三手先の組物をもちい、当時流行していた彫刻をおさえ重厚さを備えた大建築であり、比較的改変も少なく十八世紀末の甲州建築を知る上で貴重な建造物です。
(現地説明版)
石段を上る。途中に御神木。
楽堂 延寶五年(1677)再建立
稚児堂
国宝 本堂(薬師堂) 鎌倉時代 弘安9年3月16日(1286)の刻銘
本堂の中に薬師三尊像を安置していることから「薬師堂」とも呼ばれています。元寇(弘安の役)の数年後に建てられ、築730年以上になる関東周辺で最も古い木造建造物です。
大きさは24m四方で、幅広の縁側が四周を取り巻いています。流麗な線を持つ檜皮葺きの屋根は落ち着きを見せ、鎌倉時代の建築の力強さがよく現れています。内部は内陣と下陣に分かれ、内陣には須弥壇を設けて厨子を置き、薬師如来をお祀りしています。
(大善寺公式ウェブサイトより)
展望台から見る甲府盆地と山々、宝珠石など
鐘楼と行者堂
五輪塔群(佐藤信重の五輪塔)
里慶尼の墓
「武田勝頼滅亡記」を著した当山の里慶尼が眠る五輪塔、慶長16年(1611)8月17日入寂
下の道路わきからの眺望
Aug. 07, 2015 松田浩志
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