山梨県甲州市 放光寺
(Hokoji Temple, Koshu City, Yamanashi Pref.)
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October 23, 2021 野崎順次 source movie
山梨県甲州市塩山藤木2438
真言宗智山派
高橋山 放光寺
(Hokoji Temple, Koshu City, Yamanashi
Pref.)
武田氏の祖で、新羅三郎義光の子孫という安田義定が、元暦元年(1184年)に創建。源平合戦で功績をたてた甲斐源氏・安田義定が一ノ谷の戦いの戦勝を記念して創建した寺で、戦国時代に、武田信玄も放光寺を祈願所にしています。
武田信玄も放光寺を尊崇し、武田勝頼が武勲を立てた三方原の合戦(武田信玄軍と徳川家康・織田信長連合軍との合戦)の際には遠州・医王寺(静岡県富士市比奈1546、山本勘助の墓がある寺)に伝わった『大般若経』600巻(南北朝時代の写経)を放光寺に移しています。
『大般若経』は、天正10年(1582年)、武田氏滅亡の際に恵林寺と同様に織田軍の戦火を受け焼失しています。
寺にある銅鐘は、安田義定が奉納したもので、信玄は居館である躑躅ヶ崎館(現在の武田神社)で陣鐘としていましたが、武田氏滅亡後に寺に戻されています。あまり知られていないが、まさに『風林火山』ゆかりの鐘なのです。
みどころは、安田義定の墓や安田義安田義定が奉納した銅鐘、宝物館にある3体の木造の仏像。仏像は中央が穏やかな表情の大日如来座像、左は天弓愛染明王像、右が男性的で力強い不動明王立像。いずれも平安末期の作で、国の重要文化財になっています。
(「ニッポン旅マガジン」ウェブサイトより)
パンフレットとアプローチ、南方に富士山の先っぽが見える。
参道と仁王門
国重文 木造金剛力士立像 鎌倉時代
大黒天が祀られている。中央の大岩は奥の院本尊摩崖仏(奥の院から移座)など
中門あたり
市文 庫裏 江戸時代
玄関
市文 本堂 江戸時代
愛染堂と銅鐘(県文)
銘文によると放光寺の開基にあたる安田遠江守義定が建久2年(1191)に当初奉納し、その後建治元年(1275)、建武3年(1336)、貞治5年(1366)に改鋳された。貞治5年改鋳時の大工は道金で、大和村木賊の栖雲寺梵鐘とおなじ大工銘である。
総高105センチ、口径56センチ。
宝物殿から開基堂
開基堂内部
甲斐源氏安田義定公廟所
池泉鑑賞式庭園、庭としてあまり重要視されていないが、注目したい蓬莱石組らしきものもある。
弁財天や人形塚のルートで仁王門に戻る。
市民文 西藤木の水車
境内東側の道路の脇を流れる「小屋敷セギ」に沿って降ると、水車があり、セギとともに生活していたころの風景が残されている。
石仏など愛でながら、恵林寺へ細い路をたどる。
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