山梨県甲州市 三光寺
Sankoji,Koshu city,Yamanashi
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November 27, 2021 野崎順次 source movie
山梨県甲州市勝沼町菱山928
浄土真宗本願寺派
菱渓山 三光寺
1400年前、聖徳太子に仕えた帰化人・秦河勝が甲斐を訪れ勝沼の山中に三岳寺を建立し、聖徳太子像を祀ったのが始まりと伝承されている。
奈良時代に入り三光寺と改名し、平安時代には大いに栄えたと伝えられている。(近世に編纂された地誌類によれば、奈良時代に開創されたと考えられている。
1350年頃、現在地に浄土真宗の寺として再興されている。本堂裏手の庭園は流水鑑賞式庭園で江戸時代初期の作造といわれている。
(「お寺の風景と陶芸」サイトより)
楼門と本堂
県名勝 三光寺庭園 江戸初期 池泉(涸)鑑賞式
今本庭を一覧すると、本庭は本堂および枕流館書院の北庭となっていて、面積は約百三十五坪ほどあり、山畔を利用した池泉観賞式の庭である。本庭は昭和四十二年四月に日本庭園研究会の人々によって一部の発掘作業と修理をされた関係で、近年一段と美しくなった。このような関係で、本庭の地割や石組も明確に一覧されるが、今本庭の様式上から一覧すると、池庭は山畔下にあって北西から南東に細長く掘られ、対岸に三個所の出島があり、やや西北に沢渡りがある。本来ならここに石橋が架けられるところである。従ってこれらの様式を一覧すると、本庭は様式的にまず寛文末年から延宝にかけての地割であり、その好例は多い。
そしてまた本庭の背後には大小二個の築山があって、この築山は芝生の円形の山とし、築山にはほとんど植栽がなく、石組だけであって、築山を引き立てるために、植栽は築山の背後にのみ用いてある。このような様式はまったく寛文から延宝を前後する典型的な作庭法であり、地割とともによく作庭年代を語っていて、その好例は京都の智積院庭園、妙法院御座ノ間庭園、豊川市の妙厳寺庭園、静岡県の竜潭寺庭園等々がある。
ただ本庭は、向かって右の築山に見られる枯滝石組や、その他に見られる護岸石組を一覧すると、いずれもなかなか豪健な手法が見られ、桃山末から寛永期にかけての石組に近い技法を見せている。しかしよく一覧すると、石組の技法上、各石の接点が開き過ぎていて、やはり寛文延宝期の手法をよく語っている。
池庭は現在水がなく澗池となっているが、栗石を敷き詰めてある。この地方の庭園としてはなかなか傑出しているので一覧の要がある。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」より)
太子堂とその背後の甲斐駒様の岩(磐座?)
JR勝沼ぶどう郷駅
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