JAPAN-GEOGRAPHIC.TV 山梨県甲府市 東光寺
Toukouji,Kofu city,Yamanashi
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甲府市東光寺3-7-37 東光寺仏殿 重文 近世以前/寺院 室町後期 室町後期 桁行三間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、檜皮葺 19270425



Sep.2011 野崎順次

山梨県甲府市東光寺三丁目7-37
法蓋山 東光寺(ほうがいざん とうこうじ)
撮影日: 2011年9月19日 当山は臨済宗妙心寺派の寺である。伝えによれば草創は平安時代末期で、興国院と名づけたことに始まるといわれる。鎌倉五山建長寺開山、蘭渓道隆禅師(らんけいどうりゅうぜんじ)は、文永五年(1268)、根拠のないうわさから甲州に配流され当山に入山した。そのため臨済禅とのつながりが生じ、密教から禅宗寺院として七堂伽藍が整備された。甲州禅文化の中心的存在となり、。幕府の禅宗官寺制度では五山十刹の諸山にその名をつらねた。このころ(1320年代)、寺号を東光寺と改めた。 東光寺の歴史には不明な部分が多い。室町時代までは歴代住職すら不明で、鎌倉建長寺派との縁もなくなり妙心寺派と変わった。 室町時代は武田家の保護尊宗をうけ寺運は栄え、諸堂が整備された。武田信玄は臨済宗妙心寺派に深く帰依し、鎌倉・京都五山にならい「甲府五山」を開いた。長禅寺・東光寺・法泉寺・能成寺・円光院がそれである。信玄の時代、当山の住職は藍田恵青(らんでんえじょう)和尚であった。藍田は信玄の伯父に当たり幼名を武田二郎といい、仁甫禅師につき出家得度した。信玄の帰依は厚く、天文年中、諸堂は再開され寺域は整備された。天文十年四月三日、武田滅亡後織田信長は、恵林寺の僧、七十余人の雲衲らを山門楼上に集め火を放った。快川国師ら高僧は偈(げ)を唱え火定に入った。高僧の中には東光寺藍田和尚がいたことは有名である。 江戸期に入り甲府城主柳沢家の保護をうけ、享保二年(1717)、仏殿・薬師如来・十二神将像などが修理され面目を一新した。柳沢吉里の嫡子、幸三郎は享保三年に、時英も同七年早世した。吉里は当山に墓塔を建て二児の菩提を弔った。そのため柳沢家の帰依は厚く、吉里自筆の書画が寄進された。慶応四年(1868)の寺記による規模は御朱印地十四石四斗、境内三千七百八坪、山林三十五町歩余、本堂・仏殿・禅堂・庫裡・役寮・書院・浴室・拈案(てんあん)寮・惣門・中門・黒門・裏門・土蔵・納屋・高春院・耕雲院など、七堂伽藍と数多くの建物は壮観をきわめた。 明治維新を迎え廃物毀釈(はいぶつきしゃく)の令により広大な寺領や、寺の背後の法蓋山をはじめとして、多くの山林などが上知として政府に上納された。二十年七月六日、甲府大空襲で本堂・庫裡は焼失。幸い仏殿・山門・鐘堂は残った。 パンフレット                  アプローチ ぶどう畑の村落を歩くと道路の右手に東光寺への道がある。門前には石仏が集められている。                         重文 東光寺仏殿 天文年間(1532〜54)再建

仏殿は低い基壇上に建てられ、方三間(約5.3m)、裳階(もこし)付きで、裳階柱は面取り角柱である。正面中央は引き分けア桟唐戸、両わき四間は格子戸、特に唐様の特色である粽(ちまき)付き円柱と礎石の間に礎盤を入れ、桧皮(ひわだ)葺き重層入母屋様式の屋根は、宋時代の禅寺を思わせる優雅な室町時代の様式を伝えている。
天正十年(1582)四月、武田滅亡後、織田信長は甲府善光寺に本陣を置き、東光寺を焼いた。しかし、不思議に仏殿だけが焼け残った。仏殿の中の柱に、織田軍が乱入した時の刀きずが残っている。昭和二十年七月六日の甲府大空襲でも諸堂は焼失したが、仏殿だけが焼け残り、奇跡な因縁を感じさせる。                       仏殿内部。柱に刀傷が残る。           県文 薬師如来 鎌倉時代
東光寺仏殿の本尊、薬師如来は、正しくは「東方薬師瑠璃光如来(づんぽうやくしるりこうにょらい)」とよばれ、鎌倉時代の作である。この仏様は、東方浄瑠璃光世界の教主といわれ、十二の大誓願を発し、衆生(しゅじょう)の病苦を救い、無明の痼疾(こしつ・長い病い)をいやす如来で、左手には薬壺を持っている。      県文 十二神将(じんしょう) 鎌倉時代
十二神将は薬師如来の従者、分身といわれ、薬師経の読誦(どくじゅ)者を守護する十二の神である。いずれも天衣をまとい、甲冑(かっちゅう)をつけた武将姿で、七千の従者を率いて、衆生を病苦から守るという。のち、十二支の動物と結びついて、頭に十二支の姿を刻むようになったといわれている。              本堂         
県名勝 東光寺庭園
東光寺庭園は、広さは約四百五十坪で池泉観賞式庭園といい、本堂のうしろにある。中国黄河中流の、伝説の「滝門瀑」の滝を登った鯉が滝に変化するさまを自然石の石組みで見事に表現している。滝の落ち口の前方には、人工石の舟が浮かび、蓬来(ほうらい)山を表した山形石を組んだ景色は、一幅の北宋山水画を思わせる。中国風のテーマであり、蘭渓道隆の手になるものと考えられる。る山梨における第一級の名庭である。                 心をこめて整備された境内と庭。
                       参考資料
法蓋山東光寺HP
ウィキペディア「東光寺」
Sep.2008 瀧山幸伸 source movie

甲斐善光寺近く、山麓に立地する臨済宗の禅寺。
仏殿の建立時期は明らかではないが、様式から見て室町時代の建立と言われている。山梨市の国宝清白寺仏殿と比較訪問すると興味深い。
正面5間、側面5間、一重裳階付、入母屋造の桧皮葺。
国の重要文化財に指定されているが、国宝級であると思うほど美しい。その印象は、木材の材質、色つやに起因する。なぜこのように美しく渋い光沢を放つのであろうか。木が持つ神秘性のとりこになる。数百年を経てさらに美しさが進化しているとも思える。これとの比較に耐えうる近代建築はどれほどあろうか。
 甲府市東光寺町1949

 

                                     

                               



May.2005 瀧山幸伸  source movie

                  

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