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京都府京都市東山区 清水寺 
Kiyomizudera,Higashiyamaku,Kyoto city

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京都市東山区清水1丁目294 清水寺本堂 国宝 近世以前/寺院 江戸前期 寛永10(1633) 本宇桁行九間、梁間七間、一重、寄棟造、東西北にもこし付、正面両翼廊及び庇、舞台、西面翼廊付、総檜皮葺 厨子3基 18971228 19521122
京都市東山区清水1丁目294 清水寺 二王門 重文 近世以前/寺院 室町後期 室町後期 三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺 19660611
京都市東山区清水1丁目294 清水寺 馬駐 重文 近世以前/寺院 室町後期 室町後期 桁行五間、梁間二間、一重、切妻造、本瓦葺 19520329
京都市東山区清水1丁目294 清水寺 鐘楼 重文 近世以前/寺院 桃山 慶長12(1607) 桁行一間、梁間二間、一重、切妻造、本瓦葺 19080423
京都市東山区清水1丁目294 清水寺 西門 重文 近世以前/寺院 江戸前期 寛永8(1631) 三間一戸八脚門、切妻造、正面向拝一間、背面軒唐破風付、檜皮葺 19080423
京都市東山区清水1丁目294 清水寺 三重塔 重文 近世以前/寺院 江戸前期 寛永9(1632) 三間三重塔婆、本瓦葺 19660611
京都市東山区清水1丁目294 清水寺 経堂 重文 近世以前/寺院 江戸前期 寛永(1624-1643)頃 桁行五間、梁間四間、背面庇付、一重、入母屋造、本瓦葺 19660611
京都市東山区清水1丁目294 清水寺 田村堂 重文 近世以前/寺院 江戸前期 寛永(1624-1643)頃 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、檜皮葺 厨子1基 19660611
京都市東山区清水1丁目294 清水寺 朝倉堂 重文 近世以前/寺院 江戸前期 寛永(1624-1643)頃 桁行五間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦葺 厨子1基 19660611
京都市東山区清水1丁目294 清水寺 轟門 重文 近世以前/寺院 江戸前期 寛永(1624-1643)頃 三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺 19660611
京都市東山区清水1丁目294 清水寺 本坊北総門 重文 近世以前/寺院 江戸前期 寛永(1624-1643)頃 一間潜付薬医門、切妻造、本瓦葺 19660611
京都市東山区清水1丁目294 清水寺 鎮守堂(春日社) 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永(1624-1643)頃 一間社春日造、檜皮葺 19660611
京都市東山区清水1丁目294 清水寺 釈迦堂 重文 近世以前/寺院 江戸前期 寛永8(1631) 桁行三間、梁間三間、一重、寄棟造、背面一間通り庇付、檜皮葺 19660611
京都市東山区清水1丁目294 清水寺 阿弥陀堂 重文 近世以前/寺院 江戸前期 寛永(1624-1643)頃 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、背面一間通り庇付、桟瓦葺 19660611
京都市東山区清水1丁目294 清水寺 奥院 重文 近世以前/寺院 江戸前期 寛永10(1633) 懸造、桁行五間、梁間五間、一重、寄棟造、檜皮葺 厨子3基 19660611
京都市東山区清水1丁目294 清水寺 子安塔 重文 近世以前/寺院 江戸前期 寛永(1624-1643)頃 三間三重塔婆、檜皮葺 19660611
京都市東山区清水1丁目294 地主神社 本殿 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永8(1631) 桁行五間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺 19660611
京都市東山区清水1丁目294 地主神社 拝殿 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永8(1631) 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、背面軒唐破風付、檜皮葺 19660611
京都市東山区清水1丁目294 地主神社 総門 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永8(1631) 棟門、桟瓦葺 19660611

Feb.2,2017 中山辰夫

本堂(国宝)の大屋根葺き替え

清水寺では2008(平成20)年から「平成の大改修」が行われており、総工期11ヶ年、総予算40億円の一大修復プロジェクト。
2月6日より本堂の大屋根の葺き替え工事が始まる。工事が着手される前に、本堂の屋根やその周囲を巡った。

清水寺は、778(宝亀9)年に大和国の僧賢心(のちに延鎮)が音羽の滝に至って草庵を営み、これに帰依した坂上田村麻呂が798(延暦17)年に仏殿を建立して千手観音像を安置したのをはじまりと伝え、平安時代から観音霊場として広く篤い信仰を集めている。
 
境内の建物は、1063(康平6)年の火災で全山を焼失したのを最初に、焼失と再建とを繰り返してきた。現在の建物は、1469(文明元)年の戦火後に再建されたもの[馬駐・仁王門・鐘楼・子安塔]と、1629(寛永6)年の火災後に、徳川家光の命により1631(寛永8)年から再建されたもの[本堂・西門・三重塔・経堂・田村堂・朝倉堂・轟門・本坊北総門・鎮守堂(春日社)・釈迦堂・阿弥陀堂・奥院]である。このうち本堂が国宝に、ほかの15棟が重要文化財に指定されている。
  
本堂は斜面上に建ち、正面に懸造の舞台を持つことが大きな特徴。
建物を覆う檜皮葺の大屋根は、「照り起り」と呼ばれる優美な曲線を持った寄棟造で、周囲の張り出し部分の屋根とを巧みに組み合せた複雑なものとなっている。

寺域の規模の大きさをあらためて見直す―城郭を越えるスケールの大きな石垣の上に建つ伽藍
          
乱層乱石積み(乱積みとも雑積みともいわれる)、下層部に大型の石、上層に進むにつれて小型の石を使う
年歴を積み上げた渋さを伴いいかにも美しい、舞台はこの石垣台上に設けてある。

見慣れてきた本堂の遠景(子安の塔付近より)
    

修復工事は、国内有数の広さの檜皮葺屋根を65年ぶりに取り換えるもので、本堂は修理の足場となる素屋根(すやね)で覆われる。(前回は1964・昭和39年)
修理中も参拝通路を確保され舞台に立つことはできるが、右に舞台、左に京の街並みといういつもの景色は2020(平成32)年3月頃まで見ることができない。
足場と雨除けになる巨大な素屋根は、幅約48m、奥行き約42m、高さ約21mの規模で、茶色の鉄板屋根とシートでかこまれるようだ。
葺き替え工事のイメージ (産経新聞より引用)
    
昭和修理時(昭和39〜42年)の素屋根建設中の様子出典『国宝清水寺本堂修理工事報告書』(京都府教育庁文化財保護課、昭和42年3月)

年間550万人が訪れる清水寺は798(延暦17)年の創建以来消失と再建を繰り返してきた。現在ある伽藍は江戸時代初期に建立されたもので400年近く経過している。これまで部分的な改修は行われてきたが、この度の平成の大改修となった。本堂大屋根の葺き替えは、大修理の一環で、前もって檜皮の手配や耐震性のチェックなどが終わり、着手となった。2020年の東京五輪までには修理を終えたいとされる。
前回の葺き替えから約60余年を経過した大屋根は痛みが目立つ。その面積は約2050uと大変な規模である。

本堂(国宝)全体−本堂は南面した懸崖に建ち、正面は舞台造である
      
桁行9間、梁間7間、一重、寄棟造、東西北にもこし附、正面両翼廊及び庇、舞台、西面翼廊附、総檜皮葺・附 逗子三基、各々1間逗子、宝形造、板葺

本堂の廻りを巡りながら目に入った屋根を中心に写す

本堂入口周辺−西側
              

本堂正面周辺(舞台上)
      
改修工事がほぼ終わった釈迦堂と阿弥陀堂−葺き替えの終わった屋根が眩しい

本堂出口周辺−東側
            

地主神社境内周辺より−背面
          

葺き替えに必要な大量の檜皮は、長野県、兵庫県など全国各地から取り寄せられ、少しでも長持ちするようにと、通常よりも厚いものを使い、屋根の厚さも現在の約2倍近い約17cmとなるようだ。京都府では8年前から檜皮を全国から集めていたとされる。
檜皮が厚く長くなる分、葺き上げるのが難しいとされ、今の美しいラインが出せるかどうか腕の見せ所と施工業者が語る。

東側−釈迦堂・阿弥陀堂をバックにする周辺
            

舞台
本堂に付帯する舞台は高さ約12m、幅約22m、奥行き約9m。

檜皮について〜日本特用林産振興会HPより引用
檜皮の必要量
檜皮とは屋根葺材用に檜から採取した樹皮で、樹齢70〜80年以上の立木から採取する。一度採取すると、樹皮がもとのように生成されるまでに8〜10年を 要する。
重要文化財に指定されている檜皮葺の建物は約700棟(重要文化財以外も含めると1,650棟)あり、700棟の維持に年間約3,500uの葺き 替えが必要である。

檜皮採収の現況
檜皮の採取は原皮師(もとかわし)が行う。檜皮を用いた屋根の歴史は古く、1,200年以上にわたって、檜皮は供給され続けてきた。
近年、檜皮の不足が生じることが明らかになってきた。その一つは原皮師の著しい減少である。原皮師の仕事は危険で、きつい仕事であるためである。
剥がした檜皮を1束30kgに束ねて原皮師の山での仕事が終わる。

荒皮と黒皮
立木から最初に剥がされた皮は荒皮と呼ばれ、檜皮として品質が悪く収量も少ない。一度皮を剥いで8〜10年くらいたつと、新しい表皮が形成され2度目の剥皮ができる。この皮を黒皮と呼び品質も良く収量も多い。以後8〜10年毎に採取できる。

ヒノキ立木の減少
もう一つの問題点は、檜皮を剥ぐためのヒノキ立木の減少である。樹齢70〜80年以上の立木はいつ伐採されてもおかしくない収穫対象木である。
森林所有者の収入が減少しているとき、70〜80年以上のヒノキはかけがえのない収入源といえる。
檜皮葺建造物全てを葺き替えて行くには3,000 haの檜皮採取に適した檜林が必要と試算されている。

参考資料『国宝清水寺本堂修理工事報告書・清水寺史・清水寺の謎・ほかより引用』


清水寺本堂は南面した懸崖に立ち、その正面は崖縁に長太い柱を立て並べ、貫を縦横に差し通して張り出す床を支える雄大な舞台造りの国宝である。
本堂に付帯する舞台も国宝で、高さ約12m、幅約22m、奥行き約9m。
清水寺=『清水の舞台』とされる本堂の舞台は清水寺と懸造の代名詞的な存在である。
 

その特異な建築ゆえに耐震性が懸念されるが、鹿島建設・他が、花折断層を震源とするM7.3の模擬地震動を、立体三次元精算解析モデルを用いて解析を行った結果、本堂が倒壊する可能性が低いという結果を得たとの報告がある。

本堂の舞台は創建時には備えてなかったとされる。
清水寺は様々な文学作品、『枕草子』や『源氏物語』にも再々登場する。特に清少納言(960〜1025)の枕草子には清水寺が多く取り上げられているが、舞台について何ら書かれていない。このことから、西暦1000年〜1005年頃にはなかったとされる。
初めて登場するのは、平安時代末期に、蹴鞠名人の青年公家が舞台欄干上を蹴鞠しながら往復したと書いた日記といわれる。
その他『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』『義経記』などから、舞台の敷設が平安時代後半であったろうことが推定されている。


観音信仰の広がりで、清水寺は平安時代中頃から参籠者が増え続けた。そのため本堂を拡張するにも用地がないことから、南側の崖に張り出すように広げたと解釈されている。
その舞台は御本尊に習得・上達した芸能を披露する場−舞台であった。ヒノキの舞台の上で、観音様に芸を奉納する−「檜舞台を踏む」こと、すなわち「檜舞台」の語源は清水の舞台からという説につながる。

舞台床
   
畳百畳敷き(約190u)の広さ。舞台は少し傾斜を持ってつくられ前面南側がやや低い。
正面18m強、側面10m弱の床面前面に、平均の長さ5.5m、幅30cm〜60cmの大きく、分厚い木曾産・天竜産のヒノキ板410枚が敷き詰められている。
床材を下部から見る
 
耐用年数は20〜30年ほどで度々張替えが行われている。
清水寺参詣風景−「風俗屏風」・清水寺本堂参詣風景−「坂上田村麻呂将軍縁起」
  

舞台面には屋根がなく雨ざらしである。軒の出は3m〜1.5m、雨水がたまらないように欄干の下部は水が流れ落ちるようにあけられている。
   
更に舞台から落ちてきた雨水を避ける装置の部材として、小さな傘が数多く取り付けてある。

舞台の高さは13m、4階建のビル高さに相当する。勝手は自殺の名所となり、江戸期には浄瑠璃、歌舞伎にも登場。明治には飛び降り禁止令がでた。
   

舞台を支える柱
     
せり出した舞台を支える柱数は18本で平面十六角形、最も太い柱が舞台下に使われており、樹齢400年以上のケヤキの柱で、周囲2.30m(直径73cm)、長さ12mである。柱は6本が参列に配置されている。
舞台を支える柱は18本であるが、懸造部分を支える柱は、西車寄せ下丸柱3本、礼拝廊下の下(角柱)12本、東西両舎下(角柱)12本、東廊下の下(角柱3本)、礼堂下(丸柱)30本、桂8本の大小の柱が懸造部分を支えている。

伝統工法−懸造りの妙
   
柱と貫(ぬき) 貫は柱等の垂直材間に通す水平材
各柱にはケヤキの厚板が貫として縦横に通してある。貫は柱の両側から通し、柱の真ん中でかみ合わせをつくり、組み合せている。
ノミもないころに、貫を通す骨孔は穿出なかった。どのようにしてあけたのだろうか・・・。

継ぎ手
      
柱と貫の接合部分の内部は「継ぎ手」と呼ばれる技法で組み合わせ、わずかにできた隙間は楔で締めて固定されている。
格子状に組まれた木材同士が支え合い、衝撃を分散することで通常、建築困難な崖などでも耐震性の高い構造をつくり上げることを可能にしている。

釘は一本も使われていない。しなやかな木材だけで組み上げられたこの構造が、舞台を何百年間もしっかりと支えてきた

土台礎石
  
基礎。柱礎石は全て花崗岩切石。
足元は地面(土)と接しているので、他の部分に比べて少なからず湿気を含みやすい。

根継ぎ
  
足元は定期的に検査を実施して、損傷した柱の痛んだ部分を切取って新しい木材を継ぎ足して、創建当初の形状を維持して補修されてきた。

舞台を支える柱は、樹齢400年を越すケヤキの 大木である。寺社の大工さんの言い伝えに「日本のヒノキヤケヤキは、柱に使う場合、樹齢と同じ年数を欠けて衰えて行く。つまり樹齢400年であれば、800年くらいは持つ」といわれるとか。
清水の舞台の柱は樹齢400年以上。舞台の年齢は現在約370年。計算ではあと400数年は持つことになる。そこで、京都府下数か所に山を手当てし、ケヤキ3000本とトヒノキの植樹が行われた。400年後に舞台を支えるケヤキや檜皮用のヒノキが育ってくれることを祈って・・・。

参考資料『国宝清水寺本堂修理工事報告書・清水寺史・清水寺の謎・ほかより引用』



January 15,2017 大野木康夫 movie

清水坂

          

仁王門付近

    

三重塔前

         

鎮守堂

     

三重塔、経堂、田村堂、轟門、朝倉堂

                           

北総門

  

朝倉堂、本堂、轟門付近からの眺め

            

三重塔付近の眺め

   

回廊付近の眺め

             

本堂舞台へ

             

地主神社

               

本堂東側からの眺め

         

奥の院前の仮設広場は立ち入り禁止

           

もう少し南側から舞台を撮影

                             

子安塔遠望

  

子安塔付近からの眺め

                          

子安塔

            

再び舞台方面

         

子安塔下の通路から

         

音羽滝方面へ

           

音羽滝付近

                       

三重塔下

         

市街遠望など

           

仁王門付近

        

帰路

     




November 24,2016 大野木康夫 movie

清水寺ライトアップ

清水坂

     

仁王門前から鐘楼

         

三重塔付近

                      

轟門から本堂へ

                     
本堂から奥の院仮設仮設通路へ

    

奥の院から舞台

            

子安塔付近は立ち入り禁止、音羽の滝方面へ

 

本堂下通路

              

三重塔を見上げる

                  

帰路

      



Sep.3,2016 瀧山幸伸 movie

                                                                                                 


February 11,2016 大野木康夫

春節休暇中ということもあり、中国人観光客が多かったです。

産寧坂付近

          

清水坂の人混み

     

仁王門前

   

馬駐を見る人は少ない

  

仁王門〜鐘楼〜三重塔

          

朝倉堂

   

子安塔遠望

   

舞台上

       

地主神社

  

奥の院(修理中)前の展望台へ

  

舞台の眺めと写真撮影の人混み

            

音羽の滝へ

      

音羽の滝付近

     

帰路

         


December 5,2015 大野木康夫 movie

夜明け前

          

三脚使用禁止で舞台からの撮影は暗すぎて断念。
奥の院仮設回廊、早朝は人も少なく、デッキ以外でも撮影可能。
散りかけも盛りの紅葉

                                                      

三重塔の眺め

  

子安塔

  
子安塔付近からの眺め
                             


音羽の滝へ
       


音羽の滝付近の眺め
                  


帰路
            


忠僕茶屋付近
                        


明るくなったので再び境内へ
                     



November 28,2015 大野木康夫

茶わん坂から見た三重塔

  

境内へ

    

絵堂付近から見た紅葉

         

拝観口へ

   

舞台から見た紅葉

                    

舞台の人波

     

本堂から奥の院へ

     

地主神社

 
奥の院仮設回廊はデッキを除いて撮影禁止
デッキから見た舞台と紅葉

                         

子安塔へ

    

子安塔から見た舞台

          

音羽の滝へ

      

音羽の滝手前から見上げる舞台

          

音羽の滝付近

        

帰路

         

忠僕茶屋付近

                   

門前

  

清水坂

      

産寧坂、二年坂から高台寺へ

                       


April 3,2015 大野木康夫 movie 

桜が満開となった4月3日、出勤前に清水寺に行きました。
本堂の付近の桜が修理のために少なくなったような気がします。
三重塔は修理できれいになっていました。

                                                                                                                                                      




November 22, 2013 大野木康夫 video

二年坂から産寧坂

       

清水坂は大混雑

  

仁王門付近

        

鎮守堂

       

三重塔周辺

                        

修理が終わった朝倉堂

    

轟門の修理のため拝観ルートが朝倉堂北側からになっています。

   

舞台からの紅葉
ブルーシートがかかっているのは台風被害で崩れたところです。
子安塔への坂も崩れたため、舞台の遠景は見ることができませんでした。

                                

地主神社、釈迦堂付近

     

奥の院修理の仮設参道からの眺め

                                        

子安塔方面へ

      

音羽の滝へ

          

音羽坂

               

石塔付近からの眺め

              





Jan.2013 大野木康夫 HD video

撮影 Feb.2011

2011年2月、清水寺の雪景色。

二王門

       

馬駐

    

西門

       

鐘楼

       

鎮守堂(春日社)

    

本坊北門

    

三重塔

          

経堂

         

田村堂

          

轟門

      

回廊

    

本堂

                            

釈迦堂

         

阿弥陀堂

           

奥院

           

奥院から本堂

     

子安塔前から本堂

    

音羽滝付近

         

子安塔(修理中)

 




Nov.2012 大野木康夫 HD video

2012.11.25撮影 

紅葉のシーズンの土日休日、清水寺周辺の駐車場は午前7時からすべてタクシーもしくは観光バス専用になります。
拝観は6時からなので、規制前の早朝に行ってコインパークに駐車しました。

仁王門、三重塔を過ぎて、有料区域に入ります。

   

舞台から下の紅葉は盛りの頃でしょう。
奥に長らく復原修理中であった子安塔が朱色に光って見えます。

               

修理中の奥の院前の仮参道に向かいます。

   

見事な紅葉にかこまれた本堂をしばらく眺めました。

            

三重塔方向に朝日に照らされた愛宕山が見えます。

   

別角度からの眺め

   

子安塔前からの眺め

    

子安塔(重要文化財)

寛永年間(1624-1643)頃の建築
三間三重塔婆、檜皮葺

長らく修理中でしたが、鮮やかな朱塗りの姿が現れました。
ただしまだフェンスで囲まれていますが。

              

再び本堂の方向の眺め

     

音羽の滝方向に下っていきます。

     

音羽の滝もこの時間は空いています。

             

本堂を見上げました。

        

音羽の道

      

三重塔下の眺め

             




Oct.2012 中山辰夫

清水寺成就院

宗派:北法相宗大本山清水寺
本尊:先手観音
開山:願阿上人

清水寺の境内である。
  

仁王門の方には行かず、左側の善行院の前を通り、坂道をあがる。
地蔵院善光堂と「首ふり地蔵」 修学旅行生に人気がある。
    

ゆるやかな坂道を登る。左側には社殿が建つ。右側には石仏が群をなす箇所がある。
      

成就院
    
室町時代に創建された清水寺の塔頭(子院)で、幕末には尊皇攘夷の志を持った多くの志士を助けた月照・信海上人住房でもあった。
現代では戦後、清水寺を復興に導いた大西良慶大和上が住まいしていた。
書院から見える池泉庭園は古来「月の庭」と呼ばれ、名勝に指定されている。

院内はすべて撮影禁止である。

書院前庭「月の庭」
国指定名勝
この庭園は、相阿弥原作、小堀遠州の補修とも、松永貞徳の作とも伝える。いずれも当代一流の文化人である。
江戸初期様式の模範的な借景式・池泉回遊式庭園で、誰(た)が袖手水鉢・烏帽子石、蜻蛉灯籠など名高く、五葉松・侘助椿や
丸形・角型の刈込みが一段と風情をそえる。
月が掬えそうな大きな池を中心に裏山を借景に見立て、変化のある刈込と珍しい灯籠や手水鉢等の石造物が眺める者を退屈させない。
  

庭園…すべて引用である。
    
「誰ケ袖手水鉢」は、古今集の和歌からヒントを得た命名の妙とその形の珍しさガポイント

月照・信海上人
薩摩の錦江湾で西郷隆盛と入水自殺を図った月照上人と弟の信海上人。近衛忠照を通じて島津斉彬とも親交があり、また尊王の志厚く
志士たちの活動を助けたとされる。しかし安政の大獄で幕府に睨まれることになり、薩摩に移送され、悲運の最期を遂げた。
信海上人の攘夷祈願の県議で幕府に捕えられ獄死した。
 

大講堂
昭和59年(1984)創建
      

参考資料≪清水寺、ほか≫

清水寺西門(さいもん)

国重要文化財

清水寺境内、仁王門と同じ西向きに建つ。
    

江戸時代初期、寛永8年(1631)再建の、優雅な三間一戸の八脚門。単層、切妻造り、桧皮葺。
正面に向拝をつけ、木階に高欄を設けて一見拝殿風に作り、背面には軒唐破風(のきからはふ)を架ける大層珍しい形式になる。
    

持国天・増長天を安置する。
    
鎌倉末期 木造 向かって右側が持国天立像(像高220cm)、左側が増長天立像(像高215cm)。
写実性と量感・力動感に富む力強い二天像で、奈良仏師・慶派流の鎌倉様式を伝え、鎌倉末期から南北朝時代にかけての作品と考えられる。
共に桧材の寄木造り、彩色像である。

平成5年(1993)彩色復原である。
繊細な柱巻下文様や熨斗文様が特徴的な建造物。格天井の宝相華文様も華やか。
       

正面に向拝、蟇股、木階に高欄が設けられ、一見すると拝殿風ながら、背面には軒唐破風が架かっている珍しい形式。華麗な桃山様式の美を見せる。
      

拝殿風の華美なこの門からの京都市街。
西山に入る素晴らしい夕日をここから拝み、西方極楽浄土を観想するためにあるのか。
          

参考資料≪清水寺HP≫

 



April,2011 撮影:大野木康夫 HD video

桜の季節、早朝の清水寺です。
清水寺の拝観は朝6時からなので、早起きすればハイシーズンでもゆっくりと拝観することができます。
駐車場も、茶わん坂のコインパーキングは朝8時まで2時間100円です。

茶わん坂を上がると、満開の桜が見えます。
    

馬駐(重要文化財)
門前にあるため、ハイシーズンは近くにテントが建てられ、全景を撮影することはできません。

 

仁王門(重要文化財)

     

西門(重要文化財)

         

鐘楼(重要文化財)

  

三重塔(重要文化財)

    

鎮守堂(春日社)(重要文化財)

    

経堂(重要文化財)

    

本坊北総門(重要文化財)

    

田村堂(重要文化財)
隣の朝倉堂(重要文化財)は修理中でした。

      

轟門(重要文化財)

    

轟門からは有料(大人1名300円)です。
早朝は轟門のところで拝観料を納めます。

  

本堂(国宝)
いつも人がいっぱいの「清水の舞台」も、早朝だと無人のことがあります。

        

地主神社(重要文化財)

釈迦堂(重要文化財)

  

阿弥陀堂(重要文化財)

   

奥の院(重要文化財)
桜に囲まれています。

   

奥の院から本堂を眺めます。桜と紅葉が混ざっていて、独特の風合いです。

     

子安塔方面に向かいました。

     

修理中の子安塔(重要文化財)の前から本堂方面を眺めました。

    

音羽の滝方面に下りていきました。途中の坂から舞台を見上げることができます。

        

階段を登って、もう一度舞台に戻ってから帰りました。

           


 


Nov.2008 瀧山幸伸 HD video Video FAQ

              

   



     

             

       

     
       
     

      


Mar.2007 撮影:柚原君子

    


July 2006 瀧山幸伸 Preview video 500Kbps HD Video Video FAQ

   

   

馬駐
 


仁王門

 

                 

鐘楼
     

西門
        
     

三重塔
         

経堂
     

田村堂
             

朝倉堂
     

轟門
   
  


本坊北総門
  

石仏
      

鎮守堂(春日社)
   

随求堂
  

本坊
   

本堂
 

               

                     

釈迦堂
     

百体地蔵堂
  

阿弥陀堂
       


奥院
         
    

子安塔
        

音羽滝
            

Mar.2006 瀧山幸伸

清水寺周辺
        


Oct.2004 瀧山幸伸 Preview video 500Kbps HD(1280x720) Video FAQ

             

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