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京都府京都市北区 大徳寺 唐門
Daitokuji Karamon,Kitaku,Kyoto city,Kyoto

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京都市北区紫野大徳寺町39 大徳寺唐門 国宝 近世以前/寺院 桃山 桃山 四脚門、切妻造、前後軒唐破風付、檜皮葺 18971228 19520329


Sep.2013 後藤玉樹

大徳寺唐門を紹介する。国宝である。現在は立ち入り禁止区域内にあるため自由に見学できないが、春秋の特別拝観期間に申し込めば可能である。今回は文化財関係者の伝手を頼って見学することができ、ここに掲載する快諾もご住職からいただいた。国宝の唐門は、この他には西本願寺豊国神社だけで、全国に3棟しか存在しない。
この唐門は、現在は本坊方丈の正面に建っているが、明治10年代までは別の場所にあった。そしてその時までここにあったのは、「明智門」という向唐門で、それは現在、南禅寺金地院へ移っている。その経緯については別の機会に譲るとして、国宝唐門がここに来る前は、「金毛閣」として有名な山門の前に建つ勅使門の、その西側に東面して建っていた。そこは参道沿いなので、当時は自由に見学できたはずである。明治10年代までのことであるが。
この唐門には、慶長8年(1603)の棟札の他に、錺金具に「天正」という刻銘のあることが最近分かった。天正年間は20年もあり、年号がないので特定することはできないが、聚楽第が天正15年(1587)に完成していることから、その遺構ではないかと言われている。聚楽第はその後、文禄4年(1595)には破却された。聚楽第から来たという遺構伝説を持つ建物はいくつかあるが、その中で最も可能性が高いのがこの唐門である。破却後、再建される慶長8年までの間、どこかで解体部材のまま保管されていたという条件は付く(部材の打ち替え回数より)。
一番の特徴は、桃山建築としての写実的な表現、立体的な造形の数々である。これだけ多くの種類の彫刻を持つ建物は、密度からいって他にはないと思われる。その一端を紹介する。

なお、単に唐門という場合、このように切妻屋根または入母屋屋根の前後に唐破風を取り付けた建物を指し、正背面に唐破風を向けるだけのものを向唐門、両側面に向けるものを平唐門という。向唐門で国宝は、琵琶湖の竹生島・宝厳寺唐門で、平唐門の国宝は、醍醐寺三宝院の唐門である。


正面の柱の上には、通常は「斗きょう」と呼ぶ組物が置かれ、それで軒桁を受けるのであるが、ここにはそれがなく、双龍の長大な彫刻が置かれる。その下の頭貫という部材は、全長に渡って波に鯉が彫られている。中央の棟通りでは、松を挟んで孔雀が向き合っている。孔雀は非常に写実的・立体的で、他の2棟の国宝唐門にも通じるものがある。両妻面の虹梁の端部には、内外とも白い顔をした獏が彫られている。口から吐き出す渦巻きはあたかも蜃気楼で、獏ではなく蜃ともいうらしい。獏の下の彫刻は、巣篭もりの鶴と桃に西王母、背面寄りは栗と枇杷。その外面は大柄な牡丹彫刻となっている。妻の三角部分にも、鯉の滝登りや雲に麒麟と、本当に賑やかである。こうしてみると、中国の神話や説話的な題材が少ないことも特徴といえるかもしれない。


この唐門で特徴的なのは、棟通りの柱の上に載る冠木の両端に、獅子の彫刻が置かれていることである。どちらも軒下にあって斜め前方をにらんでいる。特に向かって右側の獅子の頭頂には、一本角を生やしていたと思われる穴があり、もしそれが本当なら、狛犬に一本角のある例があるが、それとの関連が考えられるという。少なくとも獅子に一本角はいないそうだ。なお、最後の垂木の写真であるが、鼻先の金具様のものは木部からの造り出しで、逆輪ともいうらしい。止め釘に見せている鋲は本物である。

背面側は、正面とは違って頭貫の上に龍の彫刻はなく、柱の上の組物で軒桁を受けるこの形が通常である。なぜこうまで違うかというと、移築前に建っていた場所は、塔頭の総門という位置で、塔頭側からの見た目はさして気にする必要もなかったのだろう。この写真ではよく分からないが、三つ並んでいる蟇股の中央のものに天女の彫刻があり、この場所に来た時、方丈の前でははばかられるとして逆向きになったそうだ。仮に聚楽第にあったとして、そこでもこれでよかったのかどうか。とにかく、破格な唐門という印象である。




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