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京都府京都市下京区 京都の町屋 

Machiya,Shimogyoku,Kyoto city,Kyoto

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May 2012 中山辰夫

 

町家散策3

京都市下京区綾小路通新町西入ル周辺 

前回に引き続き、祇園祭と切り離せない町家の周辺をたどる。

四条通から一つ南側の東西に貫通する通りが綾小路通である。平安京以来、綾小路の美名で呼ばれる。

近代的なビル、マンションに囲まれつつも古い町家が残っている。室町通から油小路通迄は祇園祭の山鉾町である。

京町家の堂々とした構えをみせる「杉本家」(綾小路新町西入ル矢田町)

≪奈良屋≫の屋号を持つ寛保3年(1743)以来の呉服屋で、明治3年(1870)に上棟された市内でも最大規模を誇る

町家であり、国の重要文化財に指定されている。堂々たる佇まいが通りの雰囲気を盛り立てる。

祇園祭当日、当家は山鉾「伯牙山」のお飾り場となる。更に、邸宅内の飾り付けもガラリと趣を変え見ごたえがある。

すぐ近くにある「長江家住宅」(新町綾小路船鉾町)

南北の二棟で構成されている。写真右側の棟は慶應4年(1868)の再建で、標準的規模の土間式の町家である。

写真左側の棟は明治40年(1907)に表屋造りの形式で建て増しされた棟である。

この近辺は古くから裕福な商人たちが店や居宅を構えた歴史ある一角で、通りの周囲に鉾町があるところからも

その繁栄振りがうかがえる。

少し離れるが、「泰家住宅」がある。(油小路通仏光寺太子山町)

泰家は、祇園祭のときに太子山をだす太子山町にある。18世紀の半ば以降12代にわたって「太子山奇應丸」の

名で知られた漢方薬を製造・販売してきた老舗である。

主屋は表屋造形式の建物で、店舗棟が明治2年(1869)の建築である。やや遅れて建てた玄関、居住棟と座敷庭

を介して離れ、土蔵がある典型的な屋敷構えで、京都市の登録文化財に指定されている。

町家を維持・継続することは並大抵なことでない。税金や修理費の負担、設備や間取りの面における現代生活と

のズレ、こうした問題を克服する人がいることで、町家や町家文明が守られていることを肝に銘じたい。

以上、祇園祭に関わる町家を先に羅列した。祇園祭の前夜の“変わりよう”を是非見たいと思う。

町家の“深さ”を教えられた例

通り過ぎてしまうような間口の“花家旅館”(仏光寺通西洞院西入木賊山町)

一歩中に入ると意匠の見事なこと。今は、これらの細工を手当出来る職人もいない。毎日手拭きで維持していると聞く。

中からも窺えたが、外に廻ると奥行の深さがわかる。外からは奥庭も見える。

旅館の前に建つ大きな町家(1876年創業のO社)

この両(町家・旅館)前の通りも祇園山鉾が賑やかに巡行する。

目に入った町家を任意に並べる。

田中長奈良漬店

寛政元年(1789)創業の老舗

その他

町家の再生・改修が進んでいる。面影をどこかに残し、イメージを損なわないとした配慮が感じられる。

大政所御旅所

下京区烏丸通仏光寺下ル

祇園会(ぎおんえ)の神輿(みこし)三基のうち、素盞嗚尊(すさのおのみこと 牛頭天王)と八王子との二基

を大政所とよび、妃神奇稲田姫に一基を少将井と呼んだ。

江戸時代にはこの大政所の神輿は八坂神社を出て四条通を経て神泉苑に入った。この御旅所は円融天皇の時代に

秦助正という人が夢に八坂大神の神幸を見、また自宅の庭から八坂神社まで蜘蛛が糸を引いているのを見て朝廷

にこのことを奏上した結果、助正の家が御旅所となり、その後大政所といわれるようになったという。

後奈良天皇の天文5年(1536)に騒乱のため焼失し、天正19年(1591)豊臣秀吉の命により四条寺町に御旅所

が移されたがそのあとに町の人々が小祠を建て、八坂大神を奉祀し、大政所町鎮護の社として毎年7月16日を

例祭日と定めた

祇園祭時のこの界隈の賑わいは見落し出来ない。


Apr.2012 中山辰夫

町家散策その2

京都市下京区 新町通・室町通の町家 

今回は、烏丸四条駅から西へ二筋進む。古くから下京の中核とされ「四条町ノ辻」と呼ばれて

いる交差点を右に曲がって新町通りを真直ぐ進み今出川辺りまでを見ました。距離は僅かです。

この通りは歴史が古く、種々の変遷があったようです。

中京の商業中心地として発展し、三井財閥の創始者三井高利の事業拠点も置かれていました。

祇園祭の山鉾町で知られる御池通りから仏光寺通り間を中心に、近世から京呉服などの卸問屋が

店を構えた。今も伝統的な佇まいを残す商家が多く見られる。

四条通りから一歩新町通りに踏み込むと道路の両側に並ぶ町家が目に飛び込む。

典型的な町家と千本格子の美しい放下鉾の会所(京都市指定文化財)

会所家は慶應3年(1867)の建築で、祇園祭の際には2階から直接鉾に渡る廊下が取り付けられる。

百足屋町に入ると、築後百年以上の町家や蔵が再生された町並みが続く。

町家を維持するキャンペーンも見られ、鉾町の町衆が結束して再生・保存に取組んでおられる。

京町家に欠かせない路地の佇まい。奥行は間口の3〜4倍

踏み石や明かりが味わい深い情緒を醸し出す。路地の角にはお地蔵さん。

新町通の歴史

右京・左京に分けられた平安京の創設期、東・西市という国営のマーケットがあった。

この頃から座って物を売るための小屋が現れた。その後、湿地帯の右京から左京に人が集まる

ようになりそこで庶民が新しく大路小路の「町尻小路」を設け、その中に店舗がみられるようになった。

これが新町通りの始まりである。

平安時代末期、この通りと三条、六角、四条などの通りが交差する所を中心に周りに店舗が並び、「座」

が生まれ商工業が活発に行われるようになった。この座の存在が京の基盤となり、町並みを作り出した。

応仁の乱以前からこの通りは、山鉾町の中心の通りでもあった。

京都の地図を広げると、町の形が他の町と異なる。この町の形は正方形に対して、それ以外の

町は細長い短冊型をしている。

短冊型の地域は、豊臣秀吉の都市改造で誕生したもので、正方形の町はその頃人口も密集し、開発の必要

がなかった地域であった。山鉾町区域の発展は秀吉以前の時期にあった。

その山鉾町の中心の通りが新町通りと室町通りである。

この二本の道沿いは、全国有数の和装卸問屋街である。現在では、近代的なビルになった業者

も多いが、いまだに、瓦屋根に格子戸という昔ながらの町家店舗も健在である。

この周囲の町家は、祇園祭には自家の屏風、古美術品、伝統的な衣装などのお宝を惜しげもなく

披露してくれる。

雑ではあるが予備知識をもって散策を続ける。

かつてこの界隈には有力藩邸や京の豪商が集住していた。茶屋四郎次郎の屋敷や両替商三井家もあった。

元田中男爵家とされる屋敷も残る。

元白生地卸商吉田家(無名舎)

吉田夫妻が暮らす築約100年の町家の紅穀格子が美しい。

270年余続いた松坂屋も再開発に着手した。惜しいことでもある。

旧川崎家、紫織庵(しおりあん)「京都市有形文化財」武田吾一設計の洋間や竹内栖鳳作の欄間が残る。

伝統的な町家に洋館を併設した、築約90年の豪商が暮らした邸宅。建築様式は京町家の貴重な歴史資料。

平井産業の表構え(京都市歴史的意匠建造物)

鮮やかな赤い壁が新町通でもひときわ目をひく。飾りガラスの入った窓がモダンで美しい

釜座(かまんざ)通りは釜屋、茶道具屋が集まる釜製作職人の同業者町であったが、今は2軒のみ。

見かける町家は様々である。

蛤御門の変(1864)で町は焼失。現存する古い町家は明治から大正にかけて再建されたもの。

厨子二階は江戸時代まで。明治に入って総二階建となる。

下長者通りを越えた左手に、ビーナスが浮き彫りされた壁がある。

カトリック西陣聖ヨゼフ教会

約100年経過の教会

澤井醤油本店 景観重要建造物 

御所から徒歩5分ほど。創業は明治12年(1879)、明治16年頃から現在の地で醤油造りを始めた。

京町屋の店構えと白い壁の土蔵。

妻を見せた大きな木造家屋からはその歴史を感じることができる。

国産の原料と昔ながらの手法・道具を使った醤油造り、頑固に守りつづけた味を口伝で伝えている。

見かけた町家関連


Mar.2012 中山辰夫

町家散策 

町家を分解する。

NPO法人四条京町家を流れに沿ってたどる。

京都市下京区四条通荷西桐院東入ル郭巨山町11

明治43(1919)年に建てられた京町家。個人が所有していた築約90年の町家を京都市が改修し2002年4月11日に「市伝統産業振興館」(愛称・四条京町家)として開館した。

2010年6月以降はNPO法人四条京町家によって運営されている。

この町家内を軸に構成パーツを分解する。

町家の外観

配置図 一階、二階

出格子

駒寄せと鍾馗さん

虫籠窓と家の基礎

一階

京都の夏は特に暑い。そのためしつらいも、よし戸やすだれを取り入れて風通しをしたり

畳の上に網代を敷いて涼をとる。冬場は障子、襖を廻らすのみである。

配置図

奥の間と見世の間

見世の間

縁側と部屋ごとの段差

階段を隠す

二階

底冷えの厳しい京都の冬場は、隙間がないように障子、襖を廻らすのみである。暖房は火鉢だった。

配置図

控の間と縁側

座敷と床の間

雪見障子と襖

走り庭(台所)

台所は部屋と平行して作られた土間に位置し、「走り庭」と呼ばれる。

流し、井戸、おくどさん(かまどのこと)があり、水屋箪笥などが置かれる。

おくどの上には神棚が祀られる。

配置図

走り庭とおくどさん

水屋箪笥と井戸

五右衛門風呂と蔵

奥庭

京町家の庭は、家の者が手入れすることはない。必ず季節ごとに庭師に頼み、プロの手で

整える。各町家それぞれに独特の空間を生み出している。

配置図

奥庭とつくばい

灯籠

町家の格子を追加する

仕舞屋格子ⅠとⅡ

米屋格子と境戸格子

糸屋格子と腰窓出格子

炭屋格子と麩屋格子

酒屋格子と大戸

犬矢来

揚げみせ

愛宕さんの御符

布袋さん

卯建(うだつ)

火袋

煙山し

祇園祭ちまき

ガス燈

杉玉


May. 2009 撮影:中山辰夫

京都駅での京町屋再生に関する展示

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