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京都府大山崎町 天王山
Tennozan, Oyamazaki town, Kyoto

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乙訓郡大山崎町大山崎天王46 自玉手祭来酒解神社神輿庫 重文 近世以前/神社 鎌倉後期 鎌倉後期 桁行三間、梁間二間、校倉、一重、切妻造、本瓦葺 棟札1枚 19210430


Dec.2010 撮影

所在地 京都府乙訓郡大山崎町字大山崎

天王山は標高270.4m、西山の南端にあたり、淀川を挟んで男山とともに地峡を形成し、古来から京の西南の要衝地として、山城が築かれてきました。
天王山の名は、中腹にある山崎天王社(現在は自玉手祭来酒解神社)から取ったものです。
天正10(1582)年に、明智光秀と羽柴秀吉が戦った山崎の合戦において、戦術上重要な位置にあったことから、「天下分け目の天王山」という言葉の語源になりました。
合戦の後、秀吉が山頂付近に山崎城(宝寺城)を築いてしばらく滞在しています。
現在では手軽なハイキングコースとして、また、山内にできた大山崎山荘美術館宝積寺を訪ねて多くの人が訪れます。

天王山の登り口は、JR山崎駅のすぐ東側、踏切を渡ったところです。
ひとまず宝積寺に向かいます。

寶積寺

所在地 京都府乙訓郡大山崎町字大山崎小字銭原1

仁王門(京都府登録文化財)
慶長10(1605)年頃の建築
三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺

三重塔(重要文化財)
慶長9(1604)年の建築
三間三重塔婆、本瓦葺
墓地の東側に建っています。

本堂(京都府登録文化財)
慶長10(1605)年頃の建築
桁行五間、梁行五間、一重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺

鎮守社

寶積寺から大山崎山荘美術館の裏を抜け、山道を上ります。
道沿いには竹藪や雑木林が広がっています。

しばらく上ると、自玉手祭来酒解神社の鳥居と旗立松があります。
旗立松は、山崎合戦のおり天王山を確保した秀吉の軍勢が、軍旗を立てた松と言われており、現在の松は5代目だそうです。
展望台があり、男山、樟葉、淀の方を見渡すことができます。

もうしばらく上ると、十七烈士の墓があります。
禁門の変で敗れた長州軍に参加した真木和泉守ら十七人の志士が、西国街道を敗走した長州軍を見送った後、天王山で切腹しました。
墓は、明治維新後に、酒解神社の脇に改葬されたものです。

十七烈士の墓から少し上ると、自玉手祭来酒解神社の境内です。

自玉手祭来酒解神社
Tamadeyorimaturikitarusakatokejinja

所在地 京都府乙訓郡大山崎町大山崎天王46

中世より牛頭天王を祀っていた山崎天王社を、明治維新の際に式内社自玉手祭来酒解神社として改称したものです。
祭神は大山祇神で、牛頭天王由来の素盞嗚尊を合祀しています。

境内社三社宮

神輿庫(重要文化財)
鎌倉時代後期の建築
桁行三間、梁間二間、板倉、一重、切妻造、本瓦葺

本殿(国登録有形文化財)
文政3(1820)年の建築
木造平屋建、檜皮葺、建築面積68u

天王山山頂東側の平坦部に鎮座する大型社殿。
五間社流造、檜皮葺で、銅板仮葺とする。
身舎は四周に縁をめぐらし、脇障子を建てる。庇部分は身舎より一段低く、三方に菱格子戸をたてて前室とする。
欄間や蟇股の彫刻は、枠面から横溢させて雄壮に彫る。
(国指定文化財等データベースより)

神社からもう少し上ると、天王山山頂の山崎城跡に着きます。

二の丸下の竹藪の中には石垣の遺構が残っています。

二の丸には井戸の跡があります。

本丸は天王山の山頂です。

山頂から、北側の小倉神社方面に向かって下りて行きました。

急な山道を下ると、しばらくして小倉神社が見えてきました。

小倉神社
Ogurajinja

所在地 京都府乙訓郡大山崎町字円明寺小字鳥居前83

延喜式内社で乙訓地方で最も古い神社のひとつです。
背後の竹林の中に鳥居前古墳という4世紀末頃に築かれた前方後円墳があり、その被葬者が後の時代に神格化され神社が誕生したものと考えられます。
毎年5月に催される春祭りは古来盛大なものであったと伝えられます。
(大山崎町HPより)

 


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