JAPAN GEOGRAPHIC

長崎県長崎市 山手地区

Yamate area,Nagasaki city,Nagasaki

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長崎市東山手12-6 東山手十二番館 主屋 重文 近代/住居 明治 明治元(1868) 木造、建築面積372.6㎡、一階建、桟瓦葺 19981225

長崎市東山手12-6 東山手十二番館 附属屋 重文 近代/住居 明治 明治元(1868) 木造、建築面積78.6m2㎡、一階建、桟瓦葺 19981225


May 4,2029 柚原君子

オランダ坂及び東山手保存地区(重要伝統的建造物群保存地区)

所在地:長崎市東山手町6番25号

オランダ坂より登って行く一帯は明治期の中頃、崖面を造成して社宅や賃貸住宅としてデザインが異なる7棟の洋風家屋が建てられた場所です。現在は、重要伝統的建造物群保存地区になっています。
オランダ坂がつくられたのは1862(文久2)年。幕末の開国で長崎に居留地ができたときに、日曜ごとに大勢の外国人がこの道を歩いて教会に通ったそうです。当時、長崎の人々は東洋人以外の外国人を“オランダさん”と呼んでいたところから、「オランダ坂」になったそうです。坂を上り、細い道を行き交いながらいくつかの洋館を巡りました。

長崎に行ってみたかったのは、さだまさしさんのふるさとというのが大きな理由です。さだまさしさんには長崎の風景を題材にした楽曲が多いので、それらを訪ねながらゆっくり歩いてみたかったのです。
特に、アルバム『帰去来』に収録された『絵はがき坂』(失恋の歌ですが)は、この東山手保存地区にある『オランダ坂』のことで、♪活水あたりはまだ 絵はがきどうりの坂♪と歌われています。

オランダ坂のある東山手居留地はポルトガル、 アメリカ各国領事館や礼拝堂が建ち、 当時は領事館の丘と呼ばれていたそうです。国指定重要文化財となっている東山手十二番館、旧長崎英国領事館などもあります。

オランダ坂は想像以上に急坂でしたが、石畳が優しく続き歌のとおりに活水女子大学があり、歌のとうりに蔦やかづらの香りがする坂でした。

保存センターとして活用されている水色の建物(東山手洋風住宅群(7棟)の中のB棟)の庭のユリノ木に、ビードロ細工のようなきれいな花が咲いていました。

                                                                                         

 


Mar.10,2019 柴田 由紀江

南山手の旧居留地

                                                            

児童養護施設マリア園

所在:長崎県長崎市南山手町12-17

設計:フランス人修道士セネンツ氏

竣工:1898年

以下、公式サイトより抜粋

児童養護施設マリア園は、明治14年の設立より100年以上の長い歴史を、公私を問わず地域住民の方々の厚いご理解とご協力をいただき、支えられて歩んできました。

この度、マリア園は、平成31年4月からの運用開始に向けて、施設の移転・改築を行うことになりました。

 南山手町の現地で施設を創設以来、既に120年近くを経た現園舎は明治時代の面影を残す佇まいで、多くの方に愛されてきました。

 しかし、レンガ造の建築物としては、老朽化が進み、耐震化の問題も含め、色々と検討を行った結果、この度の移転・改築に踏み切ることとなりました。

 新園舎の完成は来年3月を予定しておりますが、それまでは現園舎にて稼働しておりますので、変わらぬご愛顧を賜りますようお願い致します。

 なお、移転完了後の現園舎につきましては、不動産売買契約を締結しました森トラスト株式会社の方で、建物の外観はそのままに利活用して頂く予定です。

         

ドンドン坂

                        


Dec.2010 瀧山幸伸 source movie

   

A camera

           

東山手十三番館

Higashiyamate No.13 kan

                                                                   

東山手十二番館

Higashiyamate No.12 kan

                                                                                               

                             

東山手洋風住宅群

                                             

     

孔子廟

   

 

B camera

       

                                   

                               

                                                             


Nov.2007 撮影:高橋明紀代

屋根の二頭の龍、中国の最高位を表す黄色の曲線が見事な瓦の儀門(ぎもん)

孔子を祀る木造神殿の大成殿と72賢人像 

       

唐人街

土神堂に祀られる天上聖母

 

長崎港に浮かぶ復元された昔の中国船

 


Dec.2003 瀧山幸伸 source movie

安政5年(1858)の修好通商条約により、大浦、下り松。、東山手、南山手、梅香崎、出島などに治外法権の居留地が設けられた。

居留地には、住宅のほか、教会、領事館、商社、銀行、学校、ホテル、工場、倉庫などが建設された。

特に東山手には学校が多かった。

居留地制度は明治32年(1899)まで続いた。

 

       

東山手十二番館 (重文)

Higashiyamate No.12 kan

   

明治元年(1868)にプロシア領事館として建設された(推定)。

その後、アメリカ領事館やアメリカのメソジスト派宣教師などの住宅として使われた。

昭和16年(1941)活水学院に譲渡され、昭和51年(1976)長崎市に寄贈された。

広い廊下、三つの大部屋などに領事館の名残りが見られる。

幅広いベランダ、列柱上部の飾りが特徴。

内部には長崎の外国人が関与した教育の歴史資料が展示されている。

長崎ではミッション系の子女教育が盛んに行われた。

この点で長崎は他の異国情緒の港町を一歩引き離している。

活水女子大は日本で最初の女子大と言われている。

立教の創始者ウィリアムズも長崎で布教していた。

         

十二番館内部の展示

           

           

 

活水女子大学

     

 

オランダ坂

東山手地区を代表する美しい坂

オランダ坂

               

東山手洋風住宅群

明治20年代後半、社宅、賃貸住宅としてまとめて建築された。

           

孔子廟

 


旧長崎英国領事館

大浦天主堂への坂

雑然としており、異国情緒は感じられない。

   

南山手地区

大浦天主堂

   

   

グラバー園の坂

   

 

グラバー園横の坂

   

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