Monthly Web Magazine Oct. 2016

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■■■■■ 新規に公開したEdited Movie Download YouTube

前号マガジン以降に公開した動画です。

YouTubeのJapan Geographic Channelで視聴できます。

 岡山県笠岡市 真鍋島

(Manabejima Island,Kasaoka city, Okayama)

  
 

 埼玉県日高市 巾着田

Kinchakuda,Hidaka city,Saitama

 
 

 愛知県常滑市 常滑

Tokoname,Tokoname city,Aichi

 
 

 長野県小谷村 鎌池

Kamaike,Otari Village,Nagano

 
 

 山形県遊佐町
Yuza town,Yamagata

 
 

 山形県戸沢村 神代杉 

Jindaisugi,Tozawa village,Yamagata

 
 

 福島県伊達市 霊山

Ryozen,Date city,Fukushima

 
 

 長野県松本市 三本滝と乗鞍高原

Sanbontaki,Norikura,Matsumoto city,Nagano

 
 

  京都府和束町 茶源郷

Chagenkyo, Wazuka town, Kyoto

  
 

  兵庫県新温泉町 シワガラの滝

Shiwagaranotaki, Shinonsen town, Hyogo

  
 


■■■■■ Topics by Reporters


■ 誰が造ったのか、あまりにも不思議な景色 瀧山幸伸

九月初旬、関西の不思議な景色を訪問しました。

既に関西在住の通信員の方々が投稿している地の中で、どう考えても不自然な「かたち」が気になっていたので、この目で確かめたくなったのです。

不思議な景色は通常、名勝や天然記念物に指定されています。

一つは、兵庫県高砂市、生石神社の巨石です。

ここは史跡に指定されています。

神社に入ると、目そこに大岩が立ちはだかり、周囲を石の壁が取り囲んでいます。

しかも、その巨石がまるで水に浮いているように見えるのです。

昔、石工が石の切り出しをしようとしたけれど、注文がキャンセルされたのでこんな形で残ったのでしょうか?

いや、この場所は高台ですから、石を船で運び出すには不適です。

おそらく、石切産業に関連する人々が商売繁盛を祈念して作った、産業関連のモニュメントと社殿なのでしょう。

その時代を代表する腕利きの石切職人のなせる技がこうして今日まで残ったのではないでしょうか。

 

同じく兵庫県のシワガラの滝も不思議な景色です。

こちらは自然の造形ですが、滝壺を形成している洞穴に入らないと滝が見えないという不思議な滝です。

兵庫県の名勝に指定されています。

 

京都府和束町の茶源郷にある円形茶園、こちらも不思議な景色です。

まるでギリシャの円形劇場です。

写真だけを見ると、わざわざこんな形にしなくても、と思えますが、現地に行けば納得です。

自然の谷を利用して茶園を造成したので、結果的にこのような形になってしまったということでしょう。

町内には各地に茶園があり、京都府の文化的景観に指定されています。

 

 


■ 滋賀の曳山祭り 中山辰夫

 

過日リオデジャネイロ五輪・パラリンピックで大活躍したメダリストたちが、東京銀座から日本橋への目抜き通りをパレードしました。さすが東京と思わせるほどの多数の人々が詰めかけ大きな歓声を上げ、選手たちを歓迎しました。奢りの無いメダリストとフアンが一体となった素晴らしい光景が見られ、大きく報道されました。

そのメダリストの中に、パラリンピック水泳で4個のメダルを獲得した木村敬一選手の姿もありました。彼とは同じ町内で、競技日には早朝5時にホールのテレビ前に集まり大声援をおくって応援しました。ほとんどが東京生活で普段は滅多に会えませんが、彼の大活躍でリオをグーと身近に感じることができ、4年後の東京大会が待ち遠しくなりました。滋賀と栗東のアピ−ルにも一役買ってくれた事に感謝です。

ところで、10月に入ると各地で祭りが行われます。滋賀・近江は「祭りの宝庫」で、小さな祭を加えると一千を越すともいわれ、歴史の深さが窺えます。

10月8〜10日に「米原曳山まつり」が行われました。滋賀県選択無形民俗文化財に指定されています。江戸時代後半に端を発しています。

小学1年生から6年生の男児5〜6人が演じる子ども歌舞伎がみものです。

  

今年の出し物は「義経千本桜」でした。約1時間の長きを演じてくれました。色気も感じられた名演技でした。

長浜曳山の後追いとされるようで、「山を見るなら長浜、芸を見るなら米原」を合言葉に、子ども役者が演ずる「芸」においては長浜に引けを取らないと励んだ成果と意気を強く感じました。曳山の面倒をみる各山組の若衆の熱意も心強く感じました。

       

滋賀では各地で曳山祭りが行われます。いずれも長い歴史を有しており、文化の深さを秘めています。

大津曳山祭り

  

今春、国の重要無形文化財に指定されました。今年は大いに燃えたと思います。「からくり戯」が見もので、祭囃子が京都祇園祭りに似ています。

長浜曳山祭り

  

日本三大山車祭の一つで、国の重要無形民俗文化財に指定されていますが、平成28年秋、【長浜曳山まつりを含む全国32の「山・鉾・屋台行事」】がユネスコ無形文化遺産に登録されました。豪華絢爛な子供歌舞伎が有名です。

日野祭

  

滋賀県無形民俗文化財に指定されています。日野商人の活躍に合わせて発展してきました。江戸時代末期が最隆盛でした。

水口祭

  

1725年に端を発しています。宿場の雰囲気を伝えています。

他に、大溝祭(高島市)や浅小井(近江八幡市)があります。

曳山祭りの大きな見どころに屋台の装飾があります。幕類と屋根裏にあたる天井板の装飾が見事です。見送り幕や胴幕、水引などには重要文化財指定のものも含まれています。反面、それらの維持管理が大変です。米原の曳山1基を動かすのに500万余かかるとも聞きます。継続に動く保存会の役割は大変の様です。

各地の祭りの内容・形式は千差万別ですが、そのほとんどが五穀豊穣・無病息災・集落安全などの庶民の祈りを込めたもので、集落・地域の年中行事として重要な位置を占め、地域のまとまりの大きな柱となっています。しかし伝統を引継ぐ悩みは何処も共通しているようです。


■旧三井家下鴨別邸公開初日 大野木康夫

旧三井家下鴨別邸は、三井総領家第10代当主の八郎右衛門高棟が大正14(1925)年に建築したものです。

その後、昭和24(1949)年に国に譲渡され、京都家庭裁判所の所長宿舎として使用されていました。

近年、老朽化に伴い使用されなくなっていましたが、「近代京都における貴顕(きけん)の別邸建築を知ることのできるものとして、貴重である。」(国指定文化財等データベース詳細解説)として、平成23年6月20日に主屋、玄関棟、茶室の3棟が重要文化財(建造物)に指定されました。

同時に財務省から文部科学省に所管替えされるとともに京都市が管理することとなりました。

平成24年から保存修理事業が進められ、今年完成したことから、10月1日から一般公開が始まったものです。

初日の朝に訪問しました。

地下鉄の中吊広告

 

賀茂御祖神社(下鴨神社)の南側に位置しており、京阪出町柳駅からすぐのところです。

   

塀越しに主屋の三階望楼が見えます。

 

下鴨神社の一の鳥居の脇が入り口です。

9時開門で、10人ほどが並んでいました。

  

主屋の北側を通って、西側の玄関棟が受付です。

大人1人410円です。

    

渡廊下を通って主屋座敷から庭を眺めました。苔庭、池、芝生とよく整備されています。

庭の南西にモミジの木が多く植えられているので、紅葉の時期は座敷からの眺めが綺麗かと思われます。

案内によると、紅葉シーズンは主屋の二階座敷と三階望楼が特別公開されるようです。

   

庭から見た主屋

主屋は明治13(1880)年に第八代当主八郎右衛門高福が木屋町三条上るに建築した木屋町別邸を移築したものです。

三階望楼など、特徴的な構造です。

      

主屋の東側に続く茶室は慶応4(1868)頃に建てられたようです。

茶室としての使用料設定はあるので非公開というわけではありませんが、参観経路には含まれていません。

紅葉シーズンに丸窓の正面にある紅葉がどう見えるかが興味ありますが、多人数が入れるわけではないので、その時期の公開は難しいと思います。

  

始めは人が少なかったのですが、だんだん多くの人で賑わうようになりました。

建物と庭園が調和した素晴らしい名所であると思います。

 


■ My日本史年表  野崎順次

Japan Geographicレポートにおいて、建造物など文化財の年代を書くときに、和暦および西暦と共に何時代か、また、長い時代については細分して前中後期を表記したいと思っています。また、日本史全体の流れが直ぐに分かるようにと思って、2年くらい前に私なりの日本史年表を作成しました。

今、見直してみると、縄文時代の始まりがBC1万5千年まで遡るようで、訂正が必要と思われます。

皆様のご参考になれば幸いです。また、ご指摘の点などあれば、どうぞご遠慮なくお願いします。

PDF形式の年表


■ Raw現像ソフト比較 川村由幸

カメラの追加投資やなにならで、現在3つのRaw現像ソフトを使いまわしています。
CaptureOneはSONYのカメラと共に手に入れたものでSONYのカメラで撮影した画像のみの現像で使用しています。
Lightroomも古いバージョンで新しいカメラの現像はDNG Converter経由で使用しています。
唯一、フリーソフトのRaw Therateeだけが、私のハードウェア全てに対応しています。
そんな環境で3つのソフトを使用してみると、ソフトで現像後の画像が随分と違う印象を与えるものになっています。
まずは画像を見比べて見て下さい。

CaptureOne                                  Lightroom                                  Raw Therapee

   

                           

                            

   

   

                           

                           

CaptureOneはSONYのカメラで撮影した画像しか現像できないため、比較画像が不足しています。お許しください。
まず感じるのはLightroomの明るく、クリアーで派手な色彩です。ナチュラルかと言われれば、実際に肉眼で見たものとは違うな〜とは感じます。Lightroomの現像は「自動階調」「ポジブリント調」のみです。
古民家や古い街並みなどしっとりと落ち着いた画像にはCaptureOneが向いているように感じます。
このような画像ではLightroomの派手さが仇となっていると思います。
RawTherapeeはその中間でしょうか。ただ、桜の画像などでLightroomと比べると一枚膜が掛かっているようです。
フリーソフトですから文句は言えませんが少し残念な気がします。
もちろん、各ソフト共に操作方法が異なり、又ソフトを使用する側の技量にも大きく影響を受けます。
熟練のカメラマンならRawTherapeeでLightroomのように現像できるのかもしれません。
私の未熟な技量で発生するRaw現像ソフトの差と言うべきなのでしょう。


■ 水質調査船「湖水守(コスモ)」 前回(9月)の続き 酒井英樹

 琵琶湖水質調査に同乗し、瀬田川(琵琶湖から流れる唯一の自然河川)の南郷から北上し調査地点の最北端を続ける。

 昼食後調査地点の最北端を目指し、西国巡礼第番札所宝厳寺や都久夫須麻神社で有名な竹生島が近づく

 竹生島(ちくぶしま)遠景

   

 宝厳寺や都久夫須麻神社のある竹生島港付近は通らずに遠巻きに通過。この付近が琵琶湖の最深部で水深100m以上(103.58m)ある。周囲は断崖絶壁の島であることが分かる。

          

 竹生島を後にさらに北上する。

    〜

 調査地点最北端(葛籠尾崎沖付近)

        

 ここで折り返しし、往路を戻るのだが・・・、小さなトラブル・・先ほど飲んだ琵琶湖の無処理水が原因なのだろうか・・腹部に違和感を覚える者が数名・・。

 急遽、長浜港に寄港することに。

 

再度竹生島

      

 琵琶湖から見た『深田久弥の日本百名山』で知られる伊吹山と長浜市街

               

 長浜城天守遠望

    

 航路優先のため、観光船の出航を港外で待つ

 

 長浜港内へ(トビとサギがお出迎え??)

      

 長浜港接岸

       

つづく

 


■ 山口市 井上公園 蒲池眞佐子

山口市のJR湯田温泉駅の近くに井上公園がある。先日、「湯田温泉地ビール倶楽部」という祭りが行われた。数社の地ビール業者の出店と、フードブースが設けられた。6社の地ビールを飲んだが、いろいろ味が違うもので面白かった。

      

井上公園はよくイベントが行われるところであるが、何遠亭という、のちに明治の元老井上馨の実兄である井上五郎三郎の屋敷を文久3年(1863年)七卿と長州藩を中心とした尊王攘夷派の勢力が京都から追われた際借り上げることとなり、大修繕が行われた場所である。現在は新しく建て替えられ、お茶会などに利用されている。

         

湯田温泉駅には大きな白い狐の像がある。湯田温泉は狐が見つけたとされており(地元では、白狐(はっこ)の湯と呼んでいる)、駅にも無料の足湯が設けられている。他にもいろいろの施設があるらしく、時間がある時にも探検してみようと思う。

      


■  台風雑感  田中康平

先週の沖縄旅行で台風に悩まされ続けたが、また台風が近づいてきた。今度は台風18号だ。台風17号を追うようにフィリピン東の太平洋で生まれ沖縄をかすめながらやってきた。気象予報士ということもありどうにもこの季節は台風が気になる。

今年は台風の発生が異様だ。7月上旬にやっと台風1号が発生したかと思えば遅れを取り戻すように立て続けに発生している。

台風の発生には上昇気流と渦巻きがキーとなっている。自転している地球の上ではで緯度が上がると周速度が減ってくるがこれが南北に流れる空気の流れに回転を与え台風の渦巻きを生む、しかし赤道付近の低緯度地方では南北に動いても周速度の変化が少なく台風までにはまとまりにくい。北緯10度位から北が発生できる場所となっているが暖かい海洋が生み出す上昇気流がエネルギーの源だからあまり北に行ってしまうと台風は発生しない。結構限られた地域でないと台風は発生しない。そこへ今年のように高気圧が張り付き続けるとその下降気流で雲の成長は抑えられて暫く台風は発生しない事態となる。ちょっとしたことで台風ができやすかったりできにくかったりする。考えてみれば半年間も発生しないというのもとんでもない事態ともいえない気がしてくる。

台風には南北の気団を混ぜて北と南の大気の違いを近づける役割があって、地球大気の安定に貢献している、年間ある程度決まった数の台風ができるのはそのためなのかもしれない。秋を呼び込むためにはここまでに17−8個位の台風は必要なのだろう、そう考えると立て続けの台風の発生も理に適うように思えてくる。当然起こるべきことが起こっているだけなのだろう。

台風が来ると気象予報は当たりにくくなる。台風の動きや盛衰に半径1000㎞くらいの大気が影響されて、台風の動きが予想外だと台風から遠い地域の予報であってもその影響を受ける。つい先日訪れた沖縄では、17号が台湾の向こうに過ぎても800km離れた沖縄に高い波が残り沖縄本島から渡嘉敷への離島フェリーが欠航して旅の予定が狂ったりもした、台風は離れていても油断がならない。

台風を眺めているとその映像が面白い。しかし映像が直接データになっているところが更に面白い。

台風の情報として発表される中心気圧や最大風速の値は勿論直接風速計や気圧計を台風の中に入れて測ったものではなく衛星写真の雲のパターンを指数化して求められている値だ。過去のデーターベースに依存した間接的な手法で求められていることになる。

1987年ころまでは米軍がグアム島から観測機を飛ばし台風の中心にセンサーを投げ入れて直接計測した値を用いていたが米軍がそれをやめた後は気象衛星画像に基づく方法となっている。台風の成長具合を衛星画像からインデックスで数値化して過去のデータから得られたカーブに乗せて気圧や最大風速を推定する。こんなやり方でいいのかと思うくらいプリミティブな方法で台風情報は作られているのに驚かされる。例えば台風18号の最盛期の写真では眼がはっきりしていて目の周りの雲がしっかりしている、こうなるとCIと呼ばれるインデックスは7になり中心気圧は915hpくらい、最大風速は55m/s位のデータが発表される。

いずれにしろこの時期の旅行は台風が難敵だ。技術が進めば台風の解析精度は上がり予測は信頼度が高まっていきそうだが、台風そのものを弱めたりすることは到底できそうにない。当分の間、台風シーズンは身を低くして過ぎ去るのを待つほかないのだろう。

添付図・写真、順に 沖縄本島の珊瑚礁に打ち寄せる台風17号の波、台湾に去った台風17号の波高分布、台風18号衛星写真、最盛期の台風18号クローズアップ衛星写真

    


■ 看板考 No.53 「80出して40で死ぬか……」  柚原君子

 

所在地:長野県須坂市

看板のように「80出して40で死ぬか 40で80まで生きるか」と問われたら、40で80まで生きたいのは山々だけど、40ノロノロだと車の流れに乗れずに追突される可能性大です。そして、はじき出されて反対車線から来たダンプカーと正面衝突してに半身不随に。そのままの状態で80まで生きたら、面倒見の良い息子だって泣きたくなるし、嫁は完全に怒るでしょう……私だってカメラもって撮影にも行けない半身不随は嫌だ、と答えます。ならば、80出して40って選択肢も短かすぎる生涯で、それはそれでちと悲しい。

しかし、文字の上に描かれているのは群馬県高崎市の達磨大師のようですが、長野県にはPRできる禅寺はなかったのかと、悟りを促せるような意図としては文字の意味に威厳がないなどなど、いろいろな意味で笑えた看板です。

命を終わりとする「寿命」の元の字は「定命」と、うちのお寺のご住職様がおっしゃっています。人はオギャーと生まれ落ちた瞬間に、いつ死ぬのかも決まっているそうです。そういえば、絶対死んでいたはずなのに良く助かったもんだ!という話や、あんなところで一瞬に死ぬなんて信じられない!という生き死にの不思議話は時折耳にします。

先週、92歳の母が体調を崩して入院。100歳までも生きて欲しいとは思いますが、点滴が入らず青黒くなった皮ばかりの手と、歯のない口を半開きにして眠っている母を見ると、定命まで生きなければならないことが可哀想になります。80出しても40出しても、人の生き死には難しい……。


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Japan Geographic Web Magazine

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Editor Yukinobu Takiyama

yuki at .jp (Replace at to @)

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