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愛知県名古屋市中区 名古屋城
Nagoya Castle,Nakaku,Nagoya city,Aichi 


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名古屋市中区本丸1 名古屋城 西南隅櫓 重文 近世以前/城郭 桃山 慶長17(1612)頃 二重三階、本瓦葺 19301211
名古屋市中区本丸1 名古屋城 東南隅櫓 重文 近世以前/城郭 桃山 慶長17(1612)頃 二重三階、本瓦葺 板札1枚 19301211
名古屋市中区本丸1 名古屋城 西北隅櫓 重文 近世以前/城郭 江戸前期 元和5(1619) 三重三階、本瓦葺 19301211
名古屋市中区本丸1 名古屋城 表二の門 重文 近世以前/城郭 桃山 慶長17(1612)頃 高麗門、本瓦葺 19301211
名古屋市中区本丸1 名古屋城旧二ノ丸東二之門 重文 近世以前/城郭 桃山 慶長17(1612)頃 高麗門、本瓦葺 19750623
名古屋市中区本丸1 名古屋城二ノ丸大手二之門 重文 近世以前/城郭 桃山 慶長17(1612)頃 高麗門、本瓦葺 19750623

酒井英樹

名古屋城
愛知県名古屋市中区

代表写真:aichi-nagoyacity-nakaku-nagoyacastle-sakaih-002.jpg
撮影時期:2013年7月、2015年10月

名古屋城の前身は那古野城で、織田信長の父である織田信秀が今川氏から奪い、ここで織田信長が誕生したと言われている。後に信長の居城となったが清洲城に移り廃城となった。
徳川政権誕生直後、清洲城は尾張藩52万石の居城となり家康の4男松平忠吉が居城した。忠吉は関ヶ原の戦いの戦傷によって28歳で死亡し嫡子がいなかったため、その跡を弟の9男徳川義直が継いだ。
当時清洲城下は低湿地に位置していて、水責めに弱いとされたため大坂方からの東海道の守りとしては脆弱であった為、那古野城跡に新城を築いて清洲越しと呼ばれる街ごとの移転を行った。
慶長15年(1610)から西国諸大名の助役による天下普請で築城を開始、普請奉行に滝川忠征・佐久間政実ら、作事奉行に大久保長安・小堀政一(小堀遠州)らを起用した。大天守は慶長17年(1612)に、城全体は元和2年(1616)にはほぼ完成を見た。
 その後、二の丸御殿が完成して藩庁が本丸御殿から移動、財政難から金鯱の再鋳造などを除けば江戸時代大きな変化はなかった。
 明治政府は姫路城とともに城郭保存を決定し陸軍にて修理を行ったが、明治24年(1891)の濃尾地震(マグニチュード推定8.0)で西南隅櫓、本の丸各隅櫓を繋ぐ多聞櫓などが倒壊した。明治26年(1893)、名古屋離宮となったため宮内省で修理が施された。
 昭和5年(1930)に名古屋市に移管されると同時に大天守を始め24棟の建造物が国宝保存法に基づく国宝(いわゆる「旧国宝」で現文化財保護法での重要文化財に相当)に指定され一般公開されたが、昭和20年(1945)5月の名古屋大空襲の折、誤爆(米軍説)により天守、本の丸御殿などが本丸の大半を焼失した。本の丸御殿の障壁画(昭和17年(1942)旧国宝に指定)の内ふすま絵など移動可能なものは疎開していた為焼失を免れたが、名古屋城のシンボルであった金の鯱を疎開させる為に設けていた足場に焼夷弾が当たったため大天守は焼失したと言われている。
再建にあたって、当時の建築基準法では人が出入りできる木造建造物の基準(3階以上は不可)を大きく上回る天守(高さでは18階建てに相当)の木造による再建は困難であった。また二度と焼失しないよう永久構造物として再建することが望まれた事とも有り、昭和34年(1959)に鉄筋コンクリートにより大小天守が外観のみの復元再建がされた。
 しかし、観光を配慮から最上階の展望を重視した為、最上階の窓の意匠が元とは異なってしまい、完全な外観復元ではなくなってしまった。
 平成34年(2022)の完成を目指し本の丸御殿の現在復元中であり、平成25年(2013)には玄関と表書院(謁見の場所)が完成し、模写による復原障壁画とともに公開されている。また、コンクリートの耐用年数を考慮して、木造による三代目の天守の再建の計画案がある。
空襲による焼失を免れ現存する西南隅櫓、東南隅櫓、表二の門、西北隅櫓及び疎開していた本丸御殿の障壁画は昭和25年(1950)に文化財保護法が制定された際、二之丸大手二之門、旧二之丸東二之門(本丸搦手口に昭和47年(1972)に移築)は昭和50年に重要文化財に指定された。


<大天守>
5層天守 屋根5重、銅瓦葺(第1重:本瓦葺)
 桃山時代[慶長17年(1612)]
 昭和時代[昭和20年(1945)5月24日]消失
 『焼失文化財(文化庁編)』より
 

 5層天守 屋根5重、銅瓦葺(第1重:本瓦葺) RC構造で外観のみ復原
昭和時代[昭和34年(1959)]再建
  

<西南隅櫓>
 二重三階隅櫓 入母屋造 本瓦葺 塗籠 三階長押形
 桃山時代[慶長17年(1612)頃]
         


<東南隅櫓>
 二重三階隅櫓 入母屋造 本瓦葺 塗籠 三階長押形
 桃山時代[慶長17年(1612)頃]
       

<西北隅櫓>
 三重三階隅櫓 入母屋造 本瓦葺 塗籠 三階長押形
 江戸時代[元和5年(1619)]
           

<表二之門>
 高麗門 本瓦葺 軒塗籠
 桃山時代[慶長17年(1612)頃]
  

<二の丸大手二之門>
 高麗門 本瓦葺 軒塗籠
 桃山時代[慶長17年(1612)頃]
      

<旧二の丸東二之門>
 高麗門 本瓦葺 軒塗籠
 桃山時代[慶長17年(1612)頃]
     

<本丸御殿玄関>
 桁行5間、梁間5間、入母屋造 桟瓦葺
 平成時代[平成25年(2013)]再建 
 《一之間》
          

 《二之間》
           

<本丸御殿表書院>
 桁行9間、梁間8間、入母屋造 桟瓦葺
 平成時代[平成25年(2013)]再建
 《上段之間》
    

 《一之間》
         

 《二之間》
 

 《三之間》
                    

<大天守>
 焼失前 再建
  

<本丸御殿>

 白 黒:昭和20年焼失(昭和5年撮影)
『焼失文化財(文化長編)』より
 カラー:疎開現存(平成19年撮影)
 『本丸御殿の至宝 図録』より

 
消失前 模写

 《玄関一之間》
  
  
  
  

 《玄関二之間》
  
  
  
  


 《表書院上段之間》
  
  

 《表書院一之間》
  
  

 《表書院三之間》
  
  
  
  
  





Jan.2013 瀧山幸伸 source movie

     
     



カヤ(天然記念物)
     

        

天守閣、小天守閣
               

                           

   
  


西北隅櫓
        

          

茶室
   
    

     

旧天主礎石付近
     
     

不明門
   
   

           
         

天守閣内部
A camera
                                                                                                                                                                        

B camera
                                                                                                 


    
            


旧二之丸 東二之門
   
        
                 

本丸御殿
               
                


表二之門
         

東南隅櫓
                
                              

二の丸庭園
                                  

                  



Jan.2010 撮影:柚原君子

名古屋城
名古屋市中区本丸1-1
関が原の合戦以後江戸幕府を開いた徳川家康が東海道の要所として、また大阪方への備えとして建てたもの。(1610年〜1612年完成)。
明治維新を迎えるまで御三家の筆頭尾張徳川家の居城として使われた。
1930年国宝指定。
1945年第二次世界大戦で城は消失したが、四隅にある櫓と表二之門、旧二之丸東二之門、二之丸大手二之門は残り重要文化財となっている。
観覧亮500円。週末には「イケメン案内」があるそうですが、私は平日観覧で残念ながら遭遇できず。





                      


名古屋城の四隅にある櫓(戦災で消失したので三櫓)。
攻めてくる敵の動きを監視するところ。
城と重ねるととても美しい建ち姿で徳川家の葵の紋ではない菊の紋が入っているめずらしい櫓。
明治24年の濃尾大地震で櫓は崩壊したが、宮内庁が管理している時期に復元されたので葵の紋ではなく菊の紋が入っている。

  

       




July 2006 撮影:瀧山幸伸  source movie

   

  

正門
 

カヤの木
 


天守閣
        

  

小天守閣
 

御殿
    

   

   

西南隅櫓
  

西北隅櫓
        

不明門
    

旧二之丸 東二之門
    

東南隅櫓
    

表二之門
   



二之丸庭園
                  

埋門跡
    

南蛮たたき鉄砲狭間
    




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