秋田県美郷町 千屋
Senya,Misato town,Akita
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Apr.20 2023 瀧山幸伸
仏沢公園
一丈木公園
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都市計画の原点
坂本東嶽(理一郎)は文久元年(1861)に千屋村小森に、父藤兵衛、母しげの長男として生まれた。
幼いころから漢文や漢詩の素養があり、10歳になった年、六郷町の熊谷松陰に師事し、儒学、和漢を学び始める。また、向学心に燃えた理一郎は、12歳で上京し、西村茂樹博士の家塾、中村敬宇博士の同人社で洋学を学んだほか、根本通 明先生の教えも受けている。ちなみに、理一郎の号「東嶽」(とうがく)は根本通明先生の号「羽嶽」にあやかったと伝えられている。
いったん帰郷し千屋簡易学校で教べんを執った後、再び理一郎は上京する。
東京では運命的な出会いも待っていた。先進的な政治・経済を学ぶため入学した慶應義塾で犬養毅と出会ったことである。この出会いによって、生涯の友として、よき政友としての契りを二人は交わすことになる。
理一郎は、明治23年(1890)29歳の時に秋田県議会議員、明治27年には衆議院議員に選出されている。しかし、優れた政治的人材が都会に集中し、地方農村が立ち遅れていくさまを憂い、代議士を辞して郷里に帰って来る。
田園都市をこの地に
理一郎は村づくりにあたって、原野の開発に着目している。これは、どの地区にも属さない原野に村の中心となる施設を配置することによって、藩政時代の旧村意識が抜け切らない村民感情を緩和し、村民の気持ちを一つにまとめる意図もあったとされている。
一丈木台地を公園にし、公園下に役場、学校、公会堂、郵便局などの公共施設を配置して村の心臓部をつくる。
さらに、ここから各地区へ向けて6本の直線道路を放射 状に配し、その両側には松・杉を植栽し、並木道をつくった。広々とした道路、大胆でち密な村づくりに人々は驚嘆したという。
(美郷町)
一丈木公園と溜池
坂本東嶽旧宅
千屋断層
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