青森県弘前市 藤田記念庭園
Fujita Garden,Hirosaki city,Aomori
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Apr.22,2022 瀧山幸伸
A camera
B camera
青森県弘前市上白銀町
日本商工会議所会頭も務めた実業家である藤田謙一が、1919年(大正8年)に郷里である弘前市に別邸を構える際に東京から庭師を招いてつくらせた江戸風な景趣の庭園である。園内は、高さ13mの崖地をはさんで高台部と低地部に分かれており、高台部は岩木山を借景した洋風庭園で、低地部は池泉回遊式の日本庭園となっている。総面積は約21,800m2に及び、東北地方でも有数の大規模な庭園である。
別邸である洋館は、高台部にあり、木造モルタル2階建てで、玄関先まで反りを付けて下ろされた袴腰屋根や階段吹抜け部分の八角形の塔が印象的なデザインとなっており、設計は堀江佐吉の六男金造、施工は長男彦三郎が行った。同時に建てられた岩木山麓の農牧場開拓を目指して設置された開発事業事務所の倉庫は、イギリス積みによる煉瓦造り2階建てで、軒部分の煉瓦を4重にした軒蛇腹が特徴的な建物となっている。
和館は、木造平屋建てで、1937年(昭和12年)板柳町に藤田謙一の本宅として建てられたものを、1961年(昭和36年)に現在の場所へ移築してきたものである。
当園は藤田の私邸として整備されたものであるが、藤田の死後、弘前相互銀行(現:みちのく銀行)頭取だった唐牛敏世に譲渡され「弘前相互銀行倶楽部」(のちに「みちのく銀行倶楽部」)として開放されてきた。しかし、1979年(昭和54年)に唐牛が亡くなり、その後はほぼ放置状態となっていたものを、1987年(昭和62年)に市制施行百周年記念事業の一環として弘前市が買収して復元整備し、1991年(平成3年)に開園した。
建築物も見学可能で、うち洋館は「大正浪漫喫茶室」のほか、50人収容のホールや小会議室の貸しスペースとして利用されており、倉庫(考古館)は砂沢遺跡出土品(国の重要文化財)をはじめ、弘前市内の遺跡出土品を中心とした考古資料を展示している。
総面積: 21,800m2
形式:洋風庭園と池泉回遊式日本庭園の融合
竣工:1919年(大正8年)
指定:国の登録有形文化財(2003年(平成15年)7月登録:洋館、和館、倉庫、冠木門及び両袖番屋)
(ウィキペディア「藤田記念庭園より」
パンフレットと現地説明板、東案内所
国登文 洋館
国登文 和館
高台部庭園
低地部、池泉回遊式日本庭園
茶室
A camera
B camera
Oct.2012 柴田由紀江
Aug.2008 瀧山幸伸
Oct.2006 (撮影:高橋久美子)
弘前市出身で日本商工会議所初代会頭の藤田謙一が大正8年に造った別邸。高台は岩木山を眺望する借景式庭園、低地部は池泉廻遊式庭園。
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