JAPAN GEOGRAPHIC

愛媛県大洲市 大洲市街 

Ozu downtown,Ozu city,Ehime

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 General
 
川沿いに開け自然豊かな城下町
 Nature
 
 
 Water
 
 
 Flower
 
 
 Culture
 
 
 Facility
 
 Food
 


 September 23, 2021 野崎順次  source movie

大洲街並みマップ
   

JR大洲駅
     


肱川橋から冨士山(とみすやま)とおおず赤煉瓦館あたりを見る。
       


本町通りを東へ
              

おおず赤煉瓦館
おおず赤煉瓦館は、明治34年(1901年)12月に大洲商業銀行の本店として建築されました。建物は主にイギリス積みの煉瓦建築で、屋根には和瓦を葺き、鬼瓦に商の字を入れた和洋折衷の様式が特徴です。当時は、木蝋や製糸の製造、そして舟運による流通の拠点として大洲が隆盛を極めた時代でした。また、「文明開化」のもとに西洋文化が時代を席捲したことは周知のことですが、大洲においても例外ではありませんでした。
大洲の経済的繁栄や当時の文化水準の高さは、臥龍山荘などの歴史遺産にもうかがい知ることができますが、やはり「明治」という時代の斬新さと「大正」という浪漫あふれる時代の風を強く感じさせてくれるのは、この赤煉瓦館でしょう。
                                 


ポコペン横丁(あいにく本日閉店)
あの懐かしさが漂う横丁を再現しています。中華そば、コロッケ、焼き鳥、ラムネ、おもちゃ、骨董品、昔遊び等のお店が軒を連ねる昭和30年代のレトロ漂う空間をぜひ歩いてみてください。時にはステージライブもありますよ。
(大洲市観光協会ウェブサイトより)
                    


南の方へ歩くと、大洲まちの駅「あさもや」、大洲協同基督教会
              


おはなはん通り(東西方向)
肱南の市街地の東端に、「おはなはん通り」があります。名前は昭和41年のNHK朝のテレビドラマ「おはなはん」のロケが行われたことから由来しています。
ここには、江戸時代の町割と家並等が忠実に残されており、当時の庶民の生活の一端を知ることができます。北側の蔵並びは商屋のもので、南側は武家屋敷でした。また、この通りは、商屋と武家屋敷の境界にあたるためと、城より臥龍の地にある藩主の別邸へのお成道とし使用されていたため他の通りよりも広くなっていると言われており、他にも商屋の火事が武家屋敷に飛び火しないように配慮していたとも考えられています。
(大洲市市観光情報ウェブサイトより)
                                  


明治の家並み(南北方向)あたり
この一帯は、戦災にあわなかったことも関係して、城下町特有のT字路、L字路、袋小路など、伝統的な町並みが残っており、地名等も城下町の風情をしのばせるものが多くあります。商家と武家屋敷の境界の通りでは、両者で好対称を見せています。
 また水害への対策として土蔵などは水に浸かるのを防ぐため、一段高いところに作られているのも大洲市の家並みの特徴です。
(大洲市観光情報ウェブサイトより)
                           


大洲神社昭和燈
小高い丘にある大洲神社。石段の上り口に目を引く燈籠があります。昭和3年に建てられた高さ12メートルの昭和燈。この時代としては珍しい鉄筋コンクリート造りです。ネット情報では、ドラマ「東京ラブストーリー」の最終回に登場したとか。
(「レトロな建物を訪ねて」ウェブサイトより)
      


北に戻り、帰りは中町通りを通る。レトロな建物の病院が目についた。新田産婦人科の院長の名前が「新田次郎」だった。
                            


大洲城遠望(JR車窓や肱川橋付近から)
          


夕焼け
     


Jan.19,2021 瀧山幸伸 source movie

十夜が橋

  


Jan.20,2020 瀧山幸伸 source movie

      

         


Jan.18,2017 瀧山幸伸 source movie

おはなはん通りから臥龍山荘付近

                                    

         


May 18,2016

郊外、肱川の朝霧

  


Dec.2012 瀧山幸伸 source movie

  

中江藤樹旧居

    

       

おはなはん通り付近

                 

            

赤煉瓦館付近

            

臥竜山荘

       

             


Dec.2003 瀧山幸伸 source movie(1280x720pixel)

大洲城と城下町は、戦国時代から江戸初期にかけて、藤堂高虎、脇坂安治により整備された。大洲城は肱川を天然の外堀とする要害である。重要文化財の櫓は残っているが、明治に取り壊された天守は、古写真や江戸期の木組み模型をもとに平成16年(2004)木造で復元された。その背景には、地元の住民による柱の寄進、林業、建築事業者の協力など、地元の人々が本物の城復元に託す思い入れがある。天守から望む市街地風景は格別である。江戸時代、加藤家に支配され、手すき和紙、木蝋、製糸業が盛んで、現在でも大洲和紙、伊予生糸として知られている。

 

おはなはん通り

土蔵には、木蝋、繭などが貯蔵されていた。

  

明治の家並み

かつては大須の中心地であった。商家と武家屋敷の境界にあり、腰板張りの武家屋敷やなまこ壁の土蔵がある。

    

臥竜山荘

 

数寄者とはこういうことか、意匠が洒脱。敷地を巡る道路と築地塀の湾曲、勾配がなんとも言えない良いシーケンスを形成する。

          

*取材メモ

2003年12月

内子から入る。城下町大洲は、肱川に沿い、山を背に持つ美しい町だ。ロケに使われる理由が理解できる。

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