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福井県南越前町 中村家住宅

Nakamurake, Minamiechizen town, Fukui

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南条郡南越前町河野一字北ノ町55 中村家住宅 主屋 重文 近代/住居 明治 明治20(1887) 木造、建築面積340.40㎡、一部二階建、西面及び東面庇付、桟瓦葺 宅地1,255.62㎡ 55番、56番、57番、58番、83番、84番1、58番外地先 地域内の塀、池、石垣を含む 20150708

南条郡南越前町河野一字北ノ町55 中村家住宅 新座敷 重文 近代/住居 大正 大正2(1913) 木造、建築面積51.14㎡、二階建、一部三階建、桟瓦葺 20150708

南条郡南越前町河野一字北ノ町55 中村家住宅 背戸蔵 重文 近代/住居 明治 明治20(1887) 木造、建築面積53.54㎡、二階建、東面庇付、桟瓦葺 20150708

南条郡南越前町河野一字北ノ町55 中村家住宅 新蔵 重文 近代/住居 明治 明治24(1891) 木造、建築面積26.02㎡、二階建、西面庇付、桟瓦葺 20150708

南条郡南越前町河野一字北ノ町55 中村家住宅 西蔵 重文 近代/住居 明治 明治中期 木造、建築面積49.40㎡、二階建、東面庇付、桟瓦葺 20150708

南条郡南越前町河野一字北ノ町55 中村家住宅 バンゲ蔵 重文 近代/住居 明治 明治中期 木造、建築面積18.67㎡、二階建、東面庇付、桟瓦葺 20150708

南条郡南越前町河野一字北ノ町55 中村家住宅 前蔵 重文 近代/住居 明治 明治中期 木造、建築面積38.24㎡、二階建、東面庇付、桟瓦葺 20150708

南条郡南越前町河野一字北ノ町55 中村家住宅 米蔵 重文 近代/住居 明治 明治中期 木造、建築面積37.41㎡、二階建、東面庇付、桟瓦葺 20150708

南条郡南越前町河野一字北ノ町55 中村家住宅 塩物蔵・浜蔵 重文 近代/住居 明治 明治中期 木造、建築面積41.07㎡、二階建、東面庇付、桟瓦葺 20150708

南条郡南越前町河野一字北ノ町55 中村家住宅 正門 重文 近代/住居 明治 明治中期 一間薬医門、切妻造、南側潜戸付、北側袖塀付、桟瓦葺 "袖門及び北塀1棟 延長11.5m、土塀、潜門二所付、桟瓦葺 中門及び南塀1棟 一間腕木門、切妻造、南塀延長11.7m、土塀、各桟瓦葺" 20150708


June 6,2016 瀧山幸伸 source movie

中村家と周辺

右近家方面から東へ

                                                                        


September 21,2015 大野木康夫 source movie

所在地 福井県南条郡南越前町河野1字55番

南越前町の河野浦は敦賀湾(若狭湾)に面しており、中世以降、越前府中(現越前市武生)の海の玄関口として海運で栄え、右近権左衛門家や中村三之丞家は江戸時代には北前船の船主として活躍しました。

河野浦の北の町地区には、右近家、中村三之丞家、中村吉右衛門家、刀禰家と北前船主の屋敷が連なっています。

そのうち、中村(三之丞)家住宅10棟が平成27(2015)年7月8日付けで重要文化財(建造物)に指定されました。

中村家住宅は現在は個人及び財団法人の管理となっており、非居住ですが非公開です。

中村家住宅は,越前海岸沿いの狭隘な河野浦にある。

北前船主の大規模邸宅で,敷地は西に敦賀湾をのぞみ,村道を挟んで山側に主屋,新座敷等,海側に土蔵群が並んでいる。

主屋は明治20年の建築である。

高大ダイドコロと狭いニワ,簡明な本座敷に近世以来の伝統形式を継承しつつ,明かり窓や中廊下式の接客部などに近代的な萌芽が窺える。

新座敷は大正2年の建築で,望楼を持つ三階建とし,繊細な数寄屋意匠を駆使したつくりになる。

土蔵群は,ケヤキを多用するなど,近代的な指向も見られる。

中村家住宅は,充実した質と規模を有する主屋,趣向を凝らした繊細な意匠になる三階建の新座敷など,近代的な形式や造形が導入された和風建築として価値がある。

屋敷構成は伝統を継承しつつも近代の発展過程を内包しており,宅地と併せて保存を図る。

○指定基準=歴史的価値の高いもの,流派的又は地方的特色において顕著なもの

(文化庁広報資料より)

■北前船主の大規模邸宅 中村家

越前海岸沿いの河野集落に位置する中村家は、南北朝の合戦に際し南朝方の新田義貞の傘下として敦賀・金ヶ崎の合戦に参戦し、その後当地へ移り住んだと伝えられています。

江戸時代には集落の役職を務め、幕府の特使や福井藩主も度々当家を訪れています。

一方、北前船の時代にはいち早く廻船業に乗り出し、河野浦で同じく船持ちであった右近家とともに北陸を代表する船主として成功をおさめました。

■中村家の敷地と建物

西に敦賀湾を臨む敷地は、南北に通る旧村道で東西に分かれ、西が海岸線、背後となる東が急峻な崖地で区切られ、奥行きが狭くそれぞれ南北に細長い形状となっています。

山側の東には居宅となる主屋と新座敷、その両脇に背戸蔵と新蔵が並び建ち、村道を挟んだ西には海に向かって開く正門を構え、その北に西蔵とバンゲ蔵、南に前蔵と米蔵を配し、さらに西に塩物蔵・浜蔵を備えています。

こうした海に向かって山側に主屋を建て、潮風を遮るため海側に土蔵を配置する屋敷構えは、河野浦の船主館に共通してみられる伝統で、「河野北前船主通り」といわれる独特の町並みをつくりだしています。

建物の年代は、近年新たに発見された古文書により、主屋と背戸蔵が明治20年で最も古く、新蔵が明治24年、新座敷が大正2年の建築と判明しています。

海側にある正門と土蔵群の年代は明確ではありませんが、明治中期以降に主屋と一連で建てられたものとみられます。

■主屋、土蔵群など10棟が指定

中村家住宅は、充実した質と規模を有する主屋、趣向を凝らし繊細な意匠をみせる三階建の新座敷など、近世までの伝統を継承しつつも近代的な形式や造形が段階的に導入された和風建築としてその価値が認められ、重要文化財(建造物)指定基準(三)「歴史的価値が高いもの」及び(五)「流派的又は地方的特色において顕著なもの」に該当する建築物として、主屋・新座敷・正門・土蔵群の計10棟が敷地とともに指定される見込みです。

(南越前町広報誌「南えちぜん」2015年6月号より)

国道307号沿い

   

中村家住宅の建造物は、集落を南北に貫く狭い旧村道を境に2区画(海側の土蔵5棟、表門と山側の主屋、新座敷、土蔵2棟)に分かれています。

海側の土蔵群

村道沿いの風景

                    

防波堤付近から見た中村家住宅

       

海側の各棟

米蔵

明治20(1887)年頃の建築

土蔵造、桁行 5.5m、梁行 6.5m、二階建、東面庇付、桟瓦葺

海側から見て一番右側(南側)の黒壁の土蔵です。

            

前蔵

明治20(1887)年頃の建築

土蔵造、桁行 4.5m、梁行 7.5m、二階建、東面庇付、桟瓦葺

米蔵の北側(海側から見て左側)に接続している、やや大きな土蔵です。

軒丸瓦の家紋は井桁に三文字となっています。

                               

正門

明治20(1887)年頃の建築

一間薬医門、切妻造、南側潜戸付、北側袖塀付、桟瓦葺

形状からすると海側が門の外です。他の北前船主の家も同様なのですが、屋敷を貫いて旧道(旧村道)が設けられているということになります。

                    

バンゲ蔵

明治20(1887)年頃の建築

土蔵造、桁行 3.2m、梁行 5.6m、二階建、東面庇付、桟瓦葺

海側から見て正門の左(北側)、西蔵にくっついた形の小型の土蔵です。

                

西蔵

明治20(1887)年頃の建築

土蔵造、桁行 7.5m、梁行 5.6m、二階建、東面庇付、桟瓦葺

海側土蔵群の並びで一番北側(海から見て左側)の土蔵です。

                    

塩物蔵・浜蔵

明治20(1887)年頃の建築

土蔵造、桁行 9.5m、梁行 4.1m、二階建、東面庇付、桟瓦葺

海側に1棟だけ独立している土蔵です。海側土蔵群の中で一番大きなものです。

                        

背戸蔵

明治20(1887)年の建築

土蔵造、桁行 9.4m、梁行 4.4m、二階建、東面庇付、桟瓦葺

山側の建物群のうち、山に向かって一番右側(南側)の土蔵です。

                 

新座敷

大正2(1913)年の建築

木造、桁行 4.6m、梁行 9.7m、一部三階建、桟瓦葺

主屋の南側の三階建ての建物です。

                                         

主屋

明治20(1887)年の建築

木造、桁行 31.3m、梁行 15.3m、一部二階建、西面及び東面庇付、桟瓦葺

大規模な建築物です。旧村道が狭いので、撮影が困難です。

                                               

附・袖門及び北塀 延長 11.5m、土塀、潜門二所付、桟瓦葺

        

附・中門及び南塀 一間腕木門、切妻造、南塀延長 11.7m、土塀、各桟瓦葺

    

新蔵

明治24(1891)年の建築

土蔵造、桁行 5.7m、梁行 3.6m、二階建、西面庇付、桟瓦葺

山側の建物群のうち、山に向かって一番左側(北側)の土蔵です。

           

現在は内部は非公開ですが、非現住ということで、県や町と所有者が公開(特別公開等)について協議されているということです。

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