福井県南越前町 杣山城跡
Somayama castle,Minamiechizen Town,Fukui
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May 22,2025 瀧山幸伸 source movie
杣山城(そまやまじょう)は、福井県南条郡南越前町大字瓜生にあった日本の城。国の史跡に指定されている。
概要
南越前町中央部に位置する杣山の山頂に築かれた山城である。自然の要塞とも言える険しい崖を利用しており、南北朝時代には南朝方の越前国における拠点ともなった堅城である。平安時代初期に源頼親が城郭を築いたのが起りという伝承が残っている。現在では石垣や堀切、土塁などが僅かに残されており[2]、他は様々な言い伝えが残るのみである。
歴史
平安時代初期 - 源頼親が城郭を築く。
鎌倉時代中期 - 瓜生衛により瓜生氏の居城として再築がなされる。
1336年 -
新田義貞が兵糧攻めに遭う現福井県敦賀市の金ヶ崎城を脱出し、杣山城を訪ねる。杣山城主瓜生保および義鑑坊の兄弟はこれを受け入れ南朝に支持し、金ヶ崎城の救援に向かう。しかし敦賀市樫曲付近にて戦死し、金ヶ崎城も落城する。その後、新田義貞は杣山城に篭るも結果落城し、北朝方の斯波高経家老増沢甲斐守祐徳が入ることとなる。
1470年 - 朝倉孝景が日野川の合戦で斯波方を追い、河合安芸守宗清が入城する。
1514年 - 朝倉氏に対抗する一向一揆軍が立て篭もる。
(wikipedia)
手前から遠望
中腹の駐車場から登る
西御殿付近
殿池を見下ろす
袿(うちぎ)掛岩付近
堀切
本丸付近
殿池
姫穴付近
キャンプ場へ
居館跡
June 6,2016 瀧山幸伸 source movie
俚俗城山トシ累代瓜生氏ノ居城ニシテ延元元年金ヶ崎城重囲ニ陷ルヤ瓜生保 新田氏ニ應シテ金ヶ崎城ノ後詰ヲナシ一族多ク戰没セシガ後 新田義貞ノ入城ニ依リ一時越前官軍ノ根據地トナリシ處ナリ山頂ニ城台アリ海拔四百九十二メートルヲ有シ東北面ハ特ニ岩石聳立シテ峻險ナリ稍■降リテ東西ノ御殿阯及殿池アリ 又瓜生氏館阯家臣館阯及城戸土壘ハ北麓大字阿久和ニアリテ畧■旧規ラ存セリ
『太平記』に、南北朝時代の北陸南朝方の拠点として登場する杣山城については昭和9年3月13日に北麓の城主居館跡の一部、阿久和地区に残る家臣屋敷跡の一部2か所及び阿久和川の谷の出口に築かれた城戸口の土塁の一部がそれぞれ史跡に指定されている。今回これに、城主居館跡の未指定部分、この北側に接する城戸の土塁、及び阿久和川谷の出口を区切る城戸の土塁・堀跡の未指定部分を追加して指定するものである。(文化庁)
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