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福岡県久山町「首羅(しゅら)山遺跡」

Hisayama Shurasan iseki

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白山神社初詣で

Aug.2009 撮影:末永邦夫

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June 2006 撮影:末永邦夫

福岡県久山町「首羅(しゅら)山遺跡」取材中

2009年6月28日

江戸時代の「山伏の峰入り」は宝満山から三郡山、若杉山、糟屋(かすや)郡、宗像(むなかた)市、博多の町、福岡城を経由して、また宝満山へ戻る春峰ルートと宝満山から英彦山へ至る秋峰ルートがありました。

昨年、この春峰のルートにあたる糟屋郡久山(ひさやま)町の山中から中世期(鎌倉・室町時代)の山岳寺院跡が発見されました。

(当初「白山遺跡」と呼んでいましたが、その後「首羅山遺跡」と改称)

場所は博多湾を一望する約300m程の丘陵地にあります。

久山町は福岡市の東側にあり、ベッドタウンとして発展しています。

首羅遺跡は宗像大社と太宰府観世音寺と南北一直線上に並ぶ位置にありました。

首羅山は標高約300mほどの山です。

昨年暮れ12月6日、シンポジューム「甦るまぼろしの山岳寺院 首羅山(白山)遺跡」が行われました。

久山町教育委員会と調査指導委員会(九州歴史資料館・九州大学・福岡大学・建築の専門家・日本山岳修験学会)により、

地質学・東アジアとの関連・経塚と瓦からみた歴史・宋風獅子(そうふうじし)と薩摩塔(さつまとう)・寺院跡からみた建築物・宝満山修験道峰入りとの関係など、

各専門家から調査の中間報告がなされました。

また、シンポジュームを記念して、久山町主催で現地説明会が行われました。

町民のボランティアの方達の協力の下、福岡はもとより、中国・四国・京都・東京から約150名の方達が参加されました。

以下、現地説明会の様子を通して、遺跡の概要を説明します。

白山神社に参加者が集まってきます。

集合場所の白山神社

現地説明会の案内看板

現地説明会の受付風景

参加者150名

出発前の記念撮影

山のふもとのお堂からは山伏の法具股木(またき)が発見され、宝満山山伏が峰入りで巡航した時壊れて放置されたものと考えられています。

また、山中には山岳信仰の修行の場と思われる遺跡も見つかっています。

山伏の法具股木

山伏の絵巻

山の中腹には寺院跡群があり、中心となる本殿講堂は15.5m x 18.8mもあり、その規模の大きさから、博多で活躍していた中国人商人が建設したものと考えられています。

山道を行く参加者

寺院跡

 

山頂付近の祠には薩摩塔や宗風獅子像が祭られています。

薩摩塔とは、初めて発見された場所が薩摩だったので、そう名付けられた形式の塔です。

現在でも、西日本の一部の港でしか見つかっていません。

そして、薩摩塔や宗風獅子の石質から、中国で作られ、渡来したものと考えられています。

山頂祠前

山頂祠

薩摩塔左

 

薩摩塔右

薩摩塔四天王像、えび梃子と呼ばれる独特な鎧を着ている。

宋風獅子

昭和42年の境内の様子です。

当時、境内は盗掘などの被害に合い、祠も破戒されていました。

昭和42年境内a

昭和42年境内b

現在、九州歴史資料館に保管されている経筒です。

これは、九州歴史資料館が創設された時、東京の古物商が福岡で発掘された物として、売り込みにきたそうです。館で調べた所、この境内から盗掘された物と判明しました。

このため、古物商は無償で九州歴史資料館へ提供したそうです。

経筒の表面には作成年月や名前が刻み込まれています。

境内で盗掘された経塚(九州歴史資料館蔵)

今年(H21年)の白山神社の初参り風景です。

首羅山のふもとには白山神社が祭られています。

この神社は元々首羅山の山頂に有りましたが、参拝者の労を軽減するため、昭和2年に現在の位置へ遷座されました。

この遷座時、赤と黒の獅子頭が発見されました。

この獅子頭を修復し、獅子舞が復活されました。

そして、当時より毎年正月元旦に白山神社で獅子舞が奉納される様になりました。

白山神社お神酒

獅子舞

獅子頭

この遺跡の特徴は、低山でありながら、中国との交流や宗教史の貴重な遺跡があり、その保存状態が良い事です。発見されるまでは、うっそうとした竹林で、これを切り払ったら、遺跡が顔を出してきたそうです。

久山町は整備し、市民が手軽に山岳信仰を理解できる史跡にしたいと計画しています。

現在も首羅山遺跡は発掘調査が続けられています。

私は継続して取材し、久山町教育委員会との協力の下にまとめ、JAPAN GEOGRAPHICにアップし、通信員の皆様に見て頂きたいと思っています。

また、宝満山で発見された、最澄(天台宗)ゆかりの六所宝塔跡についても、九州における最澄の足跡や全国六所宝塔跡(と思われている所)を訊ねてみたいと、夢は広がっています。

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