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福岡県糸島市 平原遺跡 (曽根遺跡群)

Hirabaruiseki(Soneisekigun), Itoshima city,Fukuoka pref.

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Jan.29,2024 瀧山幸伸 source movie

曽根遺跡群

ワレ塚古墳、銭瓶塚古墳、狐塚古墳の3基の古墳と平原遺跡で構成され、糸島市東部にある瑞梅寺川と雷山川にはさまれる曽根丘陵地帯に分布、存在している。

平原遺跡(ひらばるいせき)

弥生時代から古墳時代築造と考えられる5基の古墳で構成され、1号墳からは銅鏡39枚を始めとして数多くの遺物が出土している。

ワレ塚古墳(われづかこふん)

古墳時代中期築造と考えられる前方後円墳。大きさは、全長約43メートル、後円部直径約29メートル、高さ約4.5メートル、前方部の長さ約15メートル、高さ約0.6メートルで、後円部は3段に造られており、周りに周溝が巡っていた痕跡がある。曽根丘陵の中央部に存在する。

銭瓶塚古墳(ぜにがめづかこふん)

古墳時代中期築造と考えられる前方後円墳。大きさは、全長約50メートル、後円部の直径約37メートル、高さ5メートル、前方部の長さ16メートルで、後円部は3段に造られており、古墳の一部が道路造成の際に破壊されてしまっている。周りには幅約6メートルの周溝があったと考えられ、周溝部分の発掘で朝顔形埴輪、円筒埴輪、形象埴輪が出土している。曽根丘陵の中央部に存在する。

狐塚古墳(きつねづかこふん)

古墳時代中期築造と考えられる円墳。3段に造られており、大きさは、直径33メートル、高さ4メートルで、幅6メートルから10メートルの周溝が確認されている。内部には、4区画に仕切られ床面に敷石の施された長さ2.6メートル、幅1.65メートルの横穴式石室があるが、かなり壊れている。副葬品は、刀子5本、鉄斧1個、鉄鏃2本、などが出土した。曽根丘陵の東端部に存在する。

(wikipedia)

 

平原遺跡

                        

 

ワレ塚古墳

                     

 

銭瓶塚古墳

                  

 

狐塚古墳

    


May 1,2013 田中康平

福岡県糸島市曽根

国指定史跡(曽根遺跡群の一つ)

指定年月日: 1982.10.04(昭和57.10.04)追加年月日: 2000.09.06(平成12.09.06)

出土品の銅鏡がすべて国宝に指定されている。伊都国の中心的遺跡。

国指定文化財等データベースの解説文より:

平原方形周溝墓は玄界灘を遠望する台地に築かれており、『魏志倭人伝』に記述された伊都国の王墓にあたるといわれている。

発掘調査は蜜柑園造成を契機として、昭和四十年に行われた。墳丘は東西一四メートル、南北一一メートルの不整な長方形を呈し、周囲には周溝が巡る。墳丘中央に設けられた主体部は、東西四・六メートル、南北三・五メートルの長方形の墓壙の中に割竹形木棺を納めていた痕跡が検出された。

本件は、この主体部から出土した銅鏡、玉類などの副葬品で構成され、周溝、土坑などからの出土品を附【つけたり】とする。銅鏡は墓壙内の四隅から破砕された状態で検出された。方格規矩鏡が三二面分、内行花文鏡が七面分、四?鏡(しちきょう)が一面ある。棺内からは朱と玉類が大量に見つかり、鉄素環頭大刀も一点出土した。これらの副葬品のうち、銅鏡は合計四〇面という、一遺構からの発見では他を凌駕した数量である。その中には同型鏡が存在するとともに、面径四六・五センチメートルというわが国最大の内行花文鏡を五面含むなど、注目すべき内容をもっている。隔絶した大きさと数量をもつ平原方形周溝墓の鏡群は、わが国の出土鏡の中でも最も重視すべき鏡群の一つである。弥生時代から古墳時代への変化を考えるうえで欠くことのできない重要な資料であり、その学術的価値はきわめて高い。

なお銅鏡の員数については、平成七年度から十六年度まで実施した修理のなかで、内行花文鏡(一二号鏡)が二面分の破片を同一個体に復元されていたことが確認された。そのため銅鏡の員数は一面分増加し、四〇面分となった。

平原遺跡

                 

糸島の古代史及び歴史博物館からの眺め

   

 

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